「ゼン、気をつけなよ! あんまり先に出ると食魔に襲われるよ!」
紅門から南側へ三百メートルほど行った壁の前では、メールがゼンへ叫んでいました。彼らの目の前では大きな焚き火が明々とあたりを照らしています。その光が届く中は安全なのですが、ゼンは暗がりに近い光の端まで出ていって、森から現れる食魔へ矢を放っていたのです。
食魔はどんな武器でも攻撃でも、たちまち呑み込んでしまいます。もちろん矢の攻撃も効かないのですが、ゼンが撃っていたのは火矢でした。先端に油を染み込ませた布を巻きつけ、さらに矢尻の根元には小さな油の袋をくくりつけてあります。先端に火をつけて放つと、飛んでいった先で地面に落ちて小袋から油がこぼれ、そこに火が燃え広がるのです。
広がった火が光を放つので、食魔は光を嫌って後ずさっていました。無数の赤い目が森の中へ遠ざかっていきます。
ゼンがそれを追いかけるように、さらに前に出ていくので、メールはやきもきしていました。
「ゼン、あんまり前に出ちゃダメだってばさ! 深追いする必要なんかないんだよ!」
「わかってらぁ! ただ、この矢は重くてあんまり飛ばねえんだ! 前に出て撃つしかねえんだよ!」
とゼンはどなり返して、また火矢を放ちました。矢はよろよろと飛んで地面に落ち、広がった油にまた火が移ります。やがて、いくつもの火矢の炎が横につながり合い、低い炎の柵ができあがりました。大きな焚き火と食魔の間をさえぎります。
焚き火は相変わらず明々と燃えていますが、燃える炎が明るいほど、暗い影も生まれてしまいます。ゼンは、焚き火の根元で、まだ燃えていない薪が影を作っているのを見て、このままでは食魔が影に飛び移ってくる、と気がついたのでした。火矢と油で炎の防護柵を作って、薪の影を消し去ります。
そこへメールが駆けつけてきました。
「もう充分だよ、ゼン! 早く下がりなって!」
「馬鹿野郎、おまえこそ、なんでこんなところまで出てくる!? 危ねえだろうが!」
とゼンがどなった瞬間、本当に敵がすぐそばに出現しました。ゼンが火矢を放つ前に、薪が作る影に飛び込んだ食魔がいたのです。影が消えてしまったので、そこから飛び出し、近くにいたメールに襲いかかります。
「危ねえ!」
ゼンはメールを抱えて飛びのきました。食魔は空振りして地面に下り、炎が放つ光に照らされて悲鳴を上げました。あっという間にゼンの足元の影に飛び込んでしまいます。
うぉっとゼンはメールを放り出して飛び跳ねました。焚き火がその体を照らすので、反対側の地面には影ができてしまっています。その暗がりの中に赤い二つの目が光っていました。ゼンが下りてきた瞬間に襲いかかろうとしています。
「こんちくしょう!」
ゼンは素早くポケットに手を突っこんで、芳枝の小枝を折りました。ぱきっと小さな音がして、独特の香りが立ち上ります。
とたんに、影の中から食魔が飛び出しました。着地したゼンに背中を向け、一目散に森へ逃げていきます。
「ゼン!」
青ざめて飛びついてきたメールを、ゼンはまた抱き上げました。
「戻るぞ!」
と言って、金に輝く壁に向かって走ります――。
金の壁は炎の光を映して、鏡のように明るく輝いていました。炎の光は反対側に影を作ってしまうのですが、壁の光がそれを打ち消してくれます。
まばゆい光の中にたどりついて、ゼンは、ほっと息を吐きました。メールを下ろして言います。
「いいか、ここを動くな。影さえなければ、あいつらは近寄ってこれねえからな」
メールは心配そうに周囲を見回しました。老人が術を使って平らにならしてくれた地面ですが、それでもこうして光で照らすと、微妙な凹凸が陰影を作っていました。あの影伝いに食魔が近づいてきたらどうしよう、と考えます。
一方ゼンは荷袋から鉤(かぎ)のような金具のついた縄を取り出しました。それを壁の上へ投げて引っかけると、あっという間に哨戒路まで昇っていき、薪の大きな束を抱えてまた下りてきます。
焚き火には燃えていない薪がまだたくさんあったので、それは? とメールが尋ねると、ゼンは答えました。
「あっちの火の柵に足すんだよ。間もなく油が燃え尽きるからな」
ゼンがまた前へ出ていくと聞いて、メールは青くなりました。以前、ユウライ砦でゼンが食魔に手を食われたときのことを思い出して、恐ろしさに震えてしまいます。
すると、ゼンがメールの頭をぎゅっと押さえつけました。
「馬鹿、なんて顔してやがる。あんな連中にびびるなんて、渦王の鬼姫の名が泣くぞ」
メールはかっと赤くなりました。
「ば、馬鹿とはなにさ! ゼンはいつもドジだから、それで心配してるんじゃないか!」
怒った拍子に震えが止まります。
ゼンは、にやりとしました。
「ドジなんか踏まねえよ。火を食われたら、連中がおまえにまで襲いかかるんだからな。んなこと絶対にさせるか」
メールはまた真っ赤になってしまいました。今度は怒りのせいではありません。
ゼンはポケットから芳枝の小枝を取り出すと、口にくわえました。
「えらくまずいんだが、しょうがねえよな。両手がふさがっちまうんだから」
とひとりごとを言って、枝の端を強くかみ、広がった味に顔をしかめながら駆け出しました。その腕には薪の束が抱えられています。
ゼン、気をつけな――メールの祈るような声が追いかけてきます。
芳枝の香りは劇的でした。燃え尽きかけていた炎の柵にゼンが駆け寄ると、近くまで迫っていた食魔が、ざーっといっせいに後ずさります。
ゼンは急いで炎に薪を放り込んでいきました。新たな燃料を得て、炎がまた元気を取り戻します。あたりがいっそう明るくなったので、食魔はさらに森の奥へ下がっていきました。暗闇の中から目だけを光らせて、じっとこちらを見ています。
ゼンは薪をくべ終わると、改めてあたりを見回しました。
焚き火は壁に沿っていくつも燃えているし、森も壁に沿って長くずっと広がっているのですが、このあたりの食魔はゼンたちの前方の森に集まっているようでした。壁より人を食いたいと考えているのかもしれません。
ゼンは舌打ちしました。
「相変わらず、俺たちは餌かよ。だがまあ、あっちこっちに分散されるよりは、守りやすくていいかもしれねえな。そのままそこで、おとなしくしてやがれ」
はるか北のほうから、風がうなる音と犬の声が聞こえてきました。続いて中央の門のあたりで炎が高く燃え上がります。ポチやフルートたちも食魔と戦っているのです。
「そっちもがんばれよ」
とゼンはつぶやくと、メールが待つ壁のそばへ駆け戻っていきました――。