「哨戒路の薪を壁の前に落とす? それでどうするつもりじゃ。また焚き火にするつもりか?」
と術師の老人が尋ねたので、フルートはうなずきました。
「壁が光るのをやめたときに、壁を守るものが必要なんだ! ただ、門の前には置かなくていい。急げ!」
フルートがどんなことを思いついたのか、仲間たちにはまったく想像できませんでしたが、それでも彼らはいっせいに動き出しました。芳枝の花鳥を操るメール以外の全員が、哨戒路に積まれた薪を壁の下へ落とし始めます。ゼンは自慢の怪力で次々と薪を放り投げ、ポチは哨戒路の上を飛んで薪を弾き飛ばしました。フルートも屯所の上から飛び下り、ポポロと一緒に薪を落としていきます。
老人はあきれた顔になりました。
「それっぽっちの薪では、すぐに食魔に食われてしまうじゃろう。それとも、何か策があるのか?」
「あります! おじいさんも手伝えますか!? 光が消える前に火をつけないと!」
とフルートが薪を放り投げながら答えます。
やれやれ、と老人は禿げ頭をなでました。懸命に薪を投げ落とす一行を眺め、おもむろに新しい呪符を取り出して言います。
「そんなにのんびりしとったら、光のほうが先に消えてしまうわい。どかんか」
老人が呪符を投げて呪文を唱えたとたん、哨戒路の上の薪がいっせいに宙に浮いて、壁の西側へ飛んでいきました。壁に沿って生け垣のように積み重なり、次の瞬間には炎を噴き上げて燃え出します。
「一瞬かよ。ったく、ほんとにすげぇじいさんだな」
とゼンが感心します。
その時、壁の光が急に消え始めました。老人の術が切れたのです。たちまち暗くなって、壁の上部が闇の中に沈んでしまいます。けれども、壁の根元は炎の生け垣に照らされて輝き続けていました。唯一、暗くなっているのは紅門の前ですが、そこはメールが芳枝の花鳥で守っています。
すると、フルートがポポロに言いました。
「さっき、君は雲の上に月が出ているって言ったね。今も月は空にあるな?」
えっ? とポポロはとまどいました。何故ここで月の話になるのかわかりませんでしたが、フルートが真剣な顔をしているので答えます。
「ええ、月はまだあるわよ……。満月を過ぎた半月だから、今ちょうど頭の真上あたりにいるわ……」
「ワン、どうするんですか? 食魔がまた近づいていますよ」
とポチは言いました。壁を守る炎の柵は、先の焚き火ほど火力が強くなかったので、森の中からまた食魔が姿を現していたのです。黒い集団になって、再び壁に迫り始めています。
「おじいさん、この門を開放することはできますね? 今すぐ、門を開けてください。――メールは花鳥を呼び戻すんだ」
とフルートが指示したので、老人と仲間たちは仰天しました。
「も、門を開けるじゃと!?」
「花鳥までいなくなったら、食魔が門から入ってくるじゃないのさ!」
「こっちから食魔をユラサイに呼び込むってぇのか!? 無茶苦茶だ!」
けれども、フルートはきっぱりと答えました。
「食魔を勝手にさせていたら、壁のいたるところを襲われて、とても守りきれない。他の場所を火で守っておいて、この門だけを開放すれば、食魔はみんなここに集まってくる。そこをポポロの魔法で一網打尽にするんだ」
「ワン、でも、どうやって? ポポロの魔法は食魔には効かないですよ」
とポチが言いました。ポポロも両手を頬に押し当てて困惑しています。
すると、フルートは頭上を指さしました。
「ポポロの魔法で、空の雲に穴を開ける。月の光で食魔を照らすんだ」
月の光で!? と一同はますます驚きました。
「おい、フルート! 食魔どもは太陽の光に弱いんだぞ!? 月の光じゃ何の役にも立たないじゃねえか!」
「ワン、月の光を浴びれば、食魔は驚いて逃げるだろうけど、それなら門を開ける必要はないですよ!」
ゼンやポチが口々に言いますが、フルートは考えを変えませんでした。
「大丈夫だ! メール、花鳥を呼び戻せ! おじいさんは門を開放して! 急げ! 焚き火が食魔に食われる――!」
もうっ、とメールは頭を振ると、門の前の鳥に呼びかけました。
「フルートの命令だよ! ここに戻っておいで!」
老人も、まったく何を考えとるんじゃ……と文句を言いながら、また呪符を投げました。呪文の声と共に、紅門の扉がきしみながら開き始めます。
その音に、怪物たちは門が開放されたことに気づきました。壁に向かっていた食魔が、いっせいにまた門のほうへ移動を始めます。じきに門の前の空き地は何千という食魔で埋め尽くされてしまいます――。
それを見て、フルートが言いました。
「ポポロ、雲の向こうから月の光を呼び込むんだ! 空全体から雲を払わなくてもいい! その代わり、月の光を強力にして、集まった食魔を照らせ!」
奇妙な注文にポポロはまた驚きましたが、食魔がもう門にたどり着きそうになっていたので、急いで呪文を唱えました。
「セラーテオキテデリカヒーノキツテレキーヨモクー!」
とたんに上空で雲が渦巻き始めました。暗いのでフルートたちにはよくわかりませんが、ゼンやポチにははっきりとその様子が見えていました。
「ワン、雲が薄くなっていく。穴が開きますよ!」
とポチが言ったとたん、本当に雲が切れて、そこから月がのぞきました。半月よりほんの少し太った形をしています。
それと同時に透明な銀の光が降りそそいできました。ポポロの魔法がその場所の雲を完全に払ったので、半月でも意外なくらい明るい光です。雲の切れ間が広がるにつれて、光も広がり、門の前までやってきます。
フルートは身を乗り出して言いました。
「今だ! 光を強めろ!」
「レナークヨツヨリカヒーノキツ!」
ポポロの呪文がまた響きました。二つめの魔法です。
月の光がみるみる明るさを増していきました。まるで日の光のように、まぶしく地上を照らします。
すると、光を浴びた食魔たちが消滅しました。つんざく悲鳴を上げて、煙のように消えてしまいます。
「ど、どうなってるんだ――?」
と仲間たちは呆気にとられました。
月の光が当たる場所では、例外なく同じことが起きていました。光が一瞬当たっただけで、食魔は悲鳴を上げて消えていくのです。本当に、太陽の光が当たったときと同じでした。何百、何千という食魔がたちまち見えなくなっていきます。
ぽかんとしている仲間たちに、フルートが言いました。
「月の光は太陽の光とまったく同じものなんだよ。月は自分で光を出しているわけじゃなくて、鏡のように太陽の光を反射させているんだ、って、前に白い石の丘のエルフから聞いたんだ。ただ、月の光は弱い。だから、ポポロの魔法で強めてもらったのさ」
雲の間から降りそそぐ月の光は、門の前の空き地から森へと移動しつつありました。光を浴びた食魔が、森の中でも消滅していきます。
食魔たちは光を恐れて、さらに逃げていきました。金属をひっかくような食魔の声が、赤い瞳と共に森の奥へ遠ざかり――
やがて、あたりはしんと静かになりました。