風の犬になったポチとルルは、一行を乗せて天空城を飛び出し、そのまま山の麓へ急降下していきました。
ポチの背中からレオンが指さします。
「あそこが霧の森だ」
眼下には白くけむった森が見えていました。周囲はよく晴れているのに、そこだけが深い霧に包まれているのです。
「ワン、不自然な霧ですね」
とポチが言うと、ルルが答えました。
「古い魔法であんなふうになっているんだって言われているわ。闇の怪物はいないけれど、失敗した魔法から生まれた生き物も逃げ込んでいるから、かなり危険な場所よ。誰も近づきたがらないわ」
「だからこそ、隠れ家にはちょうど良かったわけか」
とフルートは言いました。相変わらず厳しい声です。
やがて森が目の前に迫ってきました。濃い霧に包まれているので、木々の梢が黒くかすんで見えているだけです。
すると、ゼンが急に身を乗り出しました。森へ目を凝らして声を上げます。
「止まれ、ルル、ポチ! あの霧ん中で雨が降ってやがるぞ!」
えっ!? と犬たちは驚きましたが、勢いがついていたので止まることができませんでした。霧の中へ突入してしまいます。
とたんに、ざあああ……と耳をふさぐような音と共に、激しい雨が打ちかかってきました。小石のように大粒の雨です。
たちまちルルやポチは変身が解けて、犬の姿に戻ってしまいました。背中に乗っていたフルートたちと一緒に地上へ墜落していきます。
全員が思わず悲鳴を上げると、レオンの声がしました。
「ローリオニンメージ……」
激しい雨音の中、呪文はかすかに聞こえるだけでしたが、全員の体が空中でふわりと止まりました。すぐにゆっくりと下り始め、木々の梢を抜けて、十数メートル下の地面へ無事に降り立ちます。
足が地面に着くと、全員は、ほっとしました。
「ほんとにやるな、おまえ! すげえぞ!」
ゼンが、ばんとレオンの背中をたたいたので、レオンはまた咳き込んでしまいました。
フルートは周囲を見回しました。木々が枝を広げているので、その下は雨脚が少し弱まっていますが、それでも降り方が激しいので、視界はほとんど効きません。
「こんなに狭い範囲で、しかも森の中だけで雨が降っているだなんて、地上ではありえないな。マロ先生の家はどこだ?」
「あっちの方角なんだが……この森に入ってから透視ができなくなった。どうやらこの雨のせいのようだな……」
とレオンがまだ咳をしながら言いました。
「あたしもよ。雨にさえぎられて森の中が見通せないわ……」
とポポロも言いました。まだ泣いているのかもしれませんが、降りかかってくる雨に全身ずぶ濡れになっているので、雨も涙も見分けがつきません。
「しかたがない。歩いて探そう」
とフルートが言い、全員は森の中を進み出しました。
雨は相変わらず強く降り続け、霧も出ていて、見通しはまったく効きませんでした。
「ワン、方角が全然わからない」
「ったく、地上なら自分がどっちへ向かってるのか、すぐわかるのによ」
とポチとゼンが歩きながらぶつぶつ言っていました。彼らの抜群の方向感覚も、天空の国ではまったく役に立たなくなっていたのです。じきに全員が進む方向を見失ってしまいます。
「マロ先生の隠れ家はどこだ――?」
とフルートが歯ぎしりしていると、急にゼンが飛び上がりました。濡れた首筋に手を当てながら言います。
「やべえのが来るぞ! 隠れろ!」
「か、隠れるってどこへさ!?」
とメールが聞き返しました。周囲は雨と霧に閉ざされているので、どこに何があるのかまるでわからないのです。全員が一箇所に寄り集まり、あたりを見回します。
すると、ふいにポポロの姿が見えなくなりました。同時に、彼女の声が聞こえてきます。
「みんな、手をつないで……! 早く!」
全員があわてて手をつなぐと、再びポポロの姿が見えるようになりました。彼女はずぶ濡れの体に薄絹をまとっていました。姿隠しの肩掛けをまた身につけて、近くにいたフルートとゼンの手を握ったのです。
フルートたちまで消えてしまったので、ポチとルルがきょろきょろしていました。レオンとメールが急いでそれを抱き上げ、全員が外からは見えなくなります。
そこへ、霧の中から突然巨大な生き物が現れました。いやに縦長の顔の両脇に大きな目が飛び出し、鋭い牙の生えた口が、ぱくぱくと開閉を繰り返しています。
メールは目を丸くしました。
「こいつ、魚だよ――?」
しっ、とフルートが言いました。生き物が大きな目玉で、ぎょろりとこちらを見たからです。全員は息を殺し、いっそう近くに身を寄せ合いました。
メールが言ったとおり、それは本当に巨大な魚でした。うろこでおおわれた体が霧と雨の中から出てきて、身をくねらせながら彼らの目の前を行きつ戻りつします。水の中のように空中を泳ぎ回っているのです。
大魚は彼らを捜していましたが、どうしても見つけることができなくて、やがて離れていきました。巨大な尾びれが雨の中に見えなくなっていきます――。
全員は、ほっと安堵しました。
「父上の城にも空飛ぶ魚はいたけどさ、あんなにでかいのは初めて見たよ」
とメールが言うと、レオンが答えました。
「あれは龍魚(りゅうぎょ)だ。龍と魚から作られた魔法の生き物で、あんなふうに水の外で生きているんだ。凶暴な奴だから、もうすっかり退治されたと思っていたんだが、こんなところにまだ生き残っていたんだな」
「やっぱりここは油断できない場所だな」
とポケットからビーラーも言います。
ゼンはフルートに言いました。
「おい、どうする? このままむやみに歩き回ったって、危険なだけだぞ」
フルートは考え込む顔になっていましたが、そう言われてメールを振り向きました。
「ここは特別な場所だから難しいかもしれないけれど、やってみよう。メール、森の植物にマロ先生の隠れ家を聞いてみてくれ」
「あ、そっか――。森に住んでるなら、木が知ってるかもしれないんだね。わかった、聞いてみるよ」
とメールは答え、仲間たちから離れて近くの木へ歩み寄りました。幹にそっと手を触れて何かを話しかけ、すぐに離れて別の木へ行くと、また手を触れて話しかけます。
その様子を見て、レオンが言いました。
「彼女は木と話せるのか。古代エルフから大海の孤島に住む森の民に受け継がれたと言われる魔法だな。彼女は森の民だったのか」
「半分はな。あいつは西の大海の渦王と森の民の姫の間に生まれた王女なんだよ」
とゼンが答えます。
「ワン、でも、うまく話せるかな。いくらメールでも、意地悪な植物とは話ができないって言ってましたよ」
とポチは心配していましたが、間もなくメールが、ホントかい!? と嬉しそうな声を上げました。さらに二言三言、木と話してから、仲間たちのところへ駆け戻ってきます。
「マロ先生の家を木が知ってたよ。この子が案内してくれるってさ」
メールがそっと開いた手の中には、小さな木の葉でできた蝶がいました。緑の葉の羽根をゆっくりと動かしています。
「葉っぱを蝶にしたのか? そんなこともできるようになったんだ」
とフルートが感心すると、メールは首を振りました。
「違うよ。あの木は、こんなふうに葉を自由に飛ばすことができる魔法の木なのさ。頭もいいから、マロ先生の家も知っていたんだよ。ただ、この雨じゃ葉っぱの蝶は飛べないから、方角を教えてくれるってさ。あたいたちについておいでよ」
そう言うと、メールは木の葉の蝶を入れた手を耳元に近づけ、誰にも聞こえない声を聞きながら歩き出しました。他の仲間たちはその後に続きます。
雨はまだ激しく降り続いていました。濃い霧もかかっていて、本当に、周囲がどうなっているのかまったくわかりません。
「雨のせいで匂いもまったくわからない。こんな状況で進めるんだから、彼らは本当にすごいな」
とビーラーが言ったので、レオンは素直に同意しました。
「うん、まったくだな。本当に大した連中だ」
フルートたちに反発する気持ちは、不思議なくらいすっかり消えてしまっていました。どんな状況でもあきらめることなく、自分たちにできることを探す姿に、ただただ感心するばかりです。
けれども、そんな彼らも、レオンの魔法には感心してくれました。すげえぞ、とゼンにたたかれた感触が、背中にまだ残っています。レオンは、こっそり笑ってしまいました。心の奥底から得意な気持ちが湧き上がってきます。学校の試験で初めて一番の成績を取ったときより、もっと嬉しい気がします――。
金の石の勇者の一行と共に、レオンとビーラーは森の中を進んでいきました。