マグマの川の中州に現れた異形の人物に、フルートたちは、ぎょっとしました。小柄な体も黒い肌も縮れた髪も、赤の魔法使いによく似ているし、猫のような金の目も同じですが、目の大きさがまったく違います。顔からはみ出すほど巨大なので、顔の輪郭のほうが目の形に合わせて歪んでいました。糸のように細い瞳が、フルートたちを見渡して、にんまりと笑います。
「何を驚く、人間ども。これはおまえたちの姿だろう」
やはりそれは火道が崩壊したときに聞こえた声でした。ロズキが赤の魔法使いに尋ねます。
「あいつは猫の目をしている。君の同族か？」
ムヴアの魔法使いは首を振りました。
「いいや、あんな奴は知らん。そもそも、猫の目の魔法使いは、この世にもう俺しかいないんだ」
そこで、フルートは尋ねました。
「おまえは何者だ！？ どうして地上に闇の煙を送り出している！？」
すると、巨大な猫の瞳がぐるりと一回転しました。歌うような調子でこう言います。
「何者？ ナニモノ――ナマケモノ？ いいや、俺はミツユビナマケモノじゃない。センザンコウでもなきゃ、カバでもない。俺の呼び名はナンデモナイ」
ナンデモナイ！？ と一同は思わず繰り返しました。とても名前とは思えない呼び名です。ふざけるな！ と怒り出そうとするゼンを、フルートが押しとどめました。
「おまえはナンデモナイなんだな。わかった。それじゃもう一度聞く。何故、地上に闇の煙を送り出すんだ？ おまえはここで何をしようとしている？」
「何をしようとしている？ ナンデモナイは何をすると？ それもわからないとはトンデモナイ。飛んでもいけない、みんな落ちろ！」
小男はわけのわからないことを言いながら、近くにあった溶岩を長いハンマーでたたきました。カーン、とやけに堅い音が響き渡ります。
とたんにポチやルル、赤の魔法使いやロズキがいっせいに落ち始めました。空中に浮いていられなくなったのです。全員がマグマの川に墜落しそうになります。
「危ない！」
「ワン、つかまって！」
ルルとポチは体を伸ばして、赤の魔法使いとロズキを風の尾に巻き込みました。上昇することができなかったので、そのまま滑空して中州へ飛びます。なんとかたどり着き、全員が転がるように中州に倒れると、とたんに犬たちは元の姿に戻ってしまいました。それきり風の犬に変身できなくなります。
「魔法の力の向きを変えられている！」
と赤の魔法使いが跳ね起きて言いました。先に火道の中で起きたのと同じ状況になったのです。これでは魔法を使うことができません。
ナンデモナイ、と名乗った小男が、くくく、と笑いました。
「魔法、マホウ――アホウは誰だ？ 魔法でなんでもできるつもりの連中は、魔法が使えなくなれば、ただの阿呆。おまえたちこそ、何をしに来た？ ここは火の山の炎の貯蔵庫。人間どもが来るところじゃない」
フルートは思わず目を細めて男を見つめました。狂っているようにも見えますが、言っていることは、どこか筋が通っている気がします。なんとかもう少しまともな話はできないだろうか、と考えます。
すると、そんなフルートをポポロが後ろから引っぱりました。
「大変よ、フルート！ 赤さんが魔法を使えなかったら、夜が明けて時間切れになったときに、あたしたちを守ることができないわ……！」
フルートは真っ青になって仲間たちを見回しました。ポチとルルは変身できないので、ここから飛んで逃げることはできません。赤の魔法使いも魔法が使えないので、彼らを一気に地上へ運ぶことができません。中州の周囲には灼熱のマグマが流れています。どこにも逃げ道はないのです。
フルートは聞き返しました。
「地上は！？ あとどのくらいで夜が明ける！？」
ポポロは両手を堅く握り合わせて、必死で涙をこらえていました。遠いまなざしを上に向けて言います。
「もう少し……あと三十分もたたないうちに朝が来るわ……！」
そんな！ とメールとルルは悲鳴を上げました。どうして良いのかわからなくなって立ちすくみます。
すると、ゼンが弓を外しました。矢をつがえて、大きな目玉のナンデモナイに狙いをつけます。
「赤さんの魔法を邪魔しているのはこいつなんだ！ だったら、こいつを倒せばいいだけだ――くらえ！」
言うが早いかゼンは矢を放ちました。ゼンとナンデモナイの間には十数メートルの距離しかありません。矢はまっすぐ小男へ飛んでいきます。
すると、ナンデモナイは長い柄のハンマーを振り上げました。
「矢だ、ヤダ、刺さるのはイヤだ。まっぴらごめん」
飛んできた矢の上に、カーン、とハンマーが振り下ろされました。矢がハンマーと溶岩の間に挟まれてしまいます。
ハンマーが再び上がったとき、そこにはもう矢はありませんでした。代わりに真っ黒な鳥が飛びたちます。そのくちばしは矢尻のように尖っていました。防具をつけていないゼンに襲いかかっていきます。
「危ない！」
とフルートは前に飛び出して鳥を切り捨てました。握っていたのは炎の剣なので、鳥が燃えながら落ちていきます。
とたんに、ナンデモナイは大きな目をぎょろりと動かしました。
「なんだかどこかで見たような剣だな？ それともただの他剣の空似（そらに）か？ まだ火の魔法が使えるとは無礼千万。そぉら、これでただの剣だ――」
カーン、とまたハンマーが中州の岩をたたきました。一同は一瞬身構えましたが、目に見えては何も起きません。ゼンはすぐにまた弓を構えました。
「今度は外さねえぞ！ エルフが作った百発百中の矢だ！ くらえ！」
ナンデモナイが下ろしたハンマーを持ち上げる隙を狙って、矢を放ちます。ハンマーは矢に間に合いません。
ところが、矢は小男の手前で大きく向きを変えました。まっすぐゼンのほうへ戻ってきます。
うぉっ！ とゼンは身をかがめました。ついでに後ろにいたメールも押し倒します。その頭上を矢は飛び過ぎました。メールの緑の髪を矢がかすめていきます。
赤の魔法使いが叫びました。
「魔法の向きがますます狂った！ 魔法の武器もまともに働かないぞ！」
「ワン、それじゃ炎の剣も――！？」
とポチは焦りましたが、フルートはすでに炎の剣を構えていました。また向きを変えてゼンとメールへ飛んできた矢へ、大きく振り下ろします。
すると、剣の切っ先から炎の弾が飛び出しました。矢にぶつかって燃え上がり、マグマの水面に落ちていきます。
「ちゃんと使えたわよ！？」
と驚くルルに、ロズキが言いました。
「炎の剣はあいつの影響を受けていないのだ！ だが、私の剣はだめだ！ 聖なる剣にならない！」
戦士が握っている剣は鋼（はがね）の刃のままでした。戦士がどれほど念じても、朝日のような聖なる光に包まれません。
フルートは、自分でも気づかないうちに、額や手のひらに冷たい汗をかいていました。剣を握る手が震え出しそうになって、あわてて剣を握り直します。仲間たちにナンデモナイと名乗る男を倒すことはできません。唯一まだ戦える武器は、フルートが持つ炎の剣だけなのです。
地上では夜明けが迫っていました。ポポロは黙っていますが、血の気を失った顔が、もうすぐ時間切れになると知らせていました。両手を握り合わせ、食い入るように頭上を見つめ続けています。
フルートは大きく息を吐くと、もう一度、剣を握り直しました。唇を血がにじむほどかみしめます。
突然強い感情の匂いが漂ってきたので、ポチはびっくりしてフルートを見上げました。恐怖、不安、悲しみ、苦しみ、そしてすさまじい嫌悪……。それでもフルートは剣を構えていました。なすすべもなく立ちつくす仲間たちを守るために。
「ナンデモナイ！ この場所の魔法を元に戻せ！！」
フルートはそう叫ぶと、炎の剣を振りかざして切りかかっていきました――。
