レオンに呼ばれて、白い犬のビーラーが学校の中庭から走ってきました。主人の前まできて、不思議そうに尋ねます。
「どうしたんだ、レオン? こんな時間に。まだ学校の授業は終わっていないはずだろう?」
ふふん、と銀髪の少年は笑いました。
「つまらない授業だから、すっぽかしたのさ。魔法で作った写し身を置いてきたんだ。先生も気がつかなかったぞ」
ビーラーは顔をしかめて頭を振りました。
「見つかったら、ただじゃすまないじゃないか。停学処分になるぞ」
「なるもんか。写し身には、授業が終わったら、すぐ教室を出るように命令してきたからな。教室の連中は誰も気がつかないよ」
尊大にそんな話をしてから、レオンはポチの首輪を取り出しました。ビーラーが目を丸くします。
「風の首輪じゃないか。それはどうしたんだ?」
「こいつから取り上げたんだよ。地上の犬のくせに、生意気にこんなものをつけているからな」
とレオンが自分の後ろを示したので、ビーラーもようやく動けなくなっているポチに気がつきました。
「なんだ。君はこんなところにいたのか?」
とあきれたように言います。ポチはさっき、ビーラーとルルの前から逃げ出したのです。
ポチはビーラーに牙をむいてうなってやりたいと考えましたが、魔法にかかった体では、動くことも声を出すこともできませんでした。
レオンが言いました。
「絶対おかしいと思わないか、ビーラー? ぼくはもう学校の先生より魔力があるのに、まだ貴族じゃない。それなのに、地上の連中が風の犬でこの国まで飛んできているんだ。地上を這い回るだけで、なんの魔力も持たない連中がさ。金の石の勇者か何か知らないけれど、納得できないし、不公平じゃないか」
「それで、そいつの首輪を取り上げたのかい? それは本当に規則違反だぞ。早く首輪をそいつに返すんだ、レオン。見つかったら厳重注意だ」
「見つかるもんか。それにこいつは地上の犬だよ。この国の規則にはあてはまらないさ」
そう言いながらレオンが首輪をビーラーにつけようとしたので、ビーラーは驚きました。
「何をするんだ、レオン!? そんなことをしたら――!」
「いいからじっとしていろよ! こんなチビ犬より、おまえがつけたほうが絶対にいいんだから」
と少年は抗議を無視して、首輪を飼い犬に巻こうとしました。金具を首輪の穴にはめます――。
とたんに首輪の緑の石が爆発するように輝きました。ビーラーとレオンが吹き飛ばされて地面に倒れます。稲妻に打たれたように体がしびれてしまって、すぐには動けません。
やっと麻痺(まひ)が消えてくると、ビーラーが起き上がって頭を振りました。ウゥゥーッとうなってから、レオンにどなります。
「だからやめろと言ったんだ! 持ち主がいる風の首輪を別の犬が使うのは不可能なんだぞ! そんなことも知らなかったのか!?」
犬の剣幕にレオンはおののきました。しびれが残っている体で、這うように後ずさります。
ふん、とビーラーはそっぽを向き、そこにポチがいるのを見ると、また牙をむきました。
「君なんかが風の首輪を持っているのは、ぼくも納得できないな。地上の犬のくせに!」
ポチは何も言い返せませんでした。レオンの魔法がまだ効いていたので、動けなかったのです。ビーラーが憤然と立ち去っていきます――。
やがて、レオンの体の麻痺も完全に消えました。その場に座り込むと、ちきしょう! と叫びます。その目に涙が浮かんでいるのを見て、ポチは驚きました。少年からは強いあせりと怒りの匂いがしています。
少し離れた地面には、ポチの首輪が落ちていました。ビーラーが言っていたとおり、持ち主のポチ以外はつけることができない首輪です。ポチが信頼している相手になら貸し与えることができますが、それも、よほどの場合だけです。見ず知らずのビーラーになど使えるはずはありませんでした。
「ちきしょう! なんだこんなもの!」
とレオンはまた言って、ポチの首輪をつかみました。いきなり生け垣の向こうへ放り投げてしまいます。そこにあったのは煉瓦を積んだ丸い井戸でした。銀の首輪が光りながら井戸の中へ落ちていきます――。
「ワン、何をするんです!?」
とポチは叫びました。急に魔法が解けて、また動けるようになったのです。大あわてで首輪が落ちた井戸へ走ります。
レオンは意地悪く笑いました。
「そこは消魔水(しょうますい)の井戸だから、魔法は効かない。おまえの首輪はもう取り戻せないぞ!」
ポチは煉瓦の井戸に飛びつき、縁に前脚をかけて中をのぞき込みました。夕焼けが終わり、あたりは薄暗くなっていましたが、犬のポチには中の様子がはっきりと見えます。首輪は井戸に溜まった水の中に沈んでしまったようでした。どんなに見回しても見つけることができません。
「ざまあみろ!」
とレオンは言って歩き出しました。ポチを井戸端(いどばた)に残したままです。歩くうちに、得意そうだった顔が、悔しそうな表情に変わりました。また浮かんできた涙をこすり、くそっ、とつぶやいて歯ぎしりをします。
すると、その背後で突然水音がしました。ぼちゃん、と石でも投げ込んだような音が響いて、すぐに消えていきます。
レオンは、ぎょっと振り向きました。井戸を見ると、たった今そこにいた小犬の姿が見当たりません。
「ば、馬鹿な――!?」
レオンはあわてて井戸に駆け戻りました。中をのぞき込むと、水面に大きな波紋が広がっていたので、ますますうろたえます。ポチが井戸の中に飛び込んでしまったのです。
「ば、馬鹿だ……。この井戸はすごく深いのに。消魔水の井戸だから、魔法だって全然効かないのに……」
青ざめながら井戸の中をのぞき続けますが、小犬は水面に浮いてきませんでした。広がった波紋が、やがて消えていってしまいます。
レオンは後ずさると、井戸に背を向けて駆け出しました。
「し、知るもんか……! 地上の奴は馬鹿だからこんな真似をするんだ。ぼ、ぼくのせいなんかじゃないぞ!」
自分自身に必死で言い訳をしながら、少年は庭園から逃げていってしまいました――。