ポチは天空城の庭園を一匹でとぼとぼと歩いていました。ビーラーという犬がいた中庭を飛び出した後、適当に走り回って、ここまでやってきたのです。綺麗に刈り込まれた生け垣の横を、当てもなく歩き続けます。
図書館に来て、とポポロが呼ぶ声は聞こえていましたが、ルルも呼ばれていたので、召集には応えませんでした。その後、先に行っているわよ、という声も聞こえたので、今ごろフルートたちは図書館の中にいるのに違いありません。
図書館か……とポチは考えていました。そこで光と闇の戦いの本を探すのだ、とポポロは言っていました。ポチとしても、一緒に行って、本に書かれていることを確かめたいと思います。思うのですが、そこにはルルがいます――。
ふぅ、とポチは溜息をつくと、生け垣の横に腰を下ろして考え込みました。
あのビーラーという犬が、ルルを助けた白い犬のはずはありません。なにしろ、それはポチなのですから。あの犬は適当に口裏を合わせてルルをだましていました。もう少し深く突っこめば、きっとぼろを出したのに違いありません。例えば、ザカラス城のどこでルルを助けたのか、とか、その時に彼女に何を言ったのか、とか尋ねれば、あの犬は答えられなくなったはずです。
あぁあ、とポチはまた溜息をつきました。それがわかっていたのに、ついかっとなって飛び出してしまったことを後悔します。
庭園を風が吹き抜けていきました。朝目覚めてからまだ四時間ほどしかたっていないのに、もうあたりは夕暮れ色にそまっています。ひんやりと湿った風がポチの白い毛並みを揺らします。
そんな自分を見回して、ポチは三度目の溜息をつきました。小さな体、短い四本の脚――どう見てもまだ小犬の姿です。大人の姿になったときにはルルより大きくなったのですから、いつかはルルを追い越すはずですが、それはもうしばらく先のことのようでした。
「ワン、やっぱり、あれがぼくだとは言いたくないなぁ……」
とポチは声に出してつぶやいてしまいました。
ルルをジーヤ・ドゥやデビルドラゴンから助けた白い犬。あれが本当は自分だったと伝えれば、たぶんルルは納得してくれるでしょう。もちろん、偽物なんかに大きな顔をさせることもなくなります。
でも、そうやってルルに見直してもらうのは、なんだかひどく悔しく思えました。大きくならなければルルの恋人にはなれないことを、認めてしまうような気がするのです。
ポチはまだ小さな犬だけれど、それでもルルが大好きでした。ルルだって、そんなポチが好きだ、と言ってくれました。それなら、ことばの通り、小さなままの自分を好きであってほしい、と思うのです。大きくなった自分の姿なんて追いかけないで、今ここにいる自分のほうを好きでいてほしい、と――。
「あぁあ」
とポチは四度目の溜息をつきました。いくら考えても、どうしようもありません。ポチが自分から名乗らないなら、やることは一つしかなかったのです。
「ワン、今度またあのビーラーって犬がルルをだまそうとしたら、今度こそ問い詰めて、嘘だっていうことを見破ってやる。だって、それしかないもんなぁ」
ポチは腰を上げました。夕焼けに染まった空を見上げてから、周囲を見回します。
「ワン、フルートたちと合流しなくちゃ。図書館は赤と灰色の煉瓦の塔だ、って言っていたよね。えぇと、どこだろう……」
と図書館を探して歩き出します。
やがて、生け垣が切れて、景色が見渡せるようになりました。天空城の庭園の向こうに、学校と、赤と灰色の煉瓦の塔が見えます。それが図書館なのに違いありません。ところが、そちらから一人の少年が駆けてくるのが目に入りました。短い銀髪に黒いシャツとズボンの星空の衣――レオンです。
レオンは時々後ろを振り向きながら走っていました。
「ふふん、ざまあみろ」
と得意そうにつぶやく声も聞こえてきます。ポチは思わず立ち止まってそれを見つめてしまいました。周囲に学校の生徒は一人も見当たりません。授業はどうしたんだろう? と考えます。
すると、レオンのほうでもポチに気がつきました。足を止め、じろじろと眺めて言います。
「おまえ、ポポロと一緒にいた地上の連中の犬じゃないか。なんでこんなところにいるんだ?」
ポチは、相手からあまり友好的でない匂いがするので、用心しながら答えました。
「ワン、みんなのところへ行く途中なんです。じゃ、急ぎますから――」
最小限の挨拶だけでレオンの横を通り抜けようとすると、少年は横目でそれをにらみました。ポチの首に銀の首輪を見つけて言います。
「本当だ。ビーラーの言うとおり、風の首輪をつけているな。地上の犬のくせに」
ポチはますます警戒しました。レオンから、はっきりと険悪な匂いがしてきたからです。強い憎しみの匂いも漂ってきます。
ポチはすぐに背を向けると、大急ぎで図書館へ駆け出しました。一刻も早くこの場所から離れたほうがいい気がしたのですが、レオンのほうでそれをさせませんでした。ポチに手を向けて言います。
「ナークゴウ!」
とたんにポチの体が動かなくなってしまいました。走っている恰好のまま、固まってしまいます。
声も出せなくなって、きょろきょろと目だけで周囲を見回していると、レオンが近づいてきました。
「まったく。生意気なんだよな、本当に。地上の奴が風の犬を使っているだって? 貴族でもないくせに!」
腹立たしそうに言って、ポチへ手を伸ばします。ポチは、あっと心で叫びました。レオンがポチの首輪を外してしまったのです。返してください! と言おうとしますが、やっぱり声が出てきません。
レオンはポチの風の首輪をつくづく眺めると、急に何かを思いついた顔になって、にんまりしました。
「そうだよ。おまえたちが持っているのがおかしいんだ。風の犬は天空の国の貴族の乗り物と決まっているんだからな。――ビーラー! ビーラー、聞こえるな!? 早くここに来い!」
庭園の向こうに見える学校に向かって、レオンはそう呼びかけました――。