「ほら、あそこがあたしたちの家よ」
風の犬のポチに乗って天空の国を飛びながら、ポポロが言いました。眼下に広がる景色の中には白い道が延び、道に沿って家が並んでいます。ポポロが指さしたのは、その中の一つでした。尖った屋根の二階建ての家で、玄関の前には奇妙な形の木が立っています。
ゼンがルルの背中から眺めて言いました。
「おっ、懐かしいな――と言いたいところだけどよ、四年前に来たときには、何もかも色がなくて真っ白だったもんな。今は、屋根は赤いし木の梢は緑だし。なんか違う家を見てるみたいだよな」
すると、ゼンの後ろでメールが口を尖らせました。
「あたいはポポロの家に来たのは初めてだもん。そんなこと言われたってわかんないよ。それより、天空の国って案外普通な感じなんだね。ここまでずっと空を飛んできたけどさ、道があって、畑や牧場があって、家があって、町や村があって……人間の国と景色があんまり変わらないみたいじゃないか」
「ワン、ぼくはポポロの家が案外遠かったのに驚いてますよ」
と言ったのはポチでした。
「四年前、天空の階段を上ってここまで来たときには、階段から天空の国に入ってすぐにポポロの家に行けたんです。こんなに離れているなんて思わなかったし、国を取り囲んでいる川を越えた覚えもありませんでした。あれも魔法だったのかなぁ」
「きっとそうね。天空の階段にはとても強い魔力があるから、天空の国に来た勇者の一行を、すぐに目的地へ送ってくれたのよ」
とルルが言います。
犬たちが高度を下げ始めたので、ポポロの家が近づいてきました。尖った赤い屋根の先で、銀の風見鶏が回っています。
フルートがポポロに尋ねました。
「君のお父さんやお母さんは家にいるかな? ぼくたちが急に大勢で訪問して、驚かないだろうか?」
「大丈夫よ。お父さんたちは、あたしたちが来ることをきっともう知ってるから」
とポポロは笑いました。とても嬉しそうな笑顔です。
それを見て、フルートはふと、四年前のことを思い出しました。家出をして迷子になってしまったポポロは、自分が父親から嫌われていると思い込んで、家に帰ることをひどく怖がっていたのです。自分は家に帰ってはいけないのだと言って、毎日泣いてばかりいました。
今、彼女の笑顔にそんなわだかまりはまったくありませんでした。厳しかった父親も、本当は母親に負けないくらいポポロのことを愛してくれていたのだ、とわかったからです。そのことが、フルートには自分のことのように嬉しく思えました。
ポポロの家の赤い屋根が、ぐんぐん近づいてきます――。
一行は天空の国に降り立ちました。
地上の地面に降りたときと特に変わりはありません。地面には草が生え、花が咲き、白い石で舗装された道が延びています。
道の両脇には長い生け垣がありました。ニワトコ、サンザシ、ハシバミ、ヒイラギ……フルートたちがよく知っている植物も数多くありますが、地上では見たことがないような植物も花を咲かせていました。メールが珍しそうにそれを眺めます。
「天空の花だね。いい匂い! 胸がすぅっとするよ」
「こっちは金陽樹か! メイのナージャの森にあった木だぞ!」
とゼンも金色の葉を揺らす木を眺めました。ナージャの森の金陽樹はとても大きかったのですが、生け垣に植えられている木は、それよりずっと小ぶりでした。刈り込まれて背が低くなっているのかもしれません。
ポポロは生け垣の中でひときわきらきらと輝いている木を指さして言いました。
「これは壁の木よ。この木には魔法を防ぐ力があるの。ほら、あたしたちはみんな魔法使いでしょう? どの家でもそれぞれに魔法を使っているから、魔法と魔法がぶつかって変な作用を起こさないように、この木で家と庭を囲んでいるの」
壁の木は、幹と枝は銀、葉はガラスのように透き通った水色で、細い金色の縁取りがありました。まるで作りもののような植物です。
「生け垣全部を壁の木にしなくてもいいの?」
とフルートは尋ねました。壁の木は長い生け垣のところどころに混ざっているだけです。
「ええ。これ一本で十メートル四方くらいは守れるから。でも、天空城にはもっとたくさん生えているわ」
「天空城では、毎日数え切れないくらい、強力な魔法が使われているんですもの。壁の木がなかったら大変よ」
とポポロとルルが口々に答えます。天空の国の話をするとき、彼女たちは本当に嬉しそうな顔をしています。
彼らは珍しい植物に囲まれた道を、きょろきょろ見回しながら歩いていきました。生け垣の切れ目から庭の中に入ると、そこにも低い生け垣に挟まれた小道があって、赤い屋根の家まで続いています。
小道の行き止まりの玄関には、一組の男女が立っていました。男性は短い銀色の髪、女性は長い赤い髪、どちらも黒い色の服を着ていて、やってくる一行を見つめています。
「お父さん!! お母さん!!」
ポポロとルルは同時に歓声を上げて駆け出しました。玄関の前に立つ両親へ走っていって飛びつきます。ルルは父親へ、ポポロは母親へ。ルルは犬ですが、ポポロが生まれたときからずっとこの家に飼われているので、血のつながった家族も同然なのです。
ポポロの両親は腕を広げて、一人と一匹の娘たちを抱きしめました。
「おかえり」
と父親が言い、母親はたちまち嬉し泣きを始めます。大きな瞳から大粒の涙をこぼす様子は、娘のポポロにそっくりです。
フルートたちは、遠慮しながら、ゆっくりとそこに近づいて行きました。今度は母親がルルを、父親がポポロを抱きしめます。娘たちのほうも、一年ぶりで会えた両親に泣きながら抱きついていました。その嬉しそうな様子に、フルートもゼンもメールも、遠い場所にいる自分たちの親を思い出しました。ポチは優しいフルートのお母さんのことを思い出します。変わりはないだろうか、と全員が故郷へ思いをはせてしまいます――。
その時、彼らの頭上で突然、何かが折れるような音がしました。続いて、ザザザザザ、と音を立てて緑色が降ってきます。
フルートたちは仰天しました。家の前に生えた大きな木が、横を通りかかった彼らへ枝を振り下ろして来たのです。木の幹が大きくしなり、太い枝と一緒に大量の木の葉が降ってきます。
「危ない――!」
フルートとゼンはとっさに武器を抜こうとしましたが、間に合いませんでした。枝にたたかれて地面に倒れてしまいます。
メールは、横にいたポチが風の犬に変身したので、それにしがみついて、かろうじて脱出することができました。木がフルートやゼンを枝の下敷きにしているのを見て、真っ赤になってどなります。
「おやめ、天空の木! なんであたいたちを襲うのさ!? あたいたちは敵じゃないよ!」
ワンワンワン、とポチもほえました。
「これは動く木のラホンドックだ……! 今はもう魔王はいないのに、どうしてまたぼくたちを攻撃するんです!?」
けれども、木は止まりませんでした。木の葉をざわめかせながら枝を動かし、やがて身を起こすように、またまっすぐになります。その枝の中にフルートとゼンが捕らえられていました。細い枝や木の葉が体に絡みついて、脱出できなくなっていたのです。武器を抜いて木に攻撃することもできません。
「おやめったら!!」
メールがポチと一緒に突撃して、ラホンドックに手を突きつけました。彼女は花使いですが、最近は木の葉も操ることができるようになっていました。その力でラホンドックの葉を一枚残らず引きむしろうとします。
とたんに、ポポロとルルの声が響きました。
「待って、メール! ラホンドックにひどいことをしないで……!」
「大丈夫なのよ、そのまま見ていて!」
メールは思わず手を止めました。ポチと一緒に、とまどいながら木を眺めます。
すると、フルートとゼンが梢の中を動き始めました。二人の体を捕まえた枝が、上のほうへと彼らを運び出したのです。枝から枝へと受け渡されて、ついには梢の一番てっぺんまで運ばれてしまいます。
地上から二十メートルほどもある高い場所へ運び上げられて、フルートとゼンはびっくりしました。たくさんの枝と葉が彼らの体を下から支えているので、怖いという気はしません。何が起きるのかと、木の上で顔を見合わせてしまいます。
そんな二人の間でまた木の葉がざわめき、その奥から何かが現れました。木製の二つの丸い器です。中には金色の液体が八分目ほど入っています。
そこへ風の犬になったルルがポポロを乗せて飛んできました。
「それはラホンドックの樹液よ。めったに飲めないものだから、飲んでごらんなさい」
「ラホンドックはね、前にフルートたちに乱暴をしたことを謝りたいと思っているのよ。それはラホンドックのお詫びなの」
とポポロも言うと、ざわざわ、と風もないのにラホンドックの梢が鳴りました。そうなんです、と言っているような音です。
「ぼくはラホンドックには襲われなかったんだけどな。襲撃されたのはゼンとポチとポポロだけだったんだけど」
とフルートは言いましたが、自分の前から器が消えないので、手に取ってみました。ゼンも器を持って中身の匂いをかいでいます。
「かなり強い香りがするぞ。まさか毒ってことはねえんだろうな?」
「いやぁね! ラホンドックの樹液は薬なのよ! 体にいいんだから、早く飲みなさいったら!」
とルルが怒ったので、フルートとゼンは急いで器に口をつけました。金色の液体をごくりと飲んでみます。
とたんに、ぴりっとした刺激が舌を刺し、続いてなんとも言えない甘さと香りが口いっぱいに広がりました。それがすぅっと消えていって、爽やかさが残ります。まるで体の中を緑の風が吹き抜けていったようです。
「おいしい!」
「おい、うめえな、これ!」
とフルートとゼンは驚きました。こんな飲み物を味わったのは生まれて初めてです。
それを聞いてメールとポチも飛んできました。
「ホントに!? ねえねえ、あたいにも味見させてよ!」
「ワン、犬にも飲めそうですか? ぼくも飲んでみたいなぁ!」
おいしいものには目がない一行です。
ルルが笑って答えました。
「もちろん犬も飲めるわよ。体調がすぐれないときなんかに、たまにラホンドックがくれるの。飲むとすぐに元気になるわ」
そこでポチとメールは木の上に舞い下りていきました。ポチは犬の姿になってフルートから樹液をわけてもらい、メールもゼンから器を受けとって飲んでみます。
「ワン! 辛いけどおいしい!」
「ホントだ! すっごく爽やかな味だね! それに体中に元気が流れ込んでくる感じがするよ!」
「馬鹿野郎、全部飲むなよ! 俺にも残しとけ!」
「ちゃんと残してるじゃないか。ゼンったら意地汚いんだからさ!」
「なんだとぉ!?」
「ポポロとルルは飲まなくてもいいの? まだあるから一緒に飲まない?」
「あたしたちはいいわ。フルートたちで飲んで……」
「そうそう。私たちなら、またラホンドックからもらえるから」
ひとしきり木の上が賑やかになります。
すると、下のほうから呼びかける声がしました。
「みんな、そろそろ降りておいで」
「食事の準備ができているのよ。冷めてしまうわ」
ポポロのお父さんとお母さんが笑いながら木を見上げていました。
フルートたちは歓声を上げると、また風の犬になったポチとルルに飛び乗って、ラホンドックから降りていきました――。