門の北側で壁を守っていたポポロは、突然フルートに呼ばれました。
「ポポロ! ポポロ、来てくれ――!」
せっぱ詰まった声が、耳に直接聞こえてきます。
ポポロは驚き、すぐにポチに呼びかけました。
「戻ってきて、ポチ! フルートが呼んでるわ!」
ポチは風の体に炎を絡めたまま飛び戻ってきました。炎の光を使って食魔を森へ追い払っていたのです。壁の上に立つポポロへ舞い下ります。
「ワン、何があったんですか!?」
「わからないの! 急に、来てくれって呼ばれたのよ!」
そこでポチは空中で一回転して体の火を消しました。すぐにポポロを乗せて紅門まで飛んでいきます。
ところが、そこにフルートの姿はありませんでした。術師の老人も見当たりません。ただ正面の焚き火が異様に大きく燃えさかっています。
「フルートたちは……!?」
ポポロとポチが焦って見回していると、焚き火の向こうの森の中で、まばゆい光が輝きました。
「金の石!」
と一人と一匹は叫び、光の見えた方向へ飛びました。森に飛び込んだとたんポチの体が木々を揺らし、ざぁぁぁと潮騒のような音が湧き起こります。
金色の光の中心に、炎の剣を握ったフルートが立っていました。周囲をたくさんの食魔が取り囲んでいますが、光を恐れて近づいてきません。
ポチは大声で呼びかけました。
「ワン、フルート! どうして森の中に入ったんですか!? 何があったんです!?」
「おじいさんが食魔に食われたんだ! 探してくれ!」
とフルートが言いました。真っ青な顔で周囲の食魔を見回しています。
ポポロとポチは仰天しました。
「ワン、探すって、何か目印はあるんですか!?」
「ない――! どの食魔かわからないんだ!」
フルートの声は今にも泣き出しそうです。
ポポロも老人が食われたと聞いて大泣きしそうになっていましたが、フルートの声に、ぐっと涙をこらえました。すぐに魔法使いの目で森の怪物を見回し始めます。食魔は暗がりの中だけでなく、影の中にも穴に潜むように隠れていました。本当に数が多くて、どの食魔が老人を食ったのか見分けることができません。
すると、いきなり地上から石が飛んできました。誰かがポチ目がけて投げつけてきたのです。ポポロには当たりそうになかったので、ポチが様子を見ていると、フルートの声が響きました。
「よけろ! 食魔がいる!」
ポチがぎょっとした瞬間、空中の石から本当に食魔が出てきました。石の影にしがみついたまま首を伸ばし、大口を開けて襲いかかってきます。
ポチは必死で身をかわしました。ポポロの星空の衣が風をはらんではためき、赤いお下げ髪がなびきます。
そこへ食魔が食いついてきました。三つ編みにしたお下げの片方が食魔の口の中に消えます。
けれども、食魔の襲撃はそこまででした。放り投げられた石が落ち始めたのです。影に取り憑いた食魔もろとも、また地上へ落ちていきます――。
「ワン、ポポロ、大丈夫ですか!?」
「ポポロ! ポポロ! 無事か!?」
ポチやフルートが焦って尋ねると、ポポロは食魔に食い切られた髪を引き寄せて答えました。
「ええ、大丈夫……髪の毛が少し短くなっただけよ」
彼女の右のお下げは根元からぷっつりと切れていました。断ち切ったと言うより、一瞬のうちに溶かされて消滅してしまったような切り口です。今になって、恐怖で体が震え出します。
そこへまた空中に石が飛んできました。やはり石の影には赤い目が取り憑いています。
それをかわし、森を見下ろしてポチは驚きました。
「ワン、食魔が投げてきている! 空中のぼくたちを襲うつもりなんだ!」
「芳枝を使え、ポポロ! 早く!」
とフルートも地上から叫んでいます。
ポポロは大急ぎで肩から下げていたバッグを開けました。薄絹の肩掛けと一緒に入れてあった芳枝の小枝を、ぱきんと折ります。
とたんに石から飛び出してきた食魔たちが、また石の影に逃げ込みました。そのまま石と一緒に地上へ落ちていきます。
ポチはフルートの隣に舞い降りました。ポポロを地面に下ろすと、風の体で二人のまわりに渦を作ります。つむじ風はポポロの芳枝の匂いを周囲へ送り出しました。食魔の群れが大きく後ずさります。
フルートはポポロを抱きしめました。片方のお下げが消えてしまった髪を押さえて言います。
「ごめん、ポポロ……危険な場所に呼んでしまってごめん……」
声が震えます。老人を食魔に食われただけでなく、危なくポポロまで同じ目に遇わせてしまうところだったのです。食魔を甘く見すぎていた、と激しく後悔します。
怪物たちは芳枝の匂いを嫌って彼らのまわりから逃げ出していました。その中のどれがあの老人を食ったのか、見分けることはできません――。
その時、森の中がいきなり暗くなりました。
元から薄暗かった森の中ですが、それが一気に暗くなってしまったのです。フルートの金の石が照らしている場所だけが、明るい光に包まれています。
フルートたちは何が起きたのかわからなくて、周囲を見回しました。闇が濃くなっても、食魔たちが迫ってくる気配はしません。
すると、ポポロが叫びました。
「焚き火が食魔に食われているわ!」
フルートたちのまわりから逃げた食魔が、また仲間の取り憑いた石を投げ、そこから焚き火を食い始めていたのです。焚き火の炎が小さくなり、光が弱まってしまったので、森の中も暗くなったのでした。
フルートはまた顔色を変えました。
「鞘(さや)が――!」
と焚き火のほうへ駆け戻り始めます。炎を大きくするために焚き火のそばに炎の剣の鞘を置いたことを、思い出したのです。
まだ透視を続けていたポポロが言いました。
「食魔が鞘を食べようとしてるわ! ポチ、急いで!」
「ワン、わかりました!」
ポチはすぐに森を飛び出し、焚き火へ突進しました。その周囲には大小の石が何十個と転がっていて、影から食魔が姿を現していました。炎ごと薪を呑み込んでは影に飛び込むことを繰り返しています。焚き火の横には炎の石をはめ込んだ黒い鞘が置かれていました。そのおかげで焚き火はまだ激しく燃えていますが、食魔たちに削られて、炎はだいぶ小さくなっています。
すると、一匹の食魔が、こともあろうに、鞘が作る影に飛び込みました。シシシ、と耳障りに笑ってから、影から頭を出して鞘を呑み込もうとします。
「ワン、やめろ!」
ポチは必死で飛びましたが、とても間に合いませんでした。目の前で食魔が鞘に食いつきます――。
とたんに地面から鞘が消えました。空振りした食魔が、地面の土を食いちぎって、また石の影に飛び込んでいきます。
次の瞬間、黒い鞘はフルートの元に現れました。剣帯を締めた状態で、何事もなかったように背中に戻ります。炎の剣は古の魔剣ですが、その鞘にも同じ力があって、自ら主人の元へ飛び戻ってきたのでした。
ただ、鞘が離れたので、焚き火はいっそう小さくなりました。光が弱まり、弱々しく揺れるだけになった炎を、食魔があっという間に食い尽くしてしまいます。
あたりは一気に暗くなりました。遠くのかがり火の光は届くし、それを金色の壁が反射しているので、真の暗闇にはなりませんが、食魔を追い払えるほどの明るさはありません。
門の前に生まれた暗がりに、食魔たちが集まり始めました。あちこちで炎の防御を抜けようとしていた怪物たちが、すべて門の前に集まってきたのです。何百、何千という赤い目が闇を踊りまわり、金属をひっかくような笑い声が響き渡ります。
その様子をポチは上空から見ていました。食魔の大群が、黒い波のように門へと押し寄せていきます。ここを食い破られれば、食魔はユラサイ国の内側になだれ込んでしまいます。
「ワン、フルート、ポポロ――!」
どうしていいのかわからなくなったポチは、急いで森の中へ飛び戻っていきました。