雨と霧に閉ざされた森を、一行は歩き続けました。
先頭は木の葉の蝶に案内されているメールで、そのすぐ後ろをゼンが行きます。ゼンは、霧の中から敵が現れたら即座に攻撃できるように、弓を握っています。
その後ろを行くのはポポロとフルートでした。ポポロは姿隠しの肩掛けを外し、涙をこらえる顔で歩いています。フルートのほうは剣を抜いて、周囲を警戒しながら進んでいきます。
その足元には、ポチとルルがいました。ポチは、ルルが歩きながら時々後ろを振り向くことに気づいていました。レオンのポケットに入っているビーラーを見ているのです。
何度目かにルルが振り向いた後、ポチはついに話しかけました。
「ワン、彼と話したいんですか? レオンに頼んでみましょうか?」
そう言ってから、ポチは苦笑いをしました。恋敵(こいがたき)とルルを引き合わせるようなことを言っている自分に、自分であきれてしまったのです。
あ、とルルは我に返り、あわてたように首を振りました。
「ううん、そうじゃないのよ。彼と話したいわけじゃないの。ただ、ちょっと……」
降りしきる雨の中、ルルは口ごもりました。雨音が激しいので、その声は一緒に歩くポチにしか聞こえません。
「ワン、ちょっと、なんですか?」
とポチは聞き返しました。彼は雨の中でも感情をかぎわけることができましたが、ルルから伝わってくるのが、ひどく混乱した匂いだったので、彼女が何を言いたいのか判断できなかったのです。
しばらくためらってから、ルルは言いました。
「ちょっと、なんだか……私が探してきた人と違う人みたい、って思っていたのよ……」
ポチは思わず、ぴんと耳を立てました。ルル!? と聞き返しますが、勢い込んだ声になってしまったので、ルルはその意味を誤解しました。
「あ、ううん、彼は本当にあの時の白い犬よ! 顔も姿も同じなんだもの、絶対間違いないわ! だけど……どうしてかしら。一緒にいればいるほど、なんだか、あの時とは別人みたいな気がしてくるのよ」
顔も姿も同じ? とポチは呆気にとられました。ルルを助けたのは、大人になったポチです。ビーラーではなかったのですから、そんなはずはないのですが――。
とたんに、ポチはその理由に気がつきました。そうか、そういうことだったのか、とようやく合点(がてん)がいきます。
ルルはまだ首をかしげていました。
「変よね。あの人が双子ってわけでもないみたいなのに……。私の気のせいなのかしら」
う、うん、とポチは曖昧(あいまい)に返事をしました。それ以上突っこんだ話もできなくなって、歩くのに専念するふりをします――。
すると、行く手でゼンが言いました。
「気をつけろ。また敵が来るぞ」
ゼンはまた首の後ろをなでていました。全員が肩掛けをまとったポポロと手をつなぐと、たちまちその姿は外から見えなくなります。
レオンは隣にいたフルートに話しかけました。
「どうしていつもゼンには敵が来るのがわかるんだ? 透視もできないし匂いもかげないっていうのに」
「ドワーフ猟師の勘(かん)だよ。特にゼンの家系は、この勘が鋭いんだ――。ぼくも以前、一時期、あんな感じに敵の襲撃がわかったんだけれど、今はもうさっぱりだから、ゼンに全面的に頼っているんだ」
とフルートは答えました。フルートの勘が鋭くなったのは、記憶を失ったマモリワスレの戦いのときのことでしたが、そんな話をゆっくりしている暇はありませんでした。行く手の霧の中から、ぱしり、ぱしりと枝の折れる音が聞こえてきます。巨大な生き物が近づいてくるのです。
全員は手をつなぎ、犬を抱いて、身を寄せ合いました。音が迫り、近くの木々の枝が大きく揺れます。獣の息づかいも雨の中から聞こえます。
けれども、巨大な生き物は、とうとう姿を見せないまま遠ざかっていきました。ぱしりっ、ぱしりっ、と枝の折れる音が遠ざかって行きます――。
全員は、ほうっと大きな息を吐きました。
「今のはなんだったんだろう?」
とフルートが言うと、メールが木の葉の蝶とことばを交わしてから言いました。
「この子にも正体はわからないって。でも、ああいうのが来ると、近くにいた動物や鳥は全部食われちゃうから、隠れて正解だってさ」
「なんだか闇の森みてえだな」
とゼンが正直な感想を口にして、レオンやビーラーに嫌な顔をされます。
けれども、フルートはやっぱり少しもひるみませんでした。
「行くぞ。マロ先生の隠れ家までは、あとどのくらいだ?」
「もう少しだ、ってさ。この子が言ってるよ」
メールが急いでまた先頭に立って歩き出します――。
一行はさらに歩き続けました。雨はますます激しく降り、斜面を水が川のように流れていきます。それに足を取られないように気をつけながら、案内に立つメールを追い続けます。
すると、フルートとポポロが歩いた後の斜面が、いきなり崩れ落ちました。ざざざ、と音を立てて土砂が流れていきます。
レオンは寸前のところで立ち止まって無事でしたが、土砂崩れの痕が大きな窪み(くぼみ)になって、通れなくなってしまいました。
レオン! とフルートたちに呼ばれて、少年は答えました。
「大丈夫だよ! 今、そっちに行く!」
言った次の瞬間には、彼はもうフルートたちと同じ場所へ来ていました。魔法で場所移動したのです。
「気をつけていこう」
とフルートが言い、一行はまた歩き出しました。降りしきる雨にすっかりゆるんだ地面に注意しながら、一歩一歩進みます。
すると――
誰かがいきなり後ろからレオンの肩をつかみました。彼は列の最後尾にいたのですから、誰もいないはずの場所です。
レオンが息を呑んで飛び上がったので、仲間たちは振り向きました。フルートとゼンが剣や弓を構えて駆け戻ります。
「誰だ!」
「敵か!? 出てきやがれ!」
レオンは背後の下のほうへ目を向けました。彼をつかんだ手はそちらから伸びてきたのです。
とたんに、髪の薄くなった頭が目に飛び込んできました。穏やかな丸い顔が、驚いたように彼を見上げています。
「ようやく見つけたよ、レオン。金の石の勇者たちも。こんなところで、いったい何をしているんだね?」
「リューラ先生!?」
と一同は声を上げてしまいました。副校長のリューラ先生がここにいるわけがわからなくて、ぽかんとしてしまいます。
あ、あの……とレオンが面食らっていると、リューラ先生は周囲を見回してまた言いました。
「この雨は君のしわざかい、レオン? 何故こんなことをしているんだね? 降らせすぎだよ」
先生が呪文と共に両手をさっと振ると、とたんに雨が弱まってきました。たたきつけるような雨粒が細かくなり、雨音が静かになっていきます。
「ここって、いつもこんなに雨が降ってるわけじゃねえのか!?」
とゼンが驚くと、リューラ先生は言いました。
「もちろんだよ。ここは霧の森であって、土砂降りの森ではないからね。レオンのしていることではないのかい? では、誰の魔法だろう?」
先生が不思議そうに話している間にも、雨は小降りになって、ついにやんでしまいました。ただ白い霧が漂うだけになります。
「あの……リューラ先生がどうしてここにいらっしゃるんですか……?」
レオンがようやく尋ねると、先生はちょっとにらむような顔になって、それを見上げ直しました。
「君を捜していたのに決まっているだろう。図書館に隠れていたり、急に姿を消してしまったり。何事があったのかと心配していたら、図書館からすごい騒動が聞こえてきた。驚いて飛んでいったら、霧の森に向かう君たちが見えたから、急いで追いかけてきたんだよ――。さあ、今度こそ、何がどうしたのか、しっかり教えてもらおうか。何故、こんなところに来たんだね? 君たちはいったい何をしているんだい?」
表情は穏やかでも、リューラ先生の声には厳しいものがありました。レオンは答えに詰まり、そ、それは……と言いながら、思わずフルートを振り向いてしまいました。フルートも、どう返事をしたものか、とっさには思いつけずにいました。これ以上先生をごまかすのは、難しいような気もします――。
すると、突然メールとポポロが声を上げました。
「霧が晴れてきたよ!」
「家が見えるわ! マロ先生の家よ……!」
薄れ始めた霧の切れ間に、大きな屋敷が姿を現していました――。