あんたはルルを助けた白い犬じゃないだろう、なんでそんな嘘をついたのさ、とメールから単刀直入に尋ねられて、ビーラーはびっくりした顔になりました。あわてて答えます。
「な、何を言うんだ! 彼女を助けたのは本当にぼくだぞ! いや、それを自慢するつもりはないけれどね。嘘だろうと言われるのは心外だな!」
「なんか、ルルから聞いている話と違うんだよねぇ。そりゃ、ルルは助けられてるから、印象がひいき目になるのもしかたないけどさ、それにしても、あんたはずいぶん話と違うもの。ルルをどこで誰から助けたのか、もう一度言ってごらんよ。本物なら、ちゃんと答えられるだろ」
とメールに言われて、ビーラーはほえるように答えました。
「無論言えるとも! 彼女を助けたのは、地上のザカラス城の中だ! 彼女が悪い魔法使いにやられそうになっていたから、そこに飛び込んで魔法使いを追い払ったんだ!」
メールは井戸の上に片脚を載せ、膝を抱えた恰好で雄犬を見ていました。いっそう見つめる目になってまた尋ねます。
「一度目はね。じゃあ、二度目はどこで誰から助けたのさ?」
「に、二度目……?」
ビーラーは明らかにとまどいました。それまでの強気な態度が急に消えて、うろたえるように視線を泳がせます。
「そ、それはええと……場所の名前はちょっと……地上のことだから、地名まではよくわからないな……」
ふぅん、とメールは言いました。ルルたちが飛び去った夜空を見上げるふりをしながら、横目でビーラーを見て、また言います。
「二度目にルルが助けられたのは、エスタ国の魔の森だよ。そこで何からルルを助けたのか、言ってごらんよ」
メールもフルートにならって鎌をかけていました。二度目にルルが白い犬に助けられたのは、エスタ国などではありません。
ビーラーは見事にそれに引っかかりました。
「そうだ、深い森の中だった! あそこには闇の怪物が数え切れないほど棲みついていて、彼女に襲いかかろうとしていたから、助けに飛び込んだんだ――!」
「嘘ばっかり」
メールはビーラーの目をまっすぐに見つめて言いました。雄犬がたじろぎます。
「二度目にルルが助けられたのは地上じゃないよ。地の底にある闇の国の、しかも闇の城の中のことさ。敵はあのデビルドラゴン。あんたたちは闇の竜って呼んでる? 本物の白い犬は、あいつに連れ去られそうになったルルを助けて守ったのさ。あんたみたいに、井戸に飛び込むことさえできない犬に、そんな勇敢な真似ができるわけないよね」
歯に衣(きぬ)着せぬメールのことばに、雄犬は絶句しました。何かを言いたそうに口を開けますが、声は出てきません。
メールは肩をすくめました。
「まったく、ルルったらさ。白い犬にもう一度会いたい気持ちはわかるけど、だからって、こんな女たらしの軽薄な犬に引っかかってることないじゃないか――。あんた、一度目のことは知ってたけど、二度目のことは知らなかったよね。前にルルが天空城で白い犬を探し回ったときのことを、誰かから聞いて知っていたんだろ? 白い犬に助けられたこととか、どこでどんなふうに助けられたかとか、ルル自身が人に話して探していたはずだもんね。だから、ザカラス城でジーヤ・ドゥから助けられたことは知ってたんだ。でも、二度目の闇の城でのことは、半年前の出来事だから、その後、ルルはこの天空の国に帰ってきてない。もちろん、ここで白い犬探しなんかもやってない。だから、あんたは二度目のことを全然知らなかったんだ。とんだペテン師だよね」
メールから容赦なく言われて、雄犬は牙をむきました。そのまま笑うような顔つきになって言います。
「だって、当然だろう。彼女はものすごい美人だからな。人違いされてでも仲よくなりたいと思うのは、当たり前のことだよ」
メールは溜息をつきました。
「それが嘘だとわかったときにルルがどんなに傷つくか、なんて、あんたは想像もしないんだろうね。あんたといい、あのレオンってヤツといい、ホントにわがままで身勝手だ。飼い主も犬もそっくりだよ。――おいで、花虎!」
メールの最後のひとことは、ビーラーではなく、自分の周囲に向かって呼びかけた声でした。夜の庭園で、ざーっと雨の降るような音が湧き起こり、生け垣や庭に咲いていた花がメールの元に集まって、大きな虎に変わります。花が寄り集まってできた虎です。怒ってメールに飛びかかろうとしていたビーラーは、ぎょっと飛びのきました。花虎が、ガォン、とほえると、尻尾を丸めて後ずさってしまいます。
その様子に、やれやれ、とメールはまた肩をすくめました。
「あんたさ、ルルが戻ってきたら、ちゃんと話しなよ。自分はあの白い犬なんかじゃなかったんだ、って」
花の虎が目の前に迫ってきたので、ビーラーはいっそう後ずさりました。逃げれば追いかけられそうで、逃げ出すこともできません。震えながら、わかった……と答えます。
すると、そこへ足音が聞こえてきました。生け垣の向こうから誰かが近づいてきます。
メールはあわてて虎を花に戻しました。花が全部飛び戻っていったところへ、生け垣の陰から現れたのは、眼鏡をかけた中年の男性でした。井戸端のメールとビーラーを見て、声を上げます。
「君たちは、まだこんなところにいたのか! こんな場所で何をしている!?」
それは図書館の管理者のマロ先生でした。特別室の本の片付けは終わったのでしょう。妖精のような精霊たちは一緒にいませんでした。
先生はどなった拍子に下がってきた眼鏡を指で押し上げて、周囲を見回しました。
「今、このあたりで魔法が発動したのを感じた! 誰か魔法を使ったのか!? 消魔水の井戸の近辺で魔法を使うのは禁止されているんだぞ! しかも、もう真夜中だ。何故家に帰らないんだね!?」
図書館で会ったときといい、どうも、この先生は規則に厳しくて怒りっぽい質(たち)のようでした。メールたちに向かって、がみがみと言い続けます。
メールは閉口しながら井戸から降りました。
「えっと……友だちとここで待ち合わせしてるんだ。友だちが来たら、すぐに帰るよ」
友だちと? とマロ先生はまた驚き、ビーラーをつくづくと見て言いました。
「君はレオンの飼い犬じゃないか! とすると、レオンと待ち合わせているのか! こんな時間にレオンはどこに行っているんだね!?」
え、えぇと……と今度はビーラーが言いました。本当のことを言えば、どれほど怒られるかわからないので、とっさに嘘をつきます。
「わ、忘れ物を取りに学校に戻ったんです。レオンが来たら、すぐに家に帰りますから、心配なさらないでください」
それでも、マロ先生は怒った表情をやめませんでした。
「そっちの連中は図書館の特別室をめちゃくちゃにしたんだ! レオンが戻ったら、こんな連中とは行動を共にしないように言い聞かせなさい!」
とビーラーに言い残すと、立ち去っていきます。
ふぅ、とビーラーとメールは同時に溜息をつきました。
「本当に、レオンは何をしているんだ? こんな小さな井戸を調べるのに、どうしてこんなに時間がかかってるんだ? これ以上遅くなったら、みんなからひどく叱られるじゃないか」
とビーラーはまた、いらいらと足踏みを始めました。彼らが井戸に飛び込んでから、かれこれ一時間がたとうとしています。
あのさ、とメールは言いました。
「あんた、さっきから怒られることばかり心配してるけど、レオンのことは心配にならないわけ? いくら魔法が上手でも、まだ十五歳なんだろ? しかも、この中では魔法だって使えなくなるんだから、何かあったのかも、って心配するべきだと思うよ――。そりゃ、フルートとゼンが一緒に行ってるけどさ、あの二人が一緒なのにこんなに時間がかかってる、ってのが、絶対おかしいんだよね」
と、井戸の中を心配そうに見つめます。
ビーラーは不満そうな顔になりましたが、メールの言うとおりだったので、不承ぶしょう井戸の縁に前脚をかけました。後脚立ちになって、井戸の中をのぞき込みます。
井戸は深く暗く、その底に消魔水の水面が横たわっていました。少年たちはどこにも見当たりません。ビーラーは、ふいに、どきりとしました。レオンがこれきり戻ってこなかったらどうしよう、と考えてしまったのです。身を乗り出しますが、やっぱり井戸の中に飼い主の姿は見つかりません――。
その時、メールの耳に突然ポポロの呼び声が聞こえました。
「メール! メール……!」
取り乱して泣いている声です。
「どうしたのさ!?」
とメールが驚いて聞き返すと、遠い彼方でポポロがしゃくりあげました。
「メール……家が……家が……。お……お母さんも……」
そこまで言うと、わあっと声を上げて泣き出してしまいます。
「ちょっと、ポポロ! 落ちつきなったら! 家に何があったのさ!?」
とメールは必死で呼びかけましたが、ポポロはまったく泣きやみませんでした。激しい泣き声が聞こえてくるだけで、何が起きたのかわかりません。その足元では、ビーラーが驚いた顔をしていました。彼にはポポロの声は聞こえないのです。
メールは即座に決心すると、ビーラーに言いました。
「ポポロの家で何かあったみたいだ。あたい、ちょっと行ってくるよ。あたいが戻る前に井戸からフルートたちが上がってきたら、事情を話しておくれよね」
話しながら両手を高くかざし、花たち! と呼びかけると、また庭園中から花が集まってきて、今度は巨大な花の鳥に変わりました。メールが背中に飛び乗りると、舞い上がってポポロの家の方角へ飛び去ります。
あっという間の出来事に、後に残されたビーラーは、呆気にとられて空を見上げてしまいました――。