洞窟から通路へ逃げ出したフルートとゼンは、いくらも進まないうちに、レオンとポチに追いついてしまいました。レオンは慣れない泳ぎに疲れ果て、通路の壁に寄りかかって、泣いていたのです。
「も、もうだめだ……絶対に逃げられないよ……殺されてしまうんだ……」
「ワン、そんなこと言っちゃだめです、レオン! 逃げないと!」
ポチが懸命に励まし、服をくわえて引っぱるのですが、レオンは動こうとしませんでした。通路の壁に生えた光る苔が、少年の泣き顔を照らしています。
「ったく、情けねえヤツだな!」
とゼンは言って、レオンを捕まえました。荷物のように脇に抱えて、全力で通路を泳ぎ出します。
「ポチ!」
とフルートも小犬を抱き上げると、ゼンの後を追って泳ぎました。そうしながら、レオンに話しかけます。
「前にも言ったよね――自分でだめだと思い込んでしまったら、本当はできる力があったって、絶対にできるようになんてならないんだ。最後の最後まで、あきらめるな。どんなに無理に見えていたって、チャンスがあるならそっちへ向かうんだ。絶対に負けちゃいけない敵っていうのは、外にいるんじゃない。本当は、自分自身の心の中にあるんだよ――!」
それでもレオンのすすり泣きは止まりませんでした。ゼンの腕の中で震え続けています。
ゼンはフルートに言いました。
「こんなヤツにいくら言っても無駄だぞ。魔法だけに頼って、自分じゃ何一つしてこなかったヤツなんだ。魔法が使えなくなれば、赤ん坊と同じなんだよ」
そこまで言われても、レオンはもう反発しませんでした。すすり泣きの声だけが大きくなります。ゼンは、ふん、と鼻を鳴らすと、話すのをやめて泳ぎに専念しました。目ざす井戸までは、まだかなりの距離があったのです。
すると、ふっとその速度が上がりました。何故かゼンの泳ぎが急に速くなっています。
「ワン、フルート」
とポチが言いました。レオンが、ゼンに抱えられたまま、脚を動かしていたのです。まだ泣き声は聞こえていますが、それでも泳ぎ始めています。
うん、とフルートは思わず笑顔になりました。自分でも逃げようとし始めたレオンを見守りながら、泳ぎ続けます――。
ところが、じきにポチがぴくりと耳を動かしました。水中の音に聞き耳を立ててから、フルートに言います。
「ワン、来ましたよ」
フルートは泳ぐのをやめて止まりました。今来た通路を振り向きます。
「どっちだ?」
「ワン、人形のほうです……もうすぐ追いつきます」
彼らはレオンを怖がらせないように、ささやくような声で話していました。ゼンとレオンは気がつかずに先へ泳いでいきます。
フルートはポチを床に下ろすと、背中からまた剣を抜きました。
「ポチも早く行くんだ。ここはぼくが食い止めるから」
「ワン、それはだめですよ。ぼくも残ります。風の犬になれなくても、隙を見て、人形の目を潰してやることくらいはできますからね」
と小犬は言いました。四本の脚を床に踏んばり、尾を力強く振っています。
フルートはあとはもう何も言いませんでした。ポチと通路に並んで立ち、武器を握って敵を待ちかまえます。
すると、通路の向こうから白いものがやってきました。片目をフルートに潰された戦人形です。今は頭の頂上の目で行く手を見ながら、驚くほど速く進んできます。
「水中に合わせた動きに変わったな――」
とフルートはつぶやきました。腕に剣のような刃を仕込んでいた人形です。他にも戦いに有利な仕掛けが隠されていたのに違いありません。
「ワン、来ますよ!」
とポチが言いました。ゼンとレオンは湾曲した通路の向こうに見えなくなっています。
フルートは剣を構え、飛ぶようにやってきた人形の刃を受け止めました。同時に叫びます。
「よけろ、ポチ!」
人形のもう一方の腕から伸びた刃が、小犬を切り裂こうとしていたのです。ポチは大きく飛びのき、刃は床にぶつかりました。ちょうど石と石の継ぎ目に刺さって、動きが止まってしまいます。
フルートは人形の刃を受け流し、腕の下をかいくぐって、もうひとつの刃へ向かいました。床に突き立てられた刃へ、鎧をつけた脚で蹴りを食らわせます。
「せぃっ!」
すると、刃が音を立てて折れました。戦闘用の人形ですから、武器も丈夫なはずなのですが、フルートの魔法の鎧のほうが強度で勝っていたのです。人形の右腕の刃が半分の長さになってしまいます。
フルートは素早く反転して人形に向き直りました。左腕の盾を構えて、人形の左の刃を受け止めます。その痕をフルートのマントがなびいていきました。フルートの動きに合わせて綺麗な円を描きます――。
すると、ポチが急に動き出しました。床を蹴ってフルートの背中に飛びつき、さらにそこを蹴ってフルートの右腕に飛び乗ります。
ポチ、何を――? とフルートが驚くより早く、ポチは人形に飛びかかっていきました。流れていくマントを目隠しにして、その陰から飛び出したのです。人形の頭の上に飛び乗ると、赤い一つ目に牙を立てようとします。
人形は素早く右腕を振り上げました。折れてもまだ鋭い刃を、ポチ目がけて振り下ろします。
「ポチ!!」
とフルートが叫びます。
とたんにポチは人形の頭を蹴りました。あっという間にそこから飛び下りてしまいます。
人形の折れた刃は、頭の上に突き刺さりました。自分で自分の目を潰してしまったのです。フルートに切りつけた刃の力がゆるみます。
フルートは人形の腹を蹴って飛びのきました。人形のほうも大きく後ずさります。
「ポチ!」
とフルートが呼ぶと、小犬はすぐに駆けてきました。
「ワン、ほらね? あいつの目を潰してやりましたよ」
と得意そうに言って、しゅっしゅと尾を振ります。
戦人形は頭に突き刺した剣を引き抜きました。目はまた減りましたが、人形なので痛がることも血が出ることもありません。水で充たされた通路に立ち、考えるようにフルートたちを見つめています。
フルートとポチも敵を見つめました。攻撃されたらすぐ応戦できるように身構えます。
すると、背後で声がしました。
「気をつけろ! やばいのが来るぞ!」
ゼンでした。青ざめたレオンも抱えられたまま一緒にいます。
「ワン、戻ってきちゃったんですか!?」
とポチは驚きましたが、フルートはゼンが首筋に片手を当てているのを見て、はっとしました。とっさに小犬に飛びついて抱きかかえると、さらに床を蹴って、転がりながら飛びのきます。
すると、戦人形の腹に突然丸い穴が開きました。そこから丸い銀色の物体が飛び出してきて、今までフルートたちがいた場所にぶつかります。とたんに、物体は弾けて爆発しました。どどぉん、という音と共に衝撃と水流が湧き起こり、フルートたちに激突します。
フルートとポチは弾き飛ばされて岩壁にたたきつけられました。ゼンとレオンも水流に巻き込まれて押し流されてしまいます。
同じ衝撃は通路にも広がっていきました。壁や天井が激しく揺さぶられ、大きなひびが広がっていきます。
湧き上がる煙のようににごっていく水の中で、通路は地響きを立てて崩れ始めました――。