戦人形が起こす爆発は、すさまじい威力でした。周囲に激流を引き起こし、金の光で守られたフルートたちを押し上げていきます。
じきに彼らは井戸の上までたどり着いてしまいました。頭上に明るい水の天井が見えてきます。
「ワン、水面だ!」
「やった、戻ってきたぞ!」
ポチとゼンが歓声を上げたとたん、彼らを包む光が消えました。フルートの胸の上で魔石が輝きを収めて、穏やかに光るだけになります。
「ありがとう、金の石」
とフルートは言うと、井戸の下のほうを見透かしました。戦人形がまだ追いついてこないのを確かめてから、仲間たちへ言います。
「早く水面に出ろ! メールたちが待ってる! 彼女たちを呼んで引き上げてもらうんだ!」
そこで、ゼンとレオンとポチは水面に向かって泳ぎ出しました。フルートはその場に残って、背中からまた剣を抜きます。戦人形は絶対に追いついてくると考えて、守備のために留まったのです。
ついにレオンの顔が水の上に出ました。続いてゼンとポチも、その横に頭を出します。
「やっと着いた!」
「ワン、地上だ!」
丸い井戸の壁は水の上にもまだ続いていましたが、やがてそれも終わって、出口が見えていました。外はまだ夜が明けていませんでしたが、空が白み始めていました。青みを帯びた空が、丸く見えています。
ゼンは井戸の外に向かって声を張り上げました。
「メール! おい、メール、聞こえるか!? 俺たちを引きあげてくれ!」
井戸の外には少女たちが待機しているはずでした。花で作ったロープで井戸から引っ張り上げてもらおうと、ゼンはメールを呼び続けます。
ところが、呼ばれて井戸をのぞき込んだのは、一匹の犬でした。驚いたように井戸の中を見て、すぐに歓声を上げます。
「レオン! 無事だったんだな!?」
「ビーラー!」
とレオンも声を上げました。なんとなく意外な気がします。レオンがゼンたちに井戸へ引っ張り込まれたときに、助けにも来なかった犬が、ちゃんと井戸のそばで待っていたのです。
ゼンはどなり続けました。
「そこにいるのはおまえだけか!? メールたちはどこに行ったんだよ!?」
「え、えぇと……まず、ルルとポポロが家の様子を見に行って、その後、何かあったようだ、と言ってメールも行ってしまったんだ……」
とビーラーは答えました。メールが花鳥で飛んでいってから一時間以上が過ぎていましたが、少女たちはいっこうに戻ってきません。
ゼンやポチは困惑しました。周囲の壁には手がかりがまったくないので、自力で上っていくことは不可能だったのです。
レオンがあわてふためいてビーラーへ言いました。
「そ、そのあたりにロープはないか!? 後ろから敵が追ってきているんだ!」
敵が? とビーラーは驚きました。半信半疑のまま周囲を見回して言います。
「そんなものはないな。それに、あったとしても、ぼくには君たちが上がってくるまでロープを押さえていることができないよ」
レオンも青ざめました。どうやったらここから抜け出せるのか、わからなくなってしまいます。
すると、小犬が言いました。
「ワン、レオン、魔法ですよ! ここはもう消魔水の上なんだから、また魔法が使えるようになってるんじゃないですか!」
おっ、とゼンも目を輝かせましたが、レオンは青い顔のまま首を振りました。
「多分だめだ。だって……」
言いかけて、ベトーニエウノドイー、と呪文を唱えますが、彼の言うとおり、何も起きませんでした。
「ぼくは全身消魔水で濡れている。これが乾くまで魔法は使えないんだよ……」
と魔法使いの少年はうなだれます。
そこへフルートが浮いてきました。戦人形がなかなか追いついてこなかったので、仲間の様子を見るために上がってきたのです。
「どうしたんだ?」
と聞かれて、ゼンとポチは口々に言いました。
「メールたちがポポロの家に行って戻ってこねえ! 上にはビーラーしかいねえんだ!」
「ワン、レオンも、消魔水に濡れている間は魔法が使えないんだそうです!」
レオンはまた顔を上げていました。井戸の出口の丸い夜空を見上げて、また呪文を試します。空を飛んで井戸の外に出る魔法、縄ばしごが現れて井戸の壁にかかる魔法、瞬間的に場所を変える魔法……思いつくあらゆる呪文を唱えてみますが、やはり、体を濡らしている消魔水が打ち消してしまいました。魔法はいっこうに発動しません。
すると、フルートがポチを見ました。
「君の風の首輪は? あれをつけて風の犬に変身するんだよ!」
とたんにポチは、びくりと身をすくませました。目を伏せ低い声になって言います。
「ワン、首輪は取り戻せなかったんです……。その前に人形に襲われちゃったから……」
なんだとぉ!? とゼンは驚きました。
フルートも青くなって下を見ました。風の首輪があった洞窟は、この井戸の底から続く通路の、はるか先にあります。途中の通路は破壊されてふさがれているうえに、戦人形が追いかけてきているのですから、首輪を取りに戻ることは不可能です。
ところが、レオンが急に思い出した顔になりました。自分の両手を見ますが、何も持っていなかったので、あわてて自分の体をまさぐります。彼が着ているのは、星の光をちりばめた黒い服です。
と、その右のポケットから、細い銀の首輪が出てきました。あった! とレオンは声を上げました。洞窟で戦人形に襲われたときに、ポチが取り落とした首輪をとっさに拾って、ポケットに突っこんでいたのです。
ゼンたちは歓声を上げました。
「魔法しか使えねえ意気地(いくじ)なしかと思ったら、やるじゃねえか! でかしたぞ!」
「ワン、ありがとう、レオン!」
「レオン、早くそれをポチの首に巻くんだ! ポチ、急いで変身しろ!」
とフルートは矢継ぎ早に命じました。井戸の下のほうから妙な音が聞こえ始めていたのです。戦人形が追いついてきたのに違いありません。
レオンは急いでポチの首に首輪を巻きました。興奮で手が震えてしまって、金具がなかなか留められません。それでもようやく留め終えると、ポチは大きく尻尾を振りました。ありがとう、レオン、ともう一度お礼を言ってから、水から頭を出して叫びます。
「ワン、変身します――!」
ところが。ポチは風の犬に変わりませんでした。
元の小さな白い犬のままです。
ポチはあせり、何度も気合いを込めて変身しようとしました。いつもなら念じただけで風の犬になる体が、いくらやっても変わりません。
すると、レオンが言いました。
「消魔水のせいだ! そのせいでポチも変身できないんだ!」
「ワン、そんな!」
とポチは叫びました。水から飛び出そうとしますが、自力では不可能です。そんな小犬を、ゼンが捕まえました。水の上に高く掲げて言います。
「早く変身しろ! また首筋がちくちくしてきやがった! もうすぐヤツが来るぞ!」
そこでポチはゼンの手の上で変身しようとしました。濡れたままでは魔法の首輪が発動しないので、全身を震わせ、体中からしぶきを飛ばして、また念じます――。
けれども、やっぱりポチは変身できませんでした。長い間、水中を泳ぎ続けてきたので、体も首輪も消魔水を吸い込んでいて、振り飛ばしたくらいでは乾かすことができなかったのです。
何度やっても変わらないので、ポチはついに叫びました。
「ワン、だめです! 変身できません!」
レオンは青ざめて足元を見ました。彼にも井戸の下のほうから近づいてくる音が聞こえてきたのです。ごぼり、どどどどっという奇妙な音が、水の中を伝わってきます。
ゼンは歯ぎしりをしました。首筋の後ろに当てていた手を、背中の弓へ移そうとします。
すると、フルートが言いました。
「ゼン、ポチを思いきり上げろ! ポチ、行くぞ!」
フルートの強い声に、仲間たちは即座に動きました。フルートが何をするつもりなのか、何を「行く」のか、まったく予想がつきませんでしたが、それでもゼンは力いっぱい小犬を上へ放り投げます。
ポチの小さな体は高く高く上っていって、もう少しで井戸から飛び出しそうになりました。君! とのぞいていたビーラーが声を上げますが、残念ながらポチはそこで失速しました。また井戸の中を落ち始めます。
すると、フルートが炎の剣を構えました。刀身を斜め下に向けて、落ちてくるポチを見据えます。
「何をする気だ!?」
とレオンはぞっとしました。フルートはポチに切りつけようとしているのです。止めようとしますが、フルートの迫力に気おされて身動きができません。
「はぁっ!」
気合いと共にフルートは剣を振り上げました。ポチはまだずっと上のほうにいます。そこに向かって、剣の切っ先から火の塊が飛び出しました。フルートは炎の弾を撃ち出したのです。ポチ目がけて飛んでいきます。
危ねぇ! とゼンも思わず叫びました。魔剣から撃ち出される火の玉は高温です。まともに食らえば、小さなポチなど骨も残さず燃え尽きてしまいます――。
けれども、ポチは井戸を落ちながら、ずっと下を見つめ続けていました。自分に迫ってくる炎から目を離さずにいます。
その体に熱気が押し寄せてきました。炎の弾から熱が伝わってきたのです。濡れた毛並みや首輪から湯気が出て、風に吹き散らされていきます。
炎の塊がすぐ目の前まで迫ったとき、ついにポチの体は乾きました。濡れそぼって貼り付いていた毛が、白い毛並みに戻ります。
「ワン!」
とポチはほえて、炎に飛び込んでいきました。そのまま勢いよく火の中を突き抜けて、下へ飛び出します。
とたんに、ごごごぅっと風の音が響き渡りました。井戸の中につむじ風が湧き起こります。
「ワン、みんな早く乗ってください!」
風の犬になって舞い下りたポチは、仲間たちへそう呼びかけました――。