天空の国は地上に向かって高度を下げ続けていました。
その行く先に定められたのはロムド国でした。ホールの壁には、次第に迫るミコン山脈が映し出されています。それを越えて地上に墜落すれば、ロムドも天空の国も粉々になるだけでなく、大きな爆発が起きて、世界を火の海にしてしまうのです。
リューラ先生は運行局の中で笑っていました。デビルドラゴンはもう去ったはずなのに、まだ魔王のような言動を続けています。デビルドラゴンはリューラ先生の心の闇を増大させてしまったのでした。一度は絶大な力と天空の国を手に入れかけただけに、落胆のあまり、周囲を誰彼かまわず巻き添えにして、世界を破滅させようとしているのです。
「これがデビルドラゴンの本当の狙いだったのか……」
とフルートはうめきました。リューラ先生に取り憑いて天空の国に潜り込み、最終的には、天空の国を使って一番目障りなロムド国と光の民たちを消滅させようとしていたのに違いありません。
ゼンはリューラ先生に向かって拳を振り回しました。
「こんちくしょう! ぶっ飛ばすぞ! 絶対に、てめぇをぶっ飛ばす!」
と運行局に飛び込もうとして、レオンやポポロのお母さんに止められます。
「だめだ、入るな!」
「中に入ったら、あなたも石にされるわよ!」
運行局の中には石化の魔法がまだ続いていました。天空の国の行く先を決める装置も、それを動かす人々も、すべて堅い石になってしまっています。
フルートも歯ぎしりしながら入口に立ちつくしていました。金の石の光で照らされても、石になった人々は元に戻りません。金の石は石化の魔法を防ぐことができないのです。
「そう、君たちにこの魔法を解くことはできないよ。なにしろ、私は真の天空王なんだからね。私にまさる魔法使いは、この世に存在しないのさ」
とリューラ先生は言いました。とても穏やかそうな笑顔ですが、黒い目は、ぞっとするような暗さを浮かべています。
「私は、この世界を粉々にしたら、新たな世界を作ろうと思っているんだよ。そこは真に正しいものが正しく評価される世界で、無論、その王は私なんだ。天空王であり、地上と海の王でもある、唯一の世界王だよ。そのためには、古い世界は悪しき習慣と共にすべて焼き払って、再生させなくてはね――」
また足元が激しく揺れました。壁画の天空の国が、大きく揺れながらミコン山脈に近づいていました。地表からの気流にあおられて、動きが不安定になっているのです。それを見上げていたポチやルルが、思わず悲鳴を上げます。
「ったく……。どいつもこいつも、デビルドラゴンに取っ憑かれると、同じようなこと言いやがって」
とゼンは低く言いました。爆発寸前になっている声です。
フルートが、はっと振り向いたとき、ゼンはもう運行局に飛び込んでいました。それを止める暇など、まったくありませんでした。ゼンが拳を振り上げてリューラ先生へ突進していきます。
「おやおや、馬鹿な生徒がやってきた。石像がまたひとつ増えるね」
とリューラ先生は言いました。余裕の笑みを浮かべているだけで、その場から逃げようともしません。
ゼン!! と仲間たちが叫びます――。
ところが、全員の予想に反して、ゼンは石にはなりませんでした。運行局の中をごく普通に走って、リューラ先生に飛びかかっていきます。
リューラ先生は目を見張って驚いていました。
「何故だ!? 何故、石にならない!? 私の魔法は強力に続いているはずなのに――!」
「馬ァ鹿! 俺には魔法が効かねえんだって、何度言えば覚えるんだよ!? 魔法が使えなきゃ、てめえはただのチビの禿げ親父だ! これでも食らいやがれ!」
悪口と共に、ゼンはリューラ先生へ拳を繰り出しました。頭を殴りつけて、床にダウンさせます。
それを見て、仲間たちがいっせいに歓声を上げます。
ゼンは少し手加減をしていました。頭を抱えてうめくリューラ先生をぐいと引き起こすと、にらみつけて言います。
「ここの魔法を早く解け! そして、天空の国を元に戻せ!!」
すると、リューラ先生は顔を歪めながら笑いました。
「それは不可能だ……。ここを支配しているのは、わたしが魔王だった間に仕掛けた魔法なのだからな。例え私を殺したって、この魔法を止めることは不可能だよ。この国も地上も、破滅の運命からは逃れられないんだ」
「んだとぉ……?」
ゼンの声が不気味なほど低くなりました。リューラ先生は勝ち誇ったように笑い出します。デビルドラゴンは去ったはずなのに、悪魔のように見える笑い顔です。
ゼンはその顔の真ん中にまた拳を食らわせました。リューラ先生は吹き飛び、床に倒れて、そのまま気絶してしまいます。
けれども、リューラ先生の言ったとおり、先生が気を失っても、石化の魔法は解けませんでした。天空の国は相変わらず降下を続けています。
「なんとかしなよ、ゼン!!」
とメールがヒステリックに叫びました。運行局で動けるのはゼンひとりだけです。
ゼンはとまどって周囲を見回しました。
「なんとかしろって言われたって、何をどうしたらいいのかわかんねえよ。装置をぶっ壊せって言うなら、やってやるけどよ」
「だめよ!」
「そんなことをしたら、もう二度と天空の国はコントロールを取り戻せないぞ!」
とポポロのお母さんとマロ先生が青くなって叫びました。けれども、そう言う彼らにも、この状況をどうしたら良いのかわからないのです。
ホールの壁画の中で、地上の風景が音もなく近づき続けていました。雪を頂くミコン山脈が大きくなっていきます。ポチとルルはその光景を見ていられなくなって、思わず目をつぶりました。また足元が大きく揺れます――。
ポポロは真っ青な顔で壁画の前に立っていました。まるで何百メートルも全力疾走してきたように、肩で息をしながら自分の両手を見つめています。と、彼女は迷うように壁画の天空の国と自分の手を見比べました。何故か、泣き出しそうな顔になってしまいます。
その様子にフルートが気づきました。彼女のしぐさから、ぴんと来て言います。
「魔法がまた使えるのか、ポポロ!? 魔力が回復しているんだな!?」
ポポロは泣きそうな顔のままでうなずきました。彼女は闇の結界の中で魔法を二度とも使い切ったのですが、その後、結界が消えて元の世界に戻ったときに、光の力が押し寄せてきて、また彼女の魔力を復活させたのでした。短い時間の間に、二度も夜明けを迎えたのと同じ状況になっていたのです。
ただ、彼女にはその魔法をどう使えばよいのかわかりませんでした。落ちる天空の国を止めたいと思うのですが、国はあまりにも巨大なので、いくらポポロの魔法でも止めることはできません。すがりつくように、フルートを見つめてしまいます。
すると、フルートは一瞬真剣な顔で考え込んでから、反対側の壁を指さしました。
「天空の国をあそこへ移動させろ、ポポロ!」
そこには大海原が広がっていました。見渡す限りの青の中を、白い波が走っていきます。
え、そんなことって……と仲間たちは仰天しました。いくらポポロでも、そんな魔法を使うのはとても不可能のように思えます。
けれども、ポポロはひとりごとのように言い始めました。
「空間の置き換え……結界で包んで、入れ替えて……。位置ははっきりわかっているし……海ならば、巻き込まれる人も町もないところだし……」
ポポロ!? と全員はまた驚きました。彼女は緑の瞳を強く輝かせていました。本気で移動の魔法をやるつもりなのです。
フルートは海を指さしたまま言いました。
「移せ、ポポロ! 二つの魔法を一度に使うんだ!」
ポポロは両腕を胸の前で交差させました。その手の先が緑に輝き出します。ポポロ……とお母さんが呆然と見つめています。
「レツウニエウーノミウヨニクーノウクンテー!!」
ポポロは声高く呪文を唱えると、交差させた手をさっと横へ振りました――。