「君をザカラス城で悪い魔法使いから助けたときのことかい? そんなのは大したことじゃないんだから、礼なんていいのに」
とビーラーがルルに答えたので、ポチはびっくり仰天しました。ルルを助けたのは、大人の姿になったポチです。絶対にそんなはずはないのに、ビーラーはその時のことを知っていて、それは自分のしわざだと言っているのです。
ルルがたちまち目を輝かせました。
「やっぱりあなただったのね! きっとそうだと思ったの! ずっと探していたのよ! 私を二度も助けてくださってありがとう!」
「そんな大げさな。全然たいしたことじゃないんだってば」
とビーラーは笑って言いました。そんな彼をルルがうっとりした目で見上げます。
ポチは我慢できなくなって飛び出しました。二匹の犬の前へ行くと、ほえるような勢いで言います。
「ワン、でたらめを言うな! おまえはあの時の犬なんかじゃないぞ!」
ポチは猛烈な剣幕でどなったのですが、小犬の体ではキャンキャンという甲高い声にしかなりませんでした。いやに子どもじみた声です。
「ポチ、失礼なことを言わないで! この人はあの時の犬よ!」
とルルが驚いて叱りつけました。ビーラーは意外なことを言われた顔でポチを眺めます。
「彼は? 君の弟なの?」
とルルに尋ねます。
「え? え、ええと……」
彼は私の恋人なの、と答えるべき場面だったのに、ルルは思わず口ごもってしまいました。迷う顔でポチとビーラーを見比べてしまいます。
それを見たとたん、ポチはくるりと二匹に背中を向けました。そのまま後ろも見ずに駆け出してしまいます。
「ポチ!?」
ルルが驚いて呼んでも止まりません。あっという間に中庭を横切って、外に出て行ってしまいます。
「どうしたんだろう、急に?」
不思議そうにそれを見送って、ビーラーが言いました。ルルのほうは完全に面食らっていました。ポチにこんな反応をされるとは思っていなかったのですが、同時に、ひどく後ろめたいものも感じました。ポチにとても悪いことをしてしまった気がします。
「ご、ごめんなさい。今はこれで――。また会えて嬉しかったわ」
と言うと、ビーラーはひどく残念そうな顔になりました。
「君も行ってしまうの? もう少しここにいて、話をしていけばいいのに」
ルルの心臓がどきん、と鳴りました。言われる通りここに残って、この美しい雄犬ともっと話したい、とも考えてしまいます。
けれども、ルルはすぐにその思いを頭から追い出しました。
「ありがとう。でも、私はもう行かなくちゃ。それじゃ、またどこかで――」
「うん、また会おう。ぼくはレオンが学校の日には、いつもここにいるから」
ビーラーの返事にルルの胸がまたときめきます。
後ろ髪を引かれる想いで、ルルは駆け出しました。ポチの後を追いかけながら、心の中で文句を言います。
なんでそんなに怒るのよ、ポチ! 彼は私の命の恩人よ! 再会できて喜ぶのは当たり前じゃない! ただ会えて嬉しいって言って、お礼を言っていただけなのに……!
まるでポチのほうが悪かったようなことを並べ立てますが、それは罪悪感の裏返しでした。怒って飛び出していったポチに腹をたてながらも、やっぱりルル自身が、とても後ろめたい気持ちになってしまっています。
中庭の外に出ても、ポチの姿はどこにも見当たりませんでした。たくさんの塔が寄り集まって、金と銀に輝いているだけです。
すると、急にポポロの声が聞こえてきました。
「ルル、ポチ、聞こえる? 悪いけど、こっちに来てほしいの。あたしたち、学校の図書館に向かっているのよ。あなたたちも一緒のほうがいい、ってフルートが言ってるわ……」
ルルは立ち止まりました。とまどって周囲を見回しますが、やっぱりポチの姿は見つかりません。天空城はたくさんの塔や建物が入りくんで建っているので、その間を探し回るのはとても困難でした。今も、ポチの姿をどこかに隠してしまっています。
フルートたちのところへ戻ったほうが良さそうね――とルルは迷いながら考えました。ポポロの呼びかけは、ポチにも届いています。フルートが呼んでいると知ればポチだってきっと戻ってくるはずです。
「今行くわ。待ってて」
ルルはポポロへ答えると、向きを変えて、図書館のある場所へ向かっていきました――。
図書館は、赤と灰色の煉瓦(れんが)でできた大きな塔でした。天空城の他の建物とは外観が違うので、とても目立ちます。
その入口の前にフルートとゼンとメールとポポロが立っていました。走ってくるルルを見つけて、メールが手を振ります。けれども、そこにポチはいませんでした。周囲を見ても、どこかから駆けつけてくるような気配もありません。
一匹で戻ってきたルルに、ゼンが尋ねました。
「ポチは? 一緒じゃなかったのかよ?」
え、ええと……とルルはまたちょっと口ごもりました。
「ど、どこかに行ってしまったのよ」
「どこに?」
とフルートが驚いて尋ね、ルルの様子にすぐに質問を重ねました。
「もしかして、あのビーラーって犬に会えたのか? 彼はなんて言っていた?」
ルルはたちまち勢いづきました。
「やっぱり彼は私を助けてくれた犬だったのよ! 間違いなかったわ!」
仲間たちは驚きました。
「本当に? 確認できたの?」
とフルートが聞き返します。
「もちろんよ! ちゃんとあの時のことを確かめられたわ! お礼も言えたのよ!」
一瞬前まで心配顔だった雌犬が、今は喜びにはち切れそうになって、尻尾を大きく振っています。
ああ、これか、と仲間たちはポチがやって来ない理由を知りました。白い犬に再開できて喜ぶルルを見て、すねてしまったのです。
フルートは溜息をついて言いました。
「しょうがない。ポポロ、先に行っているから、ってポチにもう一度伝えてくれるかい?」
ポポロはうなずき、目を閉じて、天空城のどこかにいる小犬へ呼びかけました。
「ポチ、あたしたち、先に図書館に入っているわね。そこで光と闇の戦いについて書かれた本を探すの。あなたも後から来てね。図書館は赤と灰色の煉瓦の塔よ……」
けれども、ポチからの返事はやっぱり聞こえてきませんでした。
行こう、とフルートが言ったので、一同は図書館の入口へ歩き出しました。フルート、ポポロ、メール、ゼン、そしてルル……。
すると、ゼンがルルを振り向いて話しかけました。
「おい、ルル。おまえにはポチがいるんだから、浮気なんかするんじゃねえぞ」
ルルはびっくりしたようにゼンを見ました。人間であれば、さしずめ顔を真っ赤にしたところです。うなり声を上げ、牙をむいて言い返します。
「なぁに、それ!? いったいなんのことよ!? 私が浮気してるっていうの!? 失礼なこと言わないで!!」
ルルに本当にかみつかれそうになって、ゼンはあわてて飛びのきました。他の仲間たちは、こっそり溜息をついてしまいます。ルルはまだまだ自分の恋心を意識してはいないようです――。
一行が入っていった図書館を、大きく傾いた太陽が赤々と照らしていました。