長老から、ムパスコへ戻ってこい、と言われて、赤の魔法使いは本当に意外そうな顔をしていました。やがて、苦笑の表情に変わると、ムヴア語で答えます。
「レワ、シャ、ゲダ」
「金の石の勇者のおかげだと?」
と長老たちが驚いたようにフルートたちを見ました。フルートたちのほうは、何も言うことができませんでした。赤の魔法使いが故郷と仲直りできるのはすばらしいことなのですが、ロムドから彼がいなくなってしまったらどうなるのだろう、と思わずにはいられません。
すると、白髪の長老がフルートたちへ言いました。
「おまえたちが望むなら、おまえたちもムパスコで暮らせばいい、白い人間たち。ムパスコは豊かになった。谷間の畑には、おまえたちも暮らせるくらいの麦が実っている」
それを聞いて、赤の魔法使いがまた何かを言いました。長老がうなずきます。
「そうだ。外から買った種から実った麦だ。――我々は確かにムヴアを捨てた。だが、それは、そうしなければムパスコ中の住人が餓死することになったからだ。ムヴアを守れ、と言うおまえの気持ちはよくわかる。だが、何千人もの命と引き替えにするわけにはいかなかった。我々ムパスコの長老は、断腸の想いで決断したのだ。それだけはわかってほしい」
長老の声は静かでした。他の村人は頭を垂れ、アマニは涙ぐみます。
赤の魔法使いはうなずきました。赤いフードをまぶかにかぶり、その陰から言います。
「シャ、ル。ガ、ワ、ロムド、ル」
「なに、なんだって!?」
魔法使いがロムドの名を出したので、フルートたちはいっせいにポチに群がりました。小犬があわてて通訳します。
「ワン、村に戻っていいって言われたことは嬉しいけれど、自分はやっぱりロムドに戻るって――」
「モージャ!」
とアマニが叫ぶと、魔法使いはまた何かを言いました。アマニが目を見張ります。
「ロムドでモージャの友だちや主君が待っているから? 大切な役目もあるから……? だから、また出て行っちゃうの……?」
大きな目からまた涙がこぼれ出します。
そこへ、長老の後ろにいた村人の一人が、突然進み出てきました。一番年若く見える男でした。緊張した顔で話しかけてきます。
「モ、モージャ! あんたがやっぱりムパスコを出ていくと言うなら、頼みたいことがあるんだ――!」
赤の魔法使いは青年を見ました。長老たちも、何を話し出すのだろう、というように彼を見ます。
青年は魔法使いの隣に立つアマニを指さして言い続けました。
「ぼく――俺はアマニが好きだ! もう何年も前から、アマニと結婚したいと思ってきたんだ! 頼む、モージャ! アマニを俺の女房にくれ! 必ず幸せにするから!」
赤の魔法使いは驚いたようでした。すぐには返事をしません。
アマニが声を上げました。
「あたしは結婚できない、って言ったじゃないか、ウペンド! どうしてまたその話を持ち出すのさ!?」
色の黒いアマニですが、それでも頬が真っ赤に染まっているのがわかりました。
ウペンドと呼ばれた青年は、熱心に言い続けました。
「君が本当に好きだからだよ、アマニ! 何を言われたってあきらめられないんだ! 二年前に君に結婚を断られてから、ぼくは一生懸命稼いできた。今では雌牛が三頭、雄牛が一頭いるし、自分の家もあるし、麦をいっぱいにした倉庫もある――。君と、君が生んでくれる子どもたちを養う力は充分にあるつもりだ。頼む、アマニ! ぼくと結婚してくれ!」
青年は真剣そのものでした。ムヴアの兄妹をひしと見つめます。
アマニは首を振りました。
「だめだったら、ウペンド! だって、だって、あたしは……」
言いかけて隣を振り向き、兄がフードで顔を隠しているのを見て、泣き出しそうになりました。唇をかんでうつむいてしまいます。
青年が駆け寄ってきました。アマニの小さな手を自分の両手で握りしめて言い続けます。
「モージャはまたムパスコを出ていく。君はまたひとりぼっちだ。結婚しよう、アマニ。そして家族を作ろう。きっと君を幸せにするから!」
アマニは顔を歪めて目を閉じました。まぶたの間から大粒の涙がこぼれ落ちていきます――。
すると、赤の魔法使いがアマニの肩に手をかけました。ぐっと抱き寄せて青年から引き離すと、こう言います。
「ダ。アマニ、ワ、ノ、マダ」
とたんに、えっ!? と大声を上げたのはポチでした。呆気にとられたように魔法使いを見つめます。
フルートたちはいっせいにまた小犬に集まりました。
「なんだよ、ポチ!?」
「何をそんなに驚いてるのさ!?」
「赤さんはなんて言ったの!?」
ポチは目をぱちくりさせながら答えました。
「ワン、赤さんは、結婚はさせられない、って言ったんですよ。アマニは自分の妻になる女性だから、って……」
はぁ!? と彼らは仰天しました。意味がわからなくなって、赤の魔法使いとアマニと青年を見比べてしまいます。
そんな彼らに長老が話しかけてきました。
「白い肌の友人たちは知らなかったのか。アマニはモージャの許婚(いいなずけ)だ。生まれたときからモージャと結婚する約束になっていたのだ」
「だ、だって、赤さんはずっとアマニを妹だ、って言ってたじゃねえか!」
「そうだよ! 生まれたときから一緒に暮らしてきたんだ、って――!」
とゼンとメールが抗議すると、長老や村人たちは声をたてて笑い出しました。いかにもおかしな話を聞いた、という反応です。
「ムヴア族では、親同士が話し合って子どもの結婚を決めることが多いのだ。名だたる家柄ならば、子どもが生まれる前から結婚相手を決めるし、その場合には、妻になる女の子は生まれてすぐに夫の家へ預けられる。そこで二人は兄妹として育てられて、年頃になったら結婚式を挙げて夫婦になるんだ。それがムヴア族の伝統だ」
と長老に言われて、フルートたちは本当に呆気にとられました。ということはつまり、赤の魔法使いとアマニは本当は兄妹ではなく、婚約者同士だった、ということです――。
アマニは信じられないように赤の魔法使いを見上げていました。
「本当に、モージャ……? 本当に、あたしをお嫁さんにしてくれるの……?」
「ゼ、ク? ナ、ワ、ノ、マ、ル、クダ」
と魔法使いが答え、早く通訳! とフルートたちがまたポチに迫ります。
「ワン、おまえは俺の妻になる約束だったんだから、どうして驚くんだ――って、驚くに決まってますよ! 赤さんは、ずっと結婚しない、って言い張っていたじゃないですか!」
とポチが言い、フルートたちは、あれはそういうことだったのか、とようやく理解しました。
まだ信じられずにいるアマニに、赤の魔法使いは話し続けました。見上げるアマニの目に、また涙が浮かんできます。
すると、魔法使いは赤いフードを後ろへ押しやりました。猫の目を細めて笑っている顔が現れます。
「モージャ!」
歓声を上げて飛びついてきたアマニを、魔法使いはしっかりと受け止めました。両腕の中に愛おしく抱きしめます――。
一同も思わず笑顔になりました。フルートがポチの隣にしゃがみ込んで尋ねます。
「今さら聞くまでもない気はするんだけどさ……赤さんは今、なんて言ったんだ?」
「ワン、いつまでも過去にこだわって、大切なものを失うわけにはいけない。おまえをロムドに連れていく、って」
ひゃっほう! とゼンとメールは大声を上げました。ポポロとルルも、きゃあ! と歓声を上げて抱き合います。
長老が赤の魔法使いとアマニに話しかけました。
「二人とも幸せになれ。そして、モージャの勤めが終わったら、またムパスコに戻ってくるといい。おまえの家は、いつまでも我々が守っていてやるから」
「シャ、ル」
と赤の魔法使いが言いました。長老に感謝をしたのです。その腕はまだアマニを大切に抱きしめています。
アマニに求婚した青年はしょげて、仲間の村人からなぐさめられていました。あきらめろ、モージャにかなうわけがない。おまえにはもっとふさわしい娘を見つけてやるから。そんな村人のことばも、今はまだ青年の心に届かないようでした。肩を落として立ち去っていきます……。
すると、赤の魔法使いがフルートを振り向きました。そのまま、視線を谷の上のほうへ向けます。出発を尋ねているのだ、とフルートは気がつきました。急いで立ち上がると、家の前にいた自分たちの馬を集めて、仲間たちに言います。
「それじゃ、行こう――。いろいろとお邪魔しました」
最後にムパスコの長老と村人に丁寧に頭を下げたのは、いかにもフルートらしいことでした。村人たちが笑顔になります。
「おまえたちがどこへ何をしに行くのか、我々は知らないが、気をつけて行きなさい。そして、モージャとアマニをよろしく頼む」
と長老は言いました。拳にした手を振って、村人と一緒に見送ってくれます。
「ゾ!」
赤の魔法使いの声と共に、彼らの姿はムパスコの中から消えていきました――。
The End
(2012年5月4日初稿/2020年4月8日最終修正)