星々が音もなく夜空を回り、山頂から眺める東の空が朝焼けに染まり始めると、炎の馬がフルートたちに言いました。
「間もなく夜明けです。私はもう行かなくてはなりません。火の山の地下で何が起きているのかを確かめて、山を正常に戻してください。今、地上では各地で不穏な動きが起きていて、闇の気配が強まってきています。地上を闇に渡さぬよう、要(かなめ)の国を闇から守るのです」
要の国というのは、ロムド国の古い時代の呼び名でした。世界中の国や人々をつなぎ合わせる国という意味が込められています。
フルートはもうゼンから解放されて、仲間たちと一緒に立っていました。炎の馬に向かって言います。
「あの火口から闇を含んだ煙が上っているということは、火口が問題の場所につながっているということだ。ぼくたちはあそこから入って、煙を追って大元へ行くよ」
すると、赤の魔法使いもムヴア語で何かを言いました。炎の馬がうなずいて答えます。
「そうです。闇が引き起こしていることなので、誰かが停めなければ、噴火はいつまでも続くでしょう。火の山を停めることが要の国を助けることになります。要の国が闇の灰でおおいつくされてしまう前に、山を停めてください」
フルートたちはいっせいにうなずきました。次第に明るくなってきた山頂では、すり鉢状のくぼみの底で、火口が白い煙を吐いています――。
すると、アマニが進み出てきました。泣きはらした顔を伏せ、黒い手で赤の魔法使いの長衣をつかんで言います。
「やっぱりあたしも連れていってよ、モージャ……。みんなが行くのに、あたしだけここに残るなんて、そんなのはないよ。火の山の中に行ける魔法をあたしにもかけて。絶対に足手まといにはならないからさ」
赤の魔法使いは首を振りました。アマニがまた涙ぐみます。
「それは……あたしには確かに何もできないけど……でも……」
彼女は夜通し赤の魔法使いから説得されていました。おまえを連れていくと、自分はそれ以外の魔法が使えなくなる。それでは行く意味がないのだ、と兄に言われて、一度は承知したアマニでしたが、直前になってまた気持ちが揺れたのです。兄の衣の袖を握りしめて、放そうとしません。
フルートたちは顔を見合わせました。ルルがポチにそっと言います。
「本当はアマニにもポポロの魔法をかけて、一緒に連れていってあげたいんだけれどね……」
「ワン、アマニはぼくたちに乗れないんだから、どうしようもないですよ。噴火口を下りていく方法がないんだもの」
とポチがささやき返します。風の犬は、仲間と認めた相手しか運ぶことができません。アマニは仲間と呼ぶにはまだつきあいが浅かったので、ルルもポチも彼女を乗せることができなかったのです。
アマニはうつむいたまま涙をこぼし続けていました。鼻声で言います。
「あたし……やっぱり外のことばなんか覚えなければよかった……。そうすればずっと魔法が使えたし、モージャに置いていかれたりもしなかったのに……」
赤の魔法使いは本当に弱った表情になりました。猫の瞳で妹をじっと見つめ、やがて短く呪文を唱えます。
「ロ」
すると、その手に一つの黒い石が現れました。石の奥で赤い光が息づくように明滅しています。それを妹に手渡して、赤の魔法使いは何かを言いました。
「火の石の番人? あたしが?」
とアマニは顔を上げました。赤の魔法使いがまた何かを言うと、手の上の石を見つめます。
「モージャったら、いつの間にか火の石を見つけていたんだ。そうだね……火の石は常に風に当てておかないと火が小さくなっちゃう。誰かが番をしていないと、使うときに困っちゃうんだよね……」
懸命に自分自身を納得させているような声でした。
フルートが静かに話しかけました。
「アマニ、ぼくたちの馬も一緒に面倒をみてもらえるかな? この子たちも地下には連れて行けないから。何かあったら、すぐにここから連れ出してほしいんだ」
アマニは泣き笑いの顔になりました。
「留守番もちゃんと役に立つ、って言いたいんだね……。いいよ、わかった。あたしはここに残って待ってる。ずっと待っているから――必ず生きて帰ってきてよ、モージャ。地面の下で死んだりしたら、承知しないからね」
「シ、タ」
と赤の魔法使いが答えました。白い歯をのぞかせて笑っています。
「朝日が昇るわ!」
とルルが言いました。赤から金色に変わっていく東の地平線を眺めて、ポポロも言います。
「昨日のあたしの魔法が消えていくわ……。新しい一日の始まりよ」
カツッと炎の馬が地面を蹴りました。その周囲を包んでいた聖なる光の柱は、朝の光の中で薄れつつあります。
「私はもう行きます――」
と不思議な声が言いました。
「あなたたちはまっすぐ地下へ進んでいきなさい。あるところまで進めば、きっと案内人が現れるでしょう」
案内人? とフルートたちは聞き返しました。
「誰だよ、案内人って。ドワーフかノームか?」
とゼンが尋ねたとき、山頂に朝の光がさしました。馬を守っていた聖なる光が消えていきます。
馬は炎のたてがみと尾をなびかせて空へ駆け上がりました。みるみる消えていく光の柱の中を、螺旋(らせん)階段を上るように駆けながら言います。
「まっすぐお行きなさい! そうすれば、案内人は自然に姿を現します――!」
さぁっとフルートたちの上に朝日が差しました。彼らの顔や服を照らし、フルートやゼンの防具を輝かせ、地上の岩を影でくっきりと縁取ります。
まぶしさに思わず目を細めた一行がまた目を開けたとき、炎の馬は空のどこにも見えなくなっていました。夜を脱ぎ捨てた空が、鮮やかな青に変わっていきます――。
ポポロは仲間たちに向かって言いました。
「それじゃ、魔法をかけるわね……。熱にも有毒ガスにも平気で動けるようになる魔法を、継続の魔法で定着するから……」
とたんに、ゼンが、ちょっと待て! と装備を外し始めたので、仲間たちは驚きました。メールが声を上げます。
「どうして脱いじゃうのさ、ゼン!? これから危険な場所に行くんだよ!?」
「わかってらぁ。でもよ、これはあらゆる魔法を解除しちまう胸当てなんだ。これを着たままでいたら、俺にはポポロの魔法がかからなくなっちまうんだよ」
魔法の防具の意外な弱点でした。フルートがひどく心配そうな顔をしましたが、ゼンは平気で青い胸当てと丸い盾を外すと、布の服を着ただけの恰好になりました。弓矢を背負い直してから、防具をひとまとめにして、アマニの足下に置きます。
「これも預かっといてくれ。俺の大事なもんなんだ。なくさねえように頼むぜ」
「あれぇ、あたしも責任重大なんだね? 荷物を引くのは牛の役目、虫を捕るのはカエルの役目ってことわざのとおりか――。うん、わかった。ちゃんと預かっていてあげるから、安心して行っておいで」
そう言ってアマニは笑いました。ようやくいつもの陽気な笑顔が広がります。
一行は、ポポロに魔法をかけてもらうと、風の犬に分乗して飛びたちました。ポチの背中にはフルートとポポロが、ルルの背中にはゼンとメールが。赤の魔法使いだけは、自分の魔法の力で空に浮いています。
フルートは煙を吐き続ける火口を指さして言いました。
「よし、行くぞ! 火の山の地下へ!」
「火の山の地下へ!!」
仲間たちがいっせいに繰り返し、風の犬と赤い魔法使いは火口へ飛んでいきました。たちまちその姿が煙の中に見えなくなります。
「いってらっしゃい――」
アマニは小さな声でつぶやくと、手の中の火の石をぎゅっと握りしめました。