消魔水の井戸の中で戦人形と激戦を繰り広げたフルートたちは、レオンの魔法で、一瞬のうちに別の場所へ移動しました。木の壁と床と天井が彼らの周囲に現れます。
そこはこぢんまりとした一室でした。中央にはテーブルが、壁の前には長椅子やベッドがありますが、ドアや窓はどこにも見当たりません。
「ここは?」
とフルートが尋ねると、レオンは言いました。
「ぼくの隠れ家さ。ぼくの家の敷地と光の通り道の間にあって、どっちにも属していない場所なんだ。ここなら誰にも見つかる心配はないよ」
「光の通り道?」
とフルートはまた聞き返しました。聞いたことがあるような気がしましたが、すぐには思い出せません。
「世界の様々な場所をつないでいる通路さ。ぼくたち魔法使いは、そこを通って遠い場所へ移動するんだ。今もそこを通ってここに来たんだよ」
ああ、とフルートは思い出しました。
「そういえば、神の都の戦いでミコンに行くときに通ったことがある。白さんたちは別空間って名前で呼んでいたな」
今からちょうど一年前の出来事です。
「ワン、つまり天空の国があった場所とは別の空間にある部屋なんですね。だから隠れ家なのか」
とポチが賢く理解します。
すると、ビーラーが部屋の中を歩き出しました。きょろきょろと見回してから、意外そうに主人を振り向きます。
「レオンはこんなところに部屋を作っていたのか。全然知らなかったよ」
レオンは肩をすくめ返しました。
「誰にも教えたことがなかったからな。ここを作ったのは三年くらい前のことさ。ずっと秘密にして、誰にも話さずにいたんだ」
それを聞いて、ゼンが目を丸くしました。
「三年も? おまえ、時々はここを使っていたんだろう? おまえがいなくなっても、誰も騒がなかったのかよ?」
レオンは、ふふんと鼻で笑いました。
「気づかれるもんか。ここに来たくなったら、代わりに写し身を置いてきたからな。父上も母上も先生も、誰も気がつかないさ」
「ご両親も?」
と今度はフルートが目を丸くしました。親の目まであざむけるというのは、相当のことのような気がします。
「もちろんさ。父上は貴族だから、まだぼくより魔力が上のようなつもりでいるけれど、実際にはもう、ぼくのほうが魔法はうまくなっているんだ。ただ、ぼくはまだ天空王様から貴族として認められていないだけだ――」
レオンの声が急にひどく悔しそうになったので、フルートたちは、はっとしました。少年の横顔が唇をかむのを見つめます。
ビーラーは首をかしげながら話を聞き、少し考えてから言いました。
「ひょっとして、父上が君にお説教をするときには、写し身に話を聞かせて、君自身はここに来ていたのか? あんなに長くてうるさい話によくつき合っているなぁ、と思っていたんだけれど」
「あたりまえだ。父上は、二言目にはおまえも早く貴族になれ、貴族になれないような奴は我が家の恥さらしだ、なんて話ばかりするからな。まともに聞いていたら、こっちの頭がおかしくなる。父上が説教を始めそうだと思ったら、すぐに写し身を出して、さっさとここに避難していたのさ。ここで快適に過ごして、父上の話が終わった頃に、何食わぬ顔で戻っていくんだよ」
レオンの話し声は妙に乾いていました。後ろに立つポポロへ目を向けて、いっそう皮肉に笑います。
「父上は三年前くらいから急に口うるさくなったんだ。ポポロが天空の国で最年少の貴族になったからさ。ポポロとぼくは同い年だ。父上としては、自分の息子が同級生に追い抜かれるのが我慢できなかったんだよ――。ぼくは父上の名誉のために生きているわけじゃないのに」
最後のひとことが、ひやりとするほど鋭い響きを帯びました。フルートたちは絶句し、ポポロはたちまち涙をこぼし始めます。
けれども、レオンはそんな一同の様子に頓着(とんちゃく)しませんでした。呪文を唱えて部屋に椅子を増やし、長椅子と一緒にテーブルの回りに並べます。
「座れよ。今、食べものを出してやる」
と彼が本当に魔法で食事を出したので、フルートたちは歓声を上げてしまいました。得体の知れない敵から命を狙われ、ポポロの家も襲撃されて、非常に切迫した状況でしたが、それでもしっかり腹は減っていたのです。テーブルに並んだ料理のおいしそうな匂いに、全員の腹の虫がぐうぐう鳴り出します。
「まずは食え、だ! 考えるのは後回しにしてよ、とにかく食おうぜ!」
とゼンが言ったので、全員はそれに賛成してテーブルを囲みました。
パン、スープ、豚のあぶり焼き、羊の煮込み料理、野菜の冷製、鶏肉と木の実のパイ、甘い菓子やクリームをたっぷりかけたフルーツ……。レオンが魔法で出した食事は、城の晩餐会(ばんさんかい)のように豪華でおいしいものでした。フルートたちは片端から平らげていくのですが、いくら食べても皿や器は空っぽになりません。食べてもすぐまた料理が補充されていきます。
「こんなにうまいもんを魔法で出せるのか。すげえな、おまえ」
とゼンがレオンを誉めました。肉やパイを口にいっぱいにほおばりながらです。
ふふん、と少年はまた笑いました。
「自分の魔法で全部作っているわけじゃないさ。家の食卓や台所から失敬した料理を、魔法で保存しておくんだ。こんなふうにいつでも食べられるようにね。それが賢いやり方ってものさ」
相変わらず生意気なもの言いですが、それでも、ゼンに誉められて、まんざらでもない表情をしています。
ポポロとルルも、少しずつですが料理を食べていました。行方不明のお母さんを心配する二人に、フルートがこう言ったからです。
「ポポロは天空の国にいれば、どこにいてもお母さんの声を聞くことができる。そのお母さんに何かあれば、絶対にポポロにも伝わっているはずさ。それがなかったということは、お母さんはちゃんと無事でいるっていうことなんだよ。――大丈夫、必ずまたお母さんに会えるから」
ポポロは菓子のようなパンを食べながら、時々涙を拭いていました。大丈夫だと思いたくても、やっぱり不安で涙が出るのです。すると、フルートがポポロに腕を回しました。励ますように強く抱き寄せます。
一方、ルルの横にはずっとポチがいました。食卓から彼女の食べられそうなものを運んできては、一緒に食べていたのです。こちらも時々心配して涙をこぼすので、そのたびにポチが涙をなめてやっていました。
そのうちに、食卓が急に静かになっていきました。食器にスプーンやナイフの当たる音がやみ、話し声も聞こえなくなってしまいます……。
気がつくと、彼らは食事の途中で眠ってしまっていました。レオンとゼンはスプーンを握ったままテーブルに突っ伏して、いびきをかいているし、フルートは長椅子でポポロを抱き寄せたまま、二人揃って寝ています。ルルとポチも、テーブルの下で眠っていました。体の大きなルルに小さなポチが精一杯寄り添う恰好です。
目を覚ましているのは、メールと犬のビーラーだけでした。全員を見回してメールが言います。
「まあ、無理ないよねぇ。フルートたちは井戸の中でものすごい戦いをしてきたし、ポポロとルルはもう何時間も泣き通しだったんだもん。みんな、へとへとだったのに決まってるもんね」
すると、食卓の上から料理が次々と消え始めました。器ごとなくなって、すぐにテーブルが空っぽになります。レオンが眠ったので、料理の魔法が切れてしまったのです。メールとビーラーの前からも食べかけの料理が消えていきましたが、その頃にはもうほとんど満腹になっていたので、二人とも特に不満はありませんでした。
すると、レオンの足元にいたビーラーが、床に座り直しました。二匹寄り添って眠るルルとポチをしばらく眺めてから、口を開きます。
「最初に彼らに会ったとき、ぼくは彼をルルの弟かと思ったんだけれどね。でも、どうやら違ったみたいだな。彼はルルの恋人なんだ。そうだろう?」
メールはちょっと笑いました。
「そうさ。体こそまだ小さいけど、ポチは本当に勇敢だし、頭もいいからね。ルルだって、本当はポチをとても頼りにしてるんだよ」
「それはわかっていたよ――。だって、家から帰ってきてから、彼女はぼくになんて、まったく目もくれなかったからね。まるで無視して、ずっと彼にすがっているんだから、いやでもわかるさ」
「ま、人の手柄を自分のものにしてルルをたぶらかそうったって、そうは問屋が卸さない、ってことだよね」
歯に衣着せないメールに、たぶらかすだなんて、そんな! とビーラーが抗議します。
メールはひとしきり笑うと、改めて雄犬を見て言いました。
「でもさ、予想外だったのはあんたも同じだよ、ビーラー。あんた、ずっとご主人のほうを心配して、そっちについていたじゃないか。ルルが泣いているから、またあの白い犬のふりをして、ルルを慰めに行くのかと思ったのにさ」
ビーラーはたちまち憮然としました。
「そんなこと、できるわけないだろう。もうとっくにばれているのに」
メールはまた声を上げて笑い、長椅子でフルートとポポロが身動きしたので、おっと、と口を押さえました。
「もうしばらく、静かに寝せといてやろうね……」
眠り続ける仲間たちを見回して、メールは優しくそう言いました。