風の犬に変身したポチは、つむじを巻いて井戸を駆け下りました。
「ワン、みんな早く乗ってください!」
と水面に浮いている仲間たちへ呼びかけます。
「よっしゃ! まずおまえだ!」
とゼンがレオンを捕まえて持ち上げたので、レオンは驚きました。
「む、無理だよ! ぼくはポチの飼い主じゃないから、背中には乗れない――」
けれども、ゼンはかまわずレオンを放り投げてしまいました。全身ずぶ濡れになった少年がポチに向かって飛びます。
すると、その体がポチの上に乗りました。あわててしがみついたレオンの手に、暖かい背中と毛並みの感触が伝わってきます。
また驚いたレオンに、ポチが笑うように言いました。
「ワン、ぼくには飼い主なんかいませんからね。ぼくの友だちだったら、誰でもぼくに乗れるんですよ」
「と、友だち……?」
レオンは思いがけないことばに目を丸くしました。急に気恥ずかしくなって、うろたえてしまいます。
一方、水面ではゼンとフルートが足元を見ていました。ごぼり、どどど、という奇妙な音が、暗闇の中から近づいていたのです。
「人形の野郎だな。だが、なんだこの音?」
「わからない。追いかけてくる速度も、さっきよりずっと遅いんだ。今のうちに早くポチに乗ろう」
「よし」
ゼンは今度はフルートをつかんで放り上げました。ポチが上手にそれを受け止めます。
「ゼン、つかまれ」
とフルートはポチの背中から身を乗り出しました。ゼンの手を捕まえて引っぱり上げようとします。
ところが、その目の前で、いきなりゼンが水に沈みました。まるで何かに水中へ引きずり込まれたような動きです。
「ゼン!?」
少年たちは驚いてのぞき込みましたが、水の中は暗くて見通すことができません。
フルートはすぐに剣を抜いて水中へ飛び込もうとしました。ゼンは戦人形に襲われたのに違いない、と思ったのです。
すると、そこへまたゼンが浮いてきました。手を振り回してどなります。
「ここだ! 早く上げてくれ!」
フルートはあわててその手をつかみました。右手に剣を握っていてゼンを引きあげることができなかったので、ポチへ言います。
「そのまま上昇しろ! 井戸の外に出るんだ!」
「ワン、わかりました!」
ポチは井戸の出口に向かって上昇を始めました。井戸の中に風が巻き起こり、水面に波を立てます。
水の中から、ゼンが上がってきました。レオンやフルートと同じように全身ずぶ濡れになって、髪や服からしずくを垂らしています。
ところが、その左脚に白い物がしがみついているのを見て、フルートたちは、ぎょっとしました。戦人形がゼンを捕まえていたのです。ゼンは右脚で蹴りつけて払い落とそうとしていましたが、人形は離れません。ポチが上昇するにつれて、人形までが上がってきます。
すると、レオンが叫びました。
「あいつ、下半分がないぞ!」
戦人形は腹から下が失われていて、頭と胸と両腕だけの姿でゼンの脚にしがみついていたのです。人間ならば間違いなく死んでいる状態なのに、人形はまだ動き続けていました。ちぎれた腹の下からは、ごぼごぼ、と水があふれるような音が響き、白い胸の奥からは、どどどど、という音が聞こえてきます。
「ワン、穴につかまった体を爆発で吹き飛ばして追いかけてきたんだ……」
とポチは言いました。その執念のすさまじさに、レオンは震え上がります。
すると、人形が急に片手をゼンから離しました。その手首から剣のような刃が飛び出します。ゼンを突き刺そうというのです。
フルートは叫びました。
「レオン、ゼンを引っぱり上げろ!」
レオンは弾かれたように飛び出して、フルートと一緒にゼンの腕をつかみました。懸命にゼンを引き上げ始めます。
ところが、フルートは逆にゼンを放しました。驚くレオンの腕に、ゼンの体重が一気にかかってきます。
「そのまま頼む!」
とフルートは言い残すと、ポチの背中からすべり降りていきました。自分の剣を構え直して、戦人形へ飛びかかっていきます。
人形はフルートを見て、刃の狙いを変えました。落ちてくるフルートを串刺しにしようとします。
フルートはその刃を蹴りつけ、炎の剣を振り下ろしました。人形の顔に残っていた目を突き刺します。
すると、人形の力がゆるみました。ゼンが思いきり蹴飛ばすと、人形が離れて井戸の中へ落ちていきます。つかまるところがなかったフルートも一緒です。
「フルート!!」
とポチとレオンが叫びます――。
とたんに、フルートの落下が止まりました。フルートの腕をゼンが捕まえたのです。
戦人形だけが井戸に落ちて水しぶきを上げ、すぐに沈んでしまいます。
「ゼン」
と見上げたフルートを、ゼンがどなりつけました。
「ったく! 後先考えずに飛び出すんじゃねえ、って何度言えばわかるんだよ! このすっとこどっこい!」
「なんだよ、そうしなければ、君がやられたじゃないか!」
助けた相手から文句を言われてフルートが反論すると、ゼンがまた言い返しました。
「俺はやられねえ! おまえこそ、ヤツと一緒に水に落ちたら、しがみつかれて、上がって来られなかったかもしれねえんだぞ!」
「そんなことはないって――!」
二人が言い争っていると、ポチが声をかけてきました。
「そんな話はいいから、早く上がってきてくださいよ。もうレオンが持ちませんよ」
ポチの言うとおり、レオンは片手でゼンの腕をつかみ、もう一方の手でポチの毛をつかんで、必死でこらえていました。真っ赤な顔で歯を食いしばり、フルートとゼンの二人分の体重を支えています。
おっと、とゼンは言って、まずフルートをポチの上へ放り上げました。次にレオンの腕をつかみ直して、自分もポチの背中に上がってきます。
とたんにレオンはポチの上へ仰向けに倒れてしまいました。ぜえぜえと激しくあえぎます。
「ありがとう、レオン。助かったよ」
「やっぱりやるじゃねえか。意気地なしは返上だな」
フルートとゼンからそんなふうに言われても、レオンは息が切れて返事をすることができませんでした。あえぎながら二人に向かって思いきり顔をしかめ返し、すぐに、にやりと笑って見せます。
フルートとゼンも笑顔になりました。少年たちの間に、目に見えない温かいものが通い合います。
「ワン、外に出ますよ」
とポチは言うと、三人を乗せて井戸を上昇していきました――。