フルートとゼンはポチを探すために消魔水の井戸へ飛び込みました。レオンもゼンに抱えられて強制的に連れていかれます。
どぶん、と水に落ちたとたんレオンは激しくもがき、ゼンが手を放すと、あわてて水面から顔を出しました。ぶはぁ、と大きく息をします。
「なんだ、呼吸の魔法に失敗したのか?」
とゼンがあきれると、レオンはむきになって言い返しました。
「失敗なんかするもんか! た、ただ習慣で水から顔を出してしまっただけだ!」
この少年は自分の魔力を軽く見られることを、何より不愉快に感じるようでした。怒って真っ赤になった顔が、ゼンの目には、はっきり見えます。
フルートは頭上へ手を振りました。井戸の上からメールとポポロとルルがのぞいていたからです。ゼンもそれへ手を振ると、またレオンを抱えました。
「よし、行こう」
というフルートのかけ声で、三人の少年たちが水に潜ります――。
すでに夜になっていたので、井戸の中はかなり暗くなっていました。水の中に潜ると、さらに暗さが増して、フルートやレオンにはほとんど何も見えなくなってしまいます。
一人夜目が効くゼンが、下を見透かして言いました。
「ここからじゃ底が全然見えねえ。ポチも見当たらねえぞ」
水中でも息ができるので話もできますが、声が水と井戸の壁に反響して、妙な具合に響いています。
「光がほしいな」
とフルートが言うと、暗い水の中で呪文の声がしました。
「レタキヨリカーヒ!」
レオンが光の魔法を使おうとしたのですが、あたりは暗いままでした。魔法は発動しません。
「確かにこの中では魔法が使えないようだな」
とフルートは言いながら、鎧の胸当てからペンダントを引き出しました。たちまち柔らかな金の光が広がって、井戸の中を照らします。
ゼンに胴を抱えられたレオンが、悔しそうにそっぽを向いていました。口を歪めていて、何も言おうとはしません。
それを無視して、フルートはゼンに言いました。
「落ちた首輪はまっすぐ沈んでいったはずだ。このまま底へ降りてみよう」
「おう。だが、この井戸はあんまり広くねえぞ。せいぜい直径二メートルってところなのに、どうしてポチは首輪を見つけられねえんだ。そんなに深い井戸なのか?」
「わからないよ。ただ、いくら深いといったって、火の山の火道ほど深いってことはないだろう。とにかく降りて確かめることにしよう」
そこで、フルートとゼンは井戸の底に向かって泳ぎ出しました。穴が狭いので、レオンもようやくゼンから開放されます。
ところが、レオンが動こうとしないので、ゼンが怒って引き返してきました。
「何してやがる!? この期(ご)に及んで、まだ自分のせいじゃねえって言いやがるのか!? とっとと来い!」
ところが、それでもレオンは動きません。ゼンは腹をたてて一発殴ろうとしましたが、少年が青ざめているのを見て、フルートが止めました。
「待て、ゼン――。レオン、もしかしたら君、水中を泳げないのか?」
すると、少年はまた、かっと赤くなりました。
「泳げるに決まってる! ただ、ここでは魔法が使えないから泳げないんだ!」
ゼンはあきれました。
「何いばってやがる。魔法が使えなきゃ泳げないなら、もとは金づちだってことだろうが」
「溺れる心配はないんだから、手や足を動かせばいい。自然に体が進むから」
とフルートが言ったので、レオンはじたばたと腕や足を動かしました。確かに体が動き出しましたが、上に向かっていこうとしたので、ゼンが怒って捕まえました。
「そっちじゃねえ! 逃げるな!」
「逃げてなんかいない! 思うように進めないんだ!」
とレオンは言い返しました。人の体には浮力があるので、水をかいたら自然に浮いていってしまったのです。
「しょうがない。ポチも心配だし、ゼンが抱いていってくれ」
とフルートが言ったので、ったく、とゼンは舌打ちしました。またレオンを抱えて泳ぎ出します。レオンは悔しそうに歯ぎしりしていましたが、自分ではどうすることもできませんでした。
それを追い越し、先になって泳ぎながら、フルートは周囲を観察しました。煉瓦を重ねた井戸の壁は、いつの間にか石の壁に変わっていました。石のブロックが寸分の狂いもなく積み重なっていますが、大半の場所では、緑の苔のような水草がその上を分厚くおおっています。かなり古い井戸のようです。
「これはいつ頃作られたものなんだろう?」
と疑問を声に出すと、ゼンに抱えられたレオンが答えました。
「ほぼ二千年前だ――第二次戦争の直後に作られたからな」
フルートとゼンはまたレオンに注目しました。
「二度目の光と闇の戦いの直後に?」
「そんなに古いのかよ」
「古い。戦いがこの国から地上へ降りていった後も、この国には戦いで使われた魔法があちこちに残っていて、中には、ひとりでに被害が広がっていく魔法もあった。それを防ぐのに、天空城に消魔水の井戸が作られたんだ」
へぇ、とフルートたちは感心しました。レオンの口調はぶっきらぼうですが、いいかげんなことを言っているわけではないことは、伝わってきます。
「詳しいんだな。ポポロたちもそこまでは知らなかったのに」
とフルートが言うと、少年は、ふん、と小鼻をふくらませました。
「ぼくの父上は貴族だし、ぼくは最初から城の学校に通ったからな。この程度のことは常識だよ」
「貴族の子どもはみんな天空城の学校に通うのか?」
とフルートは泳ぎながらまた尋ねました。井戸の底まではまだかなりの距離があるようなので、レオンから話が聞けるのは、良い退屈しのぎでした。
「城の学校には魔力の優れた子どもしか入れないよ。年齢が上がってから、下の学校から編入してくる奴も少なくない。ただ、貴族の子どもは親と同じように優秀なことが多いから、最初から城の学校に行くことが多いんだ」
「だが、いくら貴族の子どもでも、魔法があんまり得意じゃねえヤツはいるんだろう? そいつらは学校はどうするんだよ?」
とゼンが尋ねました。いつの間にかレオンの話に引き込まれています。
「連中は普通に下の学校へ通うさ。城の学校に来たって、授業が理解できないからな」
とレオンは答えました。明らかに馬鹿にする口調です。ゼンは不愉快そうな顔になり、フルートはまた少し考えてから、確かめるように言いました。
「つまり、天空の国の学校は、あくまでも実力主義なんだな。魔力の高い子どもは天空城の学校で学ぶし、魔力の高くない子どもは麓の普通の学校で学ぶ。普通の学校に行っていても、魔力が伸びて普通より強くなれば、天空城の学校に転校する――ポポロみたいに。そして、天空城の学校で学んだ子どもたちが、貴族になっていくんだ」
要するに、天空城の学校は、天空の国の貴族養成学校ということです。
フルートが考えていたのは、ポポロのことでした。彼女はずっと自分の町の普通の学校に通っていました。最初から魔力が強すぎて、自分でもコントロールできないほどだったのですから、普通の学校の先生や生徒たちに対応できなかったのは当然だったでしょう。でも、それなら何故もっと早く天空城の学校に行かなかったんだろう、と不思議でした。自分のレベルにあった学校に行っていれば、周囲から叱られたり馬鹿にされたりすることもなく、順調に魔力を伸ばしていけたはずなのに……。
すると、突然ゼンが声を上げました。
「おい! ちょっとこれを見ろ!」
ゼンは潜るのをやめて、目の前の壁を見ていました。一面に苔のような水草が生えているだけで、特に変わったものは見当たりません。フルートたちがとまどうと、ゼンは焦れた(じれた)ように指さしました。
「どこ見てんだ――。ここだよ、ここ! 獣の爪痕が残ってるぞ!」
水草が大きく削り取られた痕を示して、ゼンはそう言いました。