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第19巻「天空の国の戦い」

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28.消魔水

 「あ、あそこだよ……」

 レオンは天空城の庭園の一角にフルートたちを案内すると、生け垣の後ろを指さしました。煉瓦を積んだ丸い井戸が、生け垣の陰にひっそりとたたずんでいます。

 フルートたちはすぐさま井戸に駆け寄りました。縁をつかみ、中をのぞき込んで口々に呼びます。

「ポチ!」

「ポチ、どこだ!?」

「返事をしなよ!」

「ポチ――!」

 けれども、井戸の底から返事はありませんでした。井戸の中に小犬の姿も見当たりません。ただ井戸の底に黒々と溜まった水が、薄暗がりの中に見えるだけです。

 フルートはレオンを振り向きました。

「この井戸はどのくらいの深さがあるんだ?」

 相変わらずフルートは厳しい声のままです。レオンは首をすくめました。

「わ、わからないよ……。かなり深いとは思うけれど……」

 すると、ポポロが言いました。

「消魔水は魔法を打ち消してしまう水なの。中を透視しようとしても、見ることができないのよ」

「なんでそんな水の井戸が天空城にあるんだよ!?」

 とゼンが尋ねます。

「魔法の延焼を食い止めるためよ……。時々あるの。魔法がうまく制御できなくなって、どんどん広がっていっちゃうような事故が。そのときに、この井戸から水を汲み上げて、魔法が広がっていくのを止めるのよ。あたしも何度かお世話になったわ……」

 とポポロは言って、ちょっぴりしゅんとなりました。学校の授業で魔法のコントロールに失敗したときのことを思い出してしまったのです。

 メールは井戸に身を乗り出して、水の匂いをかいでいました。

「別に変わった感じはしないね。普通の真水の匂いだ。魔法の水だからって、毒があるとかいうわけじゃないんだね?」

「もちろんよ。飲むことだってできるわ」

 とルルは答え、井戸に前脚をかけてのぞき続けました。犬の目には、井戸の中の様子がフルートたちよりはっきり見えていましたが、やはりポチは見当たりませんでした。消魔水は静かな水面を見せていて、近くにポチがいるような気配はしません。

「魔法を打ち消す水だから、ポポロの呼び声もポチに届かなかったのか」

 とフルートが言って考え込みます。

 

 すると、ビーラーが遠慮がちに言いました。

「えぇと……今回の件は本当に不幸な事故だったな。彼のことは気の毒だったけれど、このままにしておくわけにもいかないし、警備隊に連絡して、遺体を井戸から引きあげてもらったほうがいい」

 ゼンたちはたちまち憤慨しました。

「何言ってやがんだ、馬鹿犬! 勝手にポチを殺すんじゃねえ!」

「そうさ! ポチは人魚の涙を呑んでいるんだから、水に溺れたりはしないんだよ!」

 なんだって!? と驚いたのはレオンでした。ゼンやメールへ身を乗り出します。

「彼は――ポチはこの中で死んでないのか!? じゃあ、どうしていつまでも上がってこないんだよ!?」

 一瞬で安堵を通り越して、上がってこないのはポチが悪いのだと言わんばかりの口調になります。

 フルートは鋭くそれをにらみました。

「中で首輪が見つからないからに決まってる――。あれは亡くなったポチのお父さんの形見なんだ。あれが見つかるまでは、ポチは絶対に上がってこない」

 厳しい口調に、レオンはまたことばを失いました。ビーラーのほうは、父親の形見だって? と首輪の由縁のほうに驚いています。

 すると、ルルがまたビーラーに言いました。

「お願いよ、ポチを助けてちょうだい! あなたはあんなに強くて勇敢だったんですもの。ポチのこともきっと助けてくれるわよね?」

 信頼の声でしたが、雄犬は面食らった様子になりました。

「そんなことを言われても……。ぼくは今は風の首輪を持っていないし、持っていたとしても、消魔水に入れば元に戻ってしまうんだから、何もできないよ」

「だって、あなたはあんなに私を助けてくれたじゃない! お願い、ポチを助けて! あなたならきっとできるはずよ!」

 ルルから絶対的な信頼をされて、ビーラーは及び腰になりました。そ、それは……と後ずさっていきます。

 

 すると、フルートが言いました。

「井戸の中に行くのは彼じゃない。ぼくたちと、レオンだ」

 指名されて、銀髪の少年は驚きました。

「ど、どうしてぼくが行かなくちゃいけないんだ!? ここは消魔水の井戸なんだぞ! 魔法が使えなくなるじゃないか!」

「どうして? それは、君がポチの首輪をここに投げ込んだからだよ。責任を取ってもらう」

 とフルートは言いました。確信のこもった厳しい声です。レオンはまたことばに詰まり、他の者たちは驚きました。ビーラーも呆気にとられます。

 フルートは話し続けました。

「あれはポチにとって、命の次に大事な首輪だ。それをうっかり落としたりなくしたりするなんてことは、絶対に考えられない。それに、君はポチが首輪を追って井戸に入ったことを知っていたのに、理由については何も言わなかった。君がポチの首輪を投げ込んだんだからだ、レオン。そして、ポチが井戸に飛び込んだものだから、怖くなって逃げようとしていたんだよ」

 この野郎! とゼンが怒ってレオンに飛びかかろうとしたので、フルートは手を振って抑えました。

「まだ早い、ゼン――。ポポロ、まず、ぼくとゼンの防具をここに出してくれ。井戸の中の様子は見えないからな。危険を減らすために、防具を着ていこう」

 そこでポポロは呪文を唱えました。

「イコーニトモノリタフーヨグウボー!」

 緑の星が散ってフルートとゼンに降りかかったとたん、二人は金の鎧兜や青い胸当てを身につけていました。ポポロの家に置いてあったものを、ポポロが魔法で呼び寄せたのです。フルートの左腕には丸い大きな盾が、ゼンの腰には青い小さな盾とショートソードが、一緒に現れています。

 鷹の模様が浮き彫りになった青い胸当てに、ゼンは満足そうに笑いました。

「これを着れば怖いもんなしだな。このクソ生意気な青二才野郎! もう、おまえの好きなようにはさせねえから、覚悟しとけ!」

 と言って、レオンをむんずと捕まえてしまいます。

「は、放せ! 何をするんだよ!? ――ベトキフセナハー!!」

 レオンはゼンを振り切ろうと呪文を唱えましたが、何故か魔法は発動しませんでした。驚き、何度も呪文を唱え直しますが、やっぱりゼンには効きません。へっ、とゼンはまた笑いました。

「残念だったな。この胸当てを着た俺には魔法は効かねえんだよ。おとなしく俺たちと一緒に来やがれ」

 一緒にって――とレオンは青ざめました。

「冗談じゃない! 消魔水の井戸だぞ! そんなところに入ったら、呼吸の魔法もできなくなって、溺れ死ぬじゃないか! おまえたちだって息ができなくなって死ぬんだぞ!」

「死なないよ。ぼくたちも魔法の真珠を呑んでいるからな」

 とフルートは冷静に答え、目を白黒させたレオンをゼンに任せて、ポポロに尋ねました。

「この井戸の水は、魔法の延焼を止めるんだ、って言っていたね? それは、新しい魔法を防ぐ力があるってことで、最初からかかっていた魔法まで消す力はないってことだろう? そうでなければ、ポチだって井戸には潜っていけないはずだからな」

 ポポロはうなずきました。

「ええ、そうよ。南大陸の火の山の火道に、魔法が効かない場所があったけれど、あそこと同じ……。消魔水の中で新しい魔法は使えないけれど、水に入る前に使っていた魔法はそのまま続くの」

「ということだ。早く自分に呼吸の魔法をかけろ」

 とフルートはレオンに言いました。そんな! とレオンは抵抗しましたが、ゼンががっちり捕まえているので逃げることができません。

 

 フルートは、さらに少女たちへ言いました。

「メール、ポポロ、ルル。君たちはここで待機だ。もちろん、君たちも井戸に入っていけるけれど、ポポロは水の中で魔法が使えなくなるし、ルルも風の犬には変身できなくなる。メールは――」

「あたいは!? なんでダメなのさ!? あたいは渦王の娘だよ! 水の中は大得意なのに、どうして留守番にさせるのさ!?」

 とメールがかみついてきたので、フルートは首を振ってみせました。

「消魔水が君の腕輪から海の力を奪っていく危険があるからだよ。それも魔法で動いている道具だ。海の力が失われたら、君は命に関わるからな」

 そんなぁ、とメールも言いました。フルートの言うとおりなのですが、留守番が大嫌いなので、なかなか納得できません。

 すると、フルートはもう一度言いました。

「君たちはここで待機だ。ポチを見つけて戻ってきても、ぼくたちでは上がることができない。ポポロの魔法やメールの花使いの力で引きあげてもらわなくちゃいけないんだよ。ルルは二人の警護だ。いつまた襲われるかわからないから、気をつけてくれ」

「わかったわ」

 とルルは答えました。ポチがいるはずの井戸を、気がかりそうに見つめ続けます。

 そんなルルへ、ゼンが急に身をかがめてきました。レオンの首根っこは捕まえたまま、彼女だけに聞こえる声でささやきます。

「おい、俺たちがいない間に、あの犬によろめいたりしてるんじゃねえぞ」

 ルルはかっとなって牙をむきました。

「何よそれ! 本当にいい加減にしてよ、ゼン! 失礼じゃない!」

「馬鹿、忠告してんだよ……。二人同時ってのは、自分にも向こうにも、えらく苦しいんだからな。一人だけにしておけ」

 ルルは目を見張りました。ゼンが以前メールとポポロを同時に好きになって苦しんだときの話をしているのだ、と気がついたからです。急にうろたえてしまって、返事ができなくなります――。

 

 フルートは井戸の横に立ちました。仲間の少女たちへ言います。

「それじゃポチを探してくる。くれぐれも気をつけろよ」

「やだな、フルート、それはあたいたちの台詞だろ? 井戸の中がどうなってんのか、わかんないんだからさ」

 とメールがあきれます。ポポロのほうは目を涙でいっぱいにして、フルートたちを見つめていました。どうか無事で、とまなざしだけで伝えてきます。

 レオンはゼンに抱えられたまま大騒ぎを続けていました。

「放せ! 放せったら! ぼくはそんなところには行きたくない! ビーラー、ぼくを助けろ――!」

 けれども、雄犬は座ったまま頭を垂れ、そこから動こうとはしませんでした。完全にレオンよりフルートのほうを上と見なしているのです。

「行くぞ」

 とフルートは言って、ためらいもなく井戸に飛び込んでいきました。金の鎧兜を着た体が、煉瓦を積んだ井戸の中に消えていきます。

 ゼンも後を追いながら、レオンに言いました。

「そら、とっとと自分に魔法をかけろよ。ぐずぐずして中で溺れても知らねえぞ」

 やめろ! 放せ! と少年はまだ抵抗していましたが、ゼンが煉瓦に手をかけて井戸に飛び込もうとしたので、あわてて呪文を唱えました。

「レナーニウヨルキデーガキイデウユチイース!」

 少年の指先から散った銀の星が、少年自身に降りかかっていきます。

 ゼンとレオンの姿も井戸の中に消えました。すぐに、どぶん、と水に落ちる音が聞こえてきます。

 少女たちが井戸をのぞくと、水面に少年たちが浮いていました。フルートとゼンは、安心させるように彼女たちに手を振り返すと、レオンを連れて水の中へ潜っていきました――。

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