天空城の図書館は静寂に包まれていました。
たくさん人々が本を探して歩き回ったり、机で調べ物をしたりしていますが、幻のように透き通った姿になっているので、音はほとんど聞こえないのです。静けさの中を、蝶のような図書館の精霊が、羽根を震わせて飛び回っています。
すると、精霊の背後で、かすかな音がしました。扉が閉じたような音だったので、精霊は驚いて振り向き、後ろの壁に並ぶ扉へ飛んでいきました。勉強や研究のために使われる個室ですが、今は誰も利用していなかったのです。
「……?」
精霊は不思議に思いながら、扉の鍵を開けて、部屋をひとつずつのぞいていきました。どの部屋にも、やっぱり人影はありません。
「聞き違いかしら?」
精霊は首をひねりながら、また鍵をかけ、扉から離れていきました――。
けれども、それは姿を消したフルートたちのしわざでした。レオンの魔法で個室の扉を開け、中に隠れていたのです。精霊が扉を閉めて離れていくと、全員は、ほっとしました。
「この部屋の内部に魔法をかけた。ここで話した声は外には聞こえないから、もう話しても大丈夫だよ」
とレオンが言ったので、皆、いっそう安心します。
「マロ先生が現れて帰る時間になるまで、ここで待とう」
とフルートが言うと、ゼンが尋ねました。
「手を離してもいいか? ずっとつないでいたから、汗をかいちまったぞ」
「手は離しても、ポポロからは離れないでくれ。いつまた誰が部屋をのぞくかわからないからな。ルルやポチも、ぼくたちに触れたままでいるんだ」
そこで、全員は体をくっつけ合うようにして部屋の中に座りました。部屋の真ん中には椅子が並んだテーブルがあったので、それを避けて、壁に寄りかかります。ポチとルルはフルートとゼンの膝に乗りました。
「ここって、誰も使わないわけ?」
とメールが部屋を見回すと、ポポロが言いました。
「勉強室だから、そのうちに使う人が来るかもしれないわ……。そうしたら、また別の部屋に移らなくちゃいけないわね」
「今は試験前じゃないから、勉強室を使う奴はあまりいないさ。多分大丈夫だろう」
とレオンが答えます。
時刻は午後の二時頃でした。
天空の国の時間は不規則ですが、それでも夕暮れまでには時間がありそうなので、図書室の見張りはポポロとレオンが交代ですることになりました。まずポポロが扉の向こうへ遠いまなざしを向けます。
フルートとゼンは壁によりかかったまま、昼寝を始めました。ポチとルルもその膝の上で眠り始めます。みんながあっという間に寝てしまったので、レオンがあきれていると、メールが言いました。
「あたいたちは戦士なんだよ。戦士はどんなところでも食べて眠れなくちゃいけないのさ。そうしないと最善の状態で戦えないからね」
戦士――とレオンは繰り返しました。少し考えてから言います。
「君たちは本当に勇者なんだな。君たちの話は天空の国でも有名だし、四年前にこの国を魔王の白い呪いから開放してくれたことも、もちろん知っていたけれど、正直、こんなすごい奴らだとは思ってもいなかった。フルートもゼンもポチも、魔法も使えないのに、捨て身で戦人形やシーサーに飛びかかっていくんだからな。それも、何度も何度も。信じられなかったよ」
「いつものことさ。それに、フルートがそういう戦い方をするから、自然と、あたいたちも似たような戦法になっちゃうんだよね」
とメールが屈託なく笑ったので、レオンは思わず溜息をつきました。なんだか圧倒されてしまったのです。
一方、魔法で小さくなったビーラーは、レオンのポケットから身を乗り出して、フルートの膝で眠るポチを眺めていました。小犬のポチですが、今はビーラーの何倍もの大きさになっています。それをつくづくと眺め、銀色に光る風の首輪を見ながら口を開きます。
「彼の首輪は亡くなった父の形見だ、って先に言っていたよね? ということは、彼の父親は天空の国の犬だったのか?」
「うん、そうさ」
とメールは話し続けました。彼女自身は今はまったく眠くなかったので、レオンやビーラーと話ができるのが、いい退屈しのぎだったのです。
「ポチはお父さんを全然知らないんだけどね、天空の国のもの言う犬が父親で、地上の犬が母親だって話さ。お母さんが白い犬で、ポチはそれに似たらしいよ」
「ぼくの母上も白い犬だ」
とビーラーは答え、少し考えてから、また尋ねました。
「彼の父親はどうして亡くなったんだろう? 何か聞いているかい?」
「なんでも、主人を危険から守って死んだらしいね。天空王がその風の首輪を預かって、風の犬の戦いでポチが活躍したご褒美に、ポチにくださったのさ」
「どうした、ビーラー?」
ビーラーが妙にポチにこだわっているので、レオンが尋ねると、犬はさらに考えてから言いました。
「彼は……ぼくの従兄弟(いとこ)かもしれないな。ぼくは代々風の犬になる家系に生まれているんだけれど、ぼくの父上の弟に、地上で主人を守って戦って死んだ犬がいるんだ。今から十三年くらい前のことさ」
ええっ!? とメールは声を上げました。外の監視をしながら話を聞いていたポポロも、驚いて振り向きます。
「ポチは今十二歳よ! 時期的に合うわ! あなたの叔父さんが、ポチのお父さんだったの……!?」
「ポチ! ちょっとポチ、起きなったら!」
とメールは小犬を揺り起こしました。その声で寝ていたフルートたちも目を覚まします。
話を聞かされると、ポチは跳ね起きました。
「ワン、あなたの叔父さんって、どんな犬だったんですか!? いつ、どんなふうにして亡くなったんです!?」
自分の数倍もあるポチが顔を近づけてきたので、ビーラーは思わずポケットの中で身を引きました。
「ぼ、ぼくが生まれたときには、叔父上はもう貴族を運ぶ役目をしていたから、小さい頃に二、三度会っただけだったけれどね……物静かで、とても頭のいい犬だったよ。でも、忠誠心は人一倍強い奴なんだ、とぼくの父上は言っていた。そういえば、兄弟揃って似たような女性の趣味をしているな、と父上が笑って話していたのも覚えている。君の母のことだったのかもしれないな」
「ビーラーのお母さんも白い犬なんだって」
とメールが急いで補足します。
ポチは呆然としました。天空の国へ来れば、自分の父親を知っている人に会えるかもしれない、と漠然と期待してはいましたが、それにしてもあまりに急な話でした。しかも、知っていた相手は、こともあろうにビーラーだったのです。
ポチはとまどい、必死で考えをまとめようとしながら言いました。
「ワン……あなたの叔父さんは、どうして死んだんですか? ぼくのお父さんは、ご主人を守って勇敢に戦って命果てたんだ、って天空王から教えられていたんだけれど……」
「それを聞いたから、君が叔父上の息子じゃないかと思ったんだよ。叔父上は、ご主人や他の貴族たちと一緒に、天空王様からトロル退治を命じられて、地上に下りたんだ。季節は真冬で、しかも非常に寒い場所だったから、叔父上は吹雪に遭って仲間からはぐれたうえに、変身していることもできなくなった。そこへトロルが襲ってきたから、犬の姿のまま戦って、命がけでご主人を守ったんだよ」
「その叔父さんの首輪の石の色は? 緑色だったかい?」
とフルートは尋ねました。
「はっきりとは覚えていないけれど、多分……。父上に首輪を見せれば、絶対にわかるはずだ」
「ワン、フルート、ビーラーのお父さんに会いに行きましょう! ポポロたちのお母さんたちを助け出した後で!」
とポチが張り切ります。
ゼンは腕組みして、うぅむとうなりました。
「ポポロの母ちゃんたちを助けに来て、ポチの親父さんのことがわかるとは思わなかったな。で? そのご主人ってヤツは、今も元気でいるのか? そいつに聞けば、ポチの親父さんのことは、もっとよくわかるはずだよな?」
「その話はぼくも初耳だ。おまえの叔父さんの飼い主は誰だったんだ?」
とレオンも尋ねます。
とたんに、ビーラーは、はっとした表情になりました。何故かとまどうように視線を泳がせてから、一同に言います。
「えぇと……叔父上のご主人っていうのは、今ぼくたちが張り込んでいる人物さ……。マロ先生なんだよ」
ビーラーの返事に、フルートたちは本当に驚きました。
「嘘だろ! 何かの間違いじゃないのかい!?」
「ポチの親父さんの主人が、ポポロの母ちゃんたちを誘拐したってのかよ!? なんでそんなことしやがるんだ!?」
とメールやゼンがわめきます。
「理由はわからない。だけど、叔父さんのご主人はマロ先生だった。これだけは間違いのない事実だよ」
とビーラーが答えます。
全員は顔を見合わせてしまいました。あまりに思いがけない話だったので、誰も何も言えません。
すると、突然、彼らのいる部屋のドアノブが、がちゃりと回りました。
「中に誰かいるのか?」
男の声と共に、扉が開きました――。