ポポロのお母さんに勧められて、フルートたちは町の見物に出かけました。
天空の国は一年中春のような気候で、日中は、暑すぎず寒すぎずのちょうど良い気温が保たれています。フルートとゼンは防具を外して布の服に剣や弓矢を背負った恰好、メールも分厚いコートは脱ぎ捨てて、いつもの袖無しシャツに半ズボン、サンダルばきという恰好でした。ポポロの服は、故郷に戻ってきてから、ずっと黒い星空の衣のままです。
ポポロは先頭に立って歩きながら、通りに面した家々を指さして言いました。
「ほら、ラホンドックみたいな木のある家が多いでしょう? あれは番人の木っていって、家の番をしてくれているの。悪い人や危険な獣が入り込もうとしたら、撃退してくれるのよ」
「ワン、天空の国にも悪人はいるんですか? 正義の国って呼ばれるくらいだから、悪い人なんていない気がしていたんだけど」
とポチが尋ねると、ルルがそれに答えました。
「もちろんいるわよ。貴族たちは正義のために働くと天空王様に誓約するから、あまり悪い人はいないけど、町に住んでいる人の大部分は普通の人たちだもの。意地の悪い人もいれば、悪人だっているわ。魔法を使って泥棒を働く奴だっているのよ」
「天空の国も地上と変わんねえのか。とすると、正義のためなんて立派そうなことを言う貴族も、やっぱり鼻持ちならねえ連中なんだろうな」
と貴族嫌いのゼンがぶつぶつ言うと、とたんにメールに背中をたたかれました。
「やだな、なに言ってるのさ! このポポロだって貴族なんだよ! 失礼じゃないか!」
メールが言うとおり、ポポロは天空の国の貴族でした。ポポロが真っ赤になって話せなくなってしまったので、代わりにルルが言いました。
「天空の国の貴族は、人間の貴族とは違うわよ。人間の貴族は血筋や家柄で決まるけど、天空の国の貴族はそんなものは関係ないもの。あくまで実力主義。魔力の強い人が選ばれて貴族になっていくのよ」
「ポポロは、風の犬の戦いで天空の国を魔王から救った時に、天空王から貴族にしてもらったんだよ。天空王に従って正義のために天と地を守れる魔法使いが貴族になれるんだ、って言われて。ゼンもその時に一緒にいたじゃないか」
とフルートに叱られて、ゼンは首をすくめました。
「んなもん、すっかり忘れてたぜ。ポポロは全然貴族らしく見えねえからな――ああ、悪かった、ポポロ! 忘れてて悪かったよ! だから泣くな!」
ポポロがべそをかき始めたので、ゼンがあわてて謝ります。
けれども、小さないさかいはすぐに消えていきました。日差しが降りそそぎ、風が吹き抜けていく天空の国が、あまりにも気持ちよかったからです。生け垣からは胸がすくような花の香りが漂ってきます。
やがて、そこに別のいい匂いが混じってきたので、ポチがくんくんと鼻を動かしました。
「ワン、パンの匂いだ。どこかで朝ごはんにパンを焼いているのかな?」
「パン屋よ。この先にあるの」
とルルが言ったので、フルートたちはまた驚きました。
「天空の国にも店があるんだ!」
「全部自分の魔法でやっちまうんじゃねえのかよ!?」
「人によって得意な魔法や苦手な魔法があるのよ。パンを焼く魔法が得意な人はパン屋になるし、服を作る魔法が得意な人は仕立屋になるわ。自分で作るよりいいものが売っているんだもの、みんなそっちを買うわよ。そのあたりは人間の世界と同じよ」
とルルが説明しますが、同じだと言われても、フルートたちにはやはり意外でした。へぇっと感心してしまいます。
「とすると、天空の国にも通貨――お金があるんだね? みんな、仕事をしてお金を稼いで生活しているんだ」
「やだ、当然でしょう? お金がなかったら、パンも野菜も買えないし、故障した魔法の道具も直してもらえないじゃない」
とルルがあきれたので、ゼンやポチが反論します。
「いや、そう言われてもよ!」
「ワン、天空の国の人がそんなに普通の生活してるなんて、思ってもいませんでしたよ!」
「何もかもを一から作るっていうのは、いくら魔法でも、とても大変なことなのよ……」
とポポロが話に加わってきました。
「もちろん、人によっては何もないところから麦やパンを作れる人もいるけど、それにはものすごく大きな魔力が必要だから、そんなに頻繁(ひんぱん)にはできないの。それよりは、畑に麦の種をまいて魔法で育ててたほうが、早くたくさん収穫できるし、その麦でパンを作るほうが、魔法でパンを作るより楽でおいしいわ。だから、天空の国にも畑や牧場があるし、店もたくさんあるのよ」
彼らの目の前に町の通りは続いていました。両脇には生け垣がありますが、やがてそれが途切れて、建物が軒を並べるようになります。店が建ち並ぶ町の中心部に来たのです。
まだ時間が少し早かったので、開いている店は、あまりありませんでした。パン屋も、パンが焼けるいい匂いを漂わせていますが、入口の扉は固く閉じていました。ポポロとルルが、その前を通りながら、店を一軒一軒教えてくれました。
「ここがパン屋さん、それから、肉屋さん、仕立屋さん、薬屋さん、道具屋さん、写本屋さん……」
やはり人間の町とほとんど変わりがありません。本や大事な文書を書き写す写本屋があるところまで同じです。
それらを見て歩くうちに、フルートの頭に、ふと疑問が浮かびました。
「そういえば、ポポロのお父さんは何の仕事をしているの?」
天空の民であっても何かしら職に就くのが普通らしいのに、ポポロの父親の職業のことは、これまで一度も聞いたことがなかったのです。
とたんにポポロとルルは足を止めました。
「え?」
ひどく意外なことを聞いたように、目を丸くします。
「えって――何そんなに驚いてんだよ? 俺の親父は北の峰の猟師だし、フルートの親父さんはシルの町で牧場をやってる。メールの親父に至っては、西の大海を治める渦王だぞ。ポポロのところだって、親父さんは何か仕事をしてるんだろう?」
とゼンが言うと、ポポロとルルは、ますますとまどった顔になりました。
「お父さんの仕事……?」
「私たち、聞いたことがないわ」
「聞いたことがない!?」
フルートたちはびっくりしました。自分の親の仕事がわからない、という状況が理解できません。
「ワン、ポポロたちのお父さんは――お父さんやお母さんは、普段何をしているんですか!?」
とポチに聞かれて、ポポロとルルは顔を見合わせました。
「お父さんもお母さんも、いつも家にいるわよね……?」
「ええ。お父さんもお母さんも、どこかに仕事に出かけたりしないわ。お母さんは家の中のことをしたり、庭の花壇の手入れをしたりしているけど――そういえば、お父さんって、何の仕事をしているのかしら?」
仲間たちは呆気にとられてしまいました。もちろん、さまざまな理由から親が仕事をしてない家庭というものはありますが、それにしても、ポポロたちがそのことを疑問に思わずにいたことが奇妙に思えました。
「お父さんは今日は用事で出かけているよね? こういうことってよくあるの?」
とフルートは尋ねました。それを聞けば、お父さんの仕事も見当がつくかもしれない、と思ったのですが、ポポロたちはまた首を振りました。
「めったにないわ……。お父さんは本当にいつも家にいるの。あたしが学校に行っている間もそうよ」
「昔はポポロに魔法を教えてくれていたんだけれど、今はそんなこともなくなったから――。そうね、お父さんの仕事って、いったい何なのかしら?」
ポポロとルルは本気で困惑しています。
その様子に、フルートはあることに思い当たりました。そんな馬鹿な!! と騒ぎ続ける仲間たちを抑えて言います。
「ポポロ、ルル――もしかして君たちは、ずっとお父さんの職業を考えたことがなかったのか? 生まれてからこれまで、ずっと?」
ポポロとルルはうなずきました。そのことに自分たちで驚いている顔をしています。
「いったいどういうことさ!? そりゃ、親が家に帰ってこなかったり、親子で互いに無関心でいるような家庭なら、親の仕事を知らないってこともあるだろうけど、ポポロたちのところは絶対そうじゃないだろ!?」
と言うメールに、フルートはうなずきました。
「うん、そうじゃない。これはきっと、あれと同じなんだよ」
あれって!? と仲間たちがまた聞き返そうとすると、突然彼らの後ろで声がしました。
「こりゃこりゃ珍しい! それは炎の剣じゃないか! よく見せてくれ!」
一行が驚いて振り向くと、そこには分厚い革の前掛けと手袋をした男が立っていました――。