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第18巻「火の山の巨人の戦い」

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第18章 猛攻

58.黒い湯気

 この世界は力で充ちていました。

 生き物たちだけでなく、山も川も、海も空も大地も、大きな力を持っています。それは自然の持つエネルギーでした。世界に存在するすべてのものが、それぞれの内側に力を抱えていて、外へ放出し、互いに影響を及ぼし合っています。

 ムヴアの魔法使いたちは、それらの力を旋律として感じることができました。自然の旋律を自分に取り込み、自分の体を一つの楽器のようにして織り合わせ、新たな旋律を生み出すこともできます。人もまた大きな自然の一部なので、同じ自然の力を持っているからです。

 今、赤の魔法使いが行っているのは、その魔法でした。ナンデモナイが歪めてしまった地下の空間の旋律を、自分の中へ取り込み、正しい形へ戻していきます。一歩間違えば旋律は狂い、彼自身の体を破裂させてしまう危険な魔法でしたが、彼は少しも恐れていませんでした。ムヴアの魔法使いは世界中に彼一人だけでも、彼には仲間たちがいました。どんなに遠く離れていても、今、この瞬間も彼を支えてくれていることを感じます。

「直れ!!」

 両手を地面に押し当てて力を送り続けると、狂っていた中州が正しい旋律に戻っていきます。世界は元に戻った瞬間に弦を弾いたような音をたて、白い光を放ちました。外からは狂った旋律が押し寄せてくるので、音はひっきりなしに響き、中州は白く輝き続けます。闇の気にねじ曲げられた旋律は圧倒的な大きさですが、少しずつ少しずつ、正しい旋律の範囲を広げていきます。

 白い光は次第にナンデモナイの足元へ迫りました。巨大な猫の目の大男が、中州の端へ追い詰められていきます――。

 

 ナンデモナイは地団駄(じだんだ)を踏んで怒りました。

「生意気、ナマイキ、生の息! 人間のくせに俺に逆らっている! ムヴアの魔法使いが恨みをよこさないと言うなら、もっと強力にいただくまでだ。そぉら、もうひとつ来い! 恨みの風!」

 ナンデモナイの長いハンマーが、かーん、と中州の岩をたたき割ると、中からまたつむじ風が現れて、先のつむじ風と並びました。闇の気が渦巻く黒い風です。

 とたんに倒れたのは、意外にも、戦士のロズキでした。赤の魔法使いが張った守りの障壁の内側にいたのですが、急に膝をつき、地面に突っ伏してしまいます。

「ロズキさん――!?」

 フルートやゼンは戦士に駆け寄ろうとしましたが、先ほどの赤の魔法使いと同じように、見えない障壁にさえぎられました。ロズキに触れることができません。その体から黒い湯気のようなものが立ち上り始めたので、フルートたちはぎょっとしました。湯気はつむじ風に巻き取られ、ナンデモナイの口に吸い込まれていきます。

「恨みを吸われているぞ、ロズキ!」

 と赤の魔法使いは呼びかけました。彼自身は魔法を使っているので、駆け寄ることができません。

 ナンデモナイはまた大きな目をぐるりと回しました。

「意外、イガイ、栗はイガイガ――ムヴアの魔法使いじゃなく、戦士が恨みをよこした。これまた予想外に大きな憎しみ。いーよっほぉ!」

 ナンデモナイが歓声を上げたとたん、その体がまた、ぐうっと大きくなりました。身長が一気に数メートルも伸びて、見上げるような巨人になってしまいます。同時に、その外見も変わっていきました。黒い肌に縮れた黒髪、巨大な猫の目の姿から、胸当てを身につけた、肌の白いたくましい戦士になります。顔立ちもどことなくロズキに似ています。ただ、胸当てだけは、ロズキのものは鮮やかな赤なのに、ナンデモナイのものは闇のような黒い色でした。手にしているのも、剣ではなく、長いハンマーです。

 

 すると、倒れていたロズキが、顔を上げて声を振り絞りました。

「わ――私は恨んでなどいない……! 後悔はしていても、憎しみなどは、私の中にないはずだぞ……!」

 巨人の戦士になったナンデモナイは、ハンマーをぶんぶんと振り回して、にぃっと笑いました。

「どうかな、銅かな、よみがえってきた戦士。現に、おまえは俺に力を与えた。俺を強くするのは、恨みや憎しみ。俺にはおまえの恨みの元も見えているぞ――。おまえは二千年前、おまえの大事な主君に裏切られた。信じていたのに、敬愛していたのに。おまえの心の中は、いつもその気持ちでいっぱいだ。おまえの主君は世界を救わなかった。自分の命を捨てる代わりに、自分が世界の王になろうとした。失望、絶望、大泥棒。こんな人物に仕えていたなんて、と自暴自棄――」

「違う!!」

 とロズキは激しく言い返しました。起き上がることは出来ませんが、地面の岩をつかんでどなり続けます。

「セイロス様が自分の願いを語ってしまったのは、願い石の誘惑に負けたからだ! あれは恐ろしい石だ! 人を狂わせて破滅させる! 憎むべきものは願い石! セイロス様はその被害者なのだ!」

「そら、ソラ、青空――そうやって自分で自分を慰めているな? しかたないことだった、どうしようもないことだった。悪いのは主君じゃない、悪かったのは自分でもない。違う違うで、真実から目をつぶる。消えない憎しみにこっそり蓋をする」

 くくく、と戦士になったナンデモナイはまた意地悪く笑いました。

「面白い、オモシロイ、尾も白いのは白い犬――。主君のせいでおまえたちは負けた。主君に手ひどく裏切られて、おまえは死に追いやられた。なんということ、こんなにも誠心誠意仕えたのに。怒りは恨みに、恨みは憎しみに。それでも、おまえは憎んでいないと自分に言う。自分の嘘で自分をだます――。人間はまったくへんてこりんだ。へんてこりんの、てんてこりん」

 ロズキは真っ青になっていました。これまでなかったほどの怒りにかられていたのです。断じて違う! と声を限りに反論しようとしますが、何故かその声は出てきませんでした。真実を言い当てられてしまった人のように、心の奥底が激しく痛みます――。

 

 ところが、赤い障壁の中から外へ、猛烈な勢いで飛び出したものがありました。風の犬のポチに乗ったフルートです。巨人になったナンデモナイへ突進すると、炎の剣で激しく切りつけます。

 おっと、とナンデモナイはハンマーで剣を受け止めました。ポチはすぐに身をひるがえすと、別の方向から襲いかかりました。フルートが剣で切りつけながら叫びます。

「やめろ、ナンデモナイ! 人には誰でも外には出したくない想いがあるんだ! それを引きずり出して嘲笑(あざわら)う権利なんて、おまえにはない! おまえがそれで世界を狂わそうとしているならば、なおのことだ!」

 フルートは飛び回るポチの背中から剣をふるい続けました。火花を散らしてぶつかったハンマーを受け流し、隙ができた脇腹へ切りつけると、ナンデモナイの胸当てが火を吹きます。ナンデモナイはうなり声を上げて防具を投げ捨てました。マグマに落ちた胸当てが、燃えながら沈んでいきます。

 その隙にフルートがまた切り込みました。巨人の胴をなぎ払おうとしますが、寸前でナンデモナイが停めました。ハンマーの柄が炎の剣を弾き返します。

 すると、ロズキから立ち上る黒い湯気が薄くなってきました。戦士が両腕をついて身を起こします。

「わ、私は、セイロス様を恨んではいない――!」

 とロズキは言いました。全力で戦った後のように、息が上がっていますが、懸命に叫び続けます。

「人に、知られたくない想いがあるのは、誰もが同じこと――! それに、セイロス様は、世界の王となるのにふさわしいお方だった! セイロス様がそれを願われたのは、当然のことだ――! 私はセイロス様を恨まない。憎むべきものは願い石だ。そして、願い石をセイロス様に使わせた、闇の竜なのだ――!」

 黒い湯気はますます薄くなり、ついに完全に停まってしまいました。ロズキがゆっくりと立ち上がっていきます。恨みの想いを吸い取られなくなったので、力の流出も停まったのです。とたんに、ガラスが砕けるような音をたてて、見えない障壁も消えました。障壁をたたき壊そうとしていたゼンが、つんのめってロズキにぶつかります。

 

「生意気! ナマイキ! 生の息!」

 とナンデモナイは金切り声を上げました。自分の周囲を飛び回るフルートをにらみつけて、ハンマーの先を突きつけます。

「人間は誰でも憎しみを持っている。かくなる上は、おまえから奪ってやる、チビの人間。金の石の勇者などともてはやされても、心の蓋を外せば皆同じ。その底にあるのは妬みやそねみ、憎悪や願望。おまえの憎悪を俺によこせ! その力でおまえらを潰してやる――!」

 かーん、とまたハンマーが岩を割り、三つ目のつむじ風が立ち上りました。黒い闇の風をナンデモナイの口へ送り込みます。

 ところが、フルートは平気でした。ロズキを救出した今は、飛び回るのをやめて、ナンデモナイの正面にポチと一緒に浮いています。その体から、黒い湯気は立ち上っていません。

「恨みの気が出ていない……? 彼はまだ子どもだから、恨みを持っていないのか!」

 とロズキが驚き感心すると、似たような姿をしたナンデモナイが頭を振りました。

「まさか、マサカ、トサカの頭! おまえが恨みを持っていないはずがない! 俺にはおまえの過去も見えている! おまえは小さい頃からいじめられてきたじゃないか! 仲間はずれにされて、からかわれて、殴られて――。勇者になってからは、いつも傷ついてきた。命をなくしかけたことも、何度もあった。どうして自分だけこんな目に? そう思わないはずがない! 隠すな! 偽るな! 嘘つきの勇者! おまえは世界を憎んでいる! 絶対にそうだ!」

 けれども、やはりフルートから恨みは立ち上りません。

 ばぁか、とあざけるように言ったのはゼンでした。

「記憶が読めるっていうんなら、どうしてフルートの言ったことまで読まねえんだよ、根暗のでかぶつ! こいつはな、二千年に一人も出ないようなお人好しなんだよ! そんなことを恨みに思うわけがねえだろうが!」

 なに? と驚いたナンデモナイに、フルートは言いました。

「確かに、ぼくの過去も、見る人が見たら不幸なのかもしれない。だけど、それが不幸かどうかは、自分が決めることだ。それを恨むかどうかも、自分自身の心で決めていく。――ぼくは自分を不幸だったとは思わないよ。確かに大変なことはいろいろあったけれど、そのおかげでゼンたちと出会えたんだからな。世界中を旅して、素晴らしい人たちにも大勢出会うことができた。あの昔があったからこそ、今のぼくがいる。だから、あの頃に感謝することはあっても、絶対に恨む気持ちにはならないんだ!」

 強い口調できっぱり言い切ったフルートに、仲間たちは歓声を上げ、ロズキは驚いた顔になりました。十五、六の少年が言っているとは思えない迫力です。

 赤の魔法使いはフードの陰でそっと苦笑しました。

「俺が今ようやく気がついたことを、彼らはとっくに知っていたわけか。まったく、金の石の勇者にはかなわんな……」

「さあ、この地下を元に戻せ、ナンデモナイ! そして、噴煙を停めて、地上に闇を送るのをやめろ!」

 とフルートは炎の剣をナンデモナイへ突きつけました――。

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