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第18巻「火の山の巨人の戦い」

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第2章 谷間の村

4.亀裂

 「タ、ワ、ラダ」

 船が南大陸に到着した翌日、魔法で千キロあまりの距離を移動した一行に、赤の魔法使いが言いました。黒い肌に縮れた黒髪、子どものように小さな体に赤い長衣の、本来の姿に戻っています。赤の魔法使いが馬を停めたので、フルートたちも立ち止まりました。彼らもそれまでの変装を解いています。

「ワン、赤さんの故郷の村に着いたそうですよ」

 と小犬のポチがフルートの馬の籠(かご)から言ったので、全員はとまどった表情になりました。そこは見渡す限りの荒野でした。青い空の下に岩だらけの乾いた大地が広がっているだけで、家や畑はどこにも見当たりません。

「村なんてないじゃない。ポポロ、見える?」

 とルルがポポロの馬の籠から言いました。こちらも茶色い長い毛並みの雌犬に戻っています。

 ううん、と乗馬服姿のポポロは首を振りました。魔法使いの目を使っても、それらしい場所は見つからなかったのです。

「魔法で村を隠してあるんですか? 南大陸の自然魔法だから、ポポロにも見つからないんでしょうか?」

 とフルートは赤の魔法使いに尋ねました。彼も青いドレスを脱いで、金の鎧兜(よろいかぶと)に二本の剣を背負った勇者の姿に戻っています。

「ヤ、ホウ、イ。ラワ、ニ、ル」

 と猫のような瞳の魔法使いは言いました。

「ワン、魔法なんかは使っていないそうですよ。村はすぐそこにあるんだって……でも……」

 通訳するポチも、すっかり困惑していました。そこは平らな高原で、さえぎるものは何もない場所です。地平線までずっと見渡すことができますが、景色の中には岩やごくわずかな植物があるだけで、人が住んでいることを示すようなものは何も見えません。

 

 すると、赤の魔法使いがまた馬を進ませ始めました。

「イ」

 ついてこい、と言われたのだと察したフルートたちは、すぐに後に続きました。岩と乾いた土が続く大地を進んでいきます。

 やがて、その行く手に崖が見えてきました。大地の真ん中に大きな亀裂が走っていたのです。そのすぐ際(きわ)まで近寄って、赤の魔法使いが振り向きます。

「ガ、ラダ」

「ワン、ここが村なんだそうですよ」

 そこで、彼らは慎重に亀裂に近寄りました。地面は意外なほどしっかりした岩場になっていて、こちらの岸から向こうの岸まで二百メートルほどの距離があります。向こう岸の下は切り立った岩の壁でした。こちら側の足元も同じような絶壁になっているのに違いありません。

 馬を下りて崖っぷちから下をのぞき込んだフルートたちは、いっせいに、ああっ、と声を上げました。

「なんだこりゃぁ!」

 と猟師の恰好のゼンが言います。目がくらむほど深い亀裂の底に川が流れていて、川岸にはたくさんの植物が生えていたのです。そこから見下ろすと、細く深い回廊に緑の絨毯を敷き詰めたように見えます。

 太陽がほぼ真上から照らしていたので、日光は亀裂の底まで届いていました。川はきらきらと銀に光りながら流れ、植物は鮮やかな緑色に輝いています。そして、川に沿ったあちらこちらには、小さな家が何軒も建っていました。木の柵で囲まれた牧場や、よく耕された畑も見えます。

「コ、ムパスコ、ラ。ミワ、メ」

 と赤の魔法使いが言いました。

「ワン、ここがムパスコ村なんだそうです。ムパスコって、裂け目っていう意味らしいですよ」

 とポチは目をぱちくりさせながら言いました。険しい山に囲まれた谷間の町や村はこれまで何度も見てきましたが、こんな断崖絶壁に挟まれた細い場所に作られた村を見るのは初めてです。

 亀裂が曲がりくねりながら地平線まで続いているので、フルートは赤の魔法使いに尋ねました。

「村はこの谷間にずっと広がっているんですか? どのくらいの距離があるんでしょう?」

「ソ、ハムシニ、ロ。ラワ、ツ、ワナイ」

「ワン、だいたい五十キロくらい続いているそうですよ。だから、村はひとつだけじゃないって」

 へぇっ、とフルートたちはまた驚きました。この地域の人々は、荒れた地上には住めないので、水が流れる谷底に村を作って暮らしているのです。深い谷が村と村をつなぐ道の役割もしているのに違いありません。

 

「でもさぁ、村の人たちって、どうやって地上とあそこを行き来するわけ? ものすごい高さじゃないのさ。道も見当たらないみたいだし、鳥にでも乗るの?」

 とメールは尋ねました。黒く染めた肌や髪は、ゼンと同様、元の色に戻っています。

 あら、とルルが言いました。

「魔法を使うに決まってるじゃない。ここは赤さんの故郷なんだもの。天空の民みたいに、みんな魔法を使えるのよ」

 すると、赤の魔法使いが言いました。

「ヤ、ガウ。ラ、ホウ、ナイ。チ、ル」

「ワン、下りる道がちゃんとあるんだそうですよ。村の人たちは魔法が使えないからって――使えないんですか? どうして?」

 ポチが不思議がると、ポポロが思い出したように言いました。

「そう言えば、お台の山で天空王様がおっしゃっていたわよね。マモリワスレの罠はムヴアの術を使う魔法使いにしか解けないけれど、赤さんはその最後の魔法使いなんだ、って……。ムヴアの術は南大陸の東海岸に住む大きな部族が代々伝えてきたけれど、長い年月の間に数が減って、今では赤さんだけになってしまったのでしょう……?」

「ああ、そういやそんな話をしてたな。でもよ、ここは南大陸の真ん中あたりだぞ。天空王が言ってた東海岸とは、場所がちょっと違うんじゃねえのか?」

 とゼンも不思議がると、赤の魔法使いは黒い顔に微妙な表情を浮かべました。陰(かげ)りのある苦笑です。

「ナ」

 そうだな、と言ったように、フルートたちは感じました。それきり赤の魔法使いが黙り込んでしまったので、なおさらとまどいます。なんだか、あまり話したくない事情があるようです――。

 

 すると、急にすぐ近くから人の声がしました。

「モージャなの!? そうね!?」

 若い女性の声です。彼らからほど遠くない場所で、崖の下から上がってくる人物がいました。黒い小さな両手が岩をつかんだと思うと、あっという間に小柄な人物が姿を現します。つややかな黒い肌に縮れた長い黒髪の女性でした。体つきは赤の魔法使いのように小さくて、膝丈の縞模様の服を着ています。赤の魔法使いによく似ていますが、その目はごく普通の黒い瞳をしていました。金色の猫の瞳ではありません。

 黒い肌の女性は軽々と崖の上に上がってくると、歓声を上げました。

「やっぱりモージャだ! 帰って来たのね!」

 と両手を広げて駆け寄り、赤の魔法使いの首に抱きつきます。魔法使いのほうも猫のような目を細めて女性を見ていました。あまり笑わない彼がとても優しい微笑を浮かべていたので、フルートたちは驚いてしまいました。

「あの、どなたですか……?」

 とフルートが尋ねると、女性が、あら、と振り向きました。そこに彼らがいることにやっと気がついたのです。一行をしげしげと見てから、赤の魔法使いに尋ねます。

「モージャの知り合い?」

 モージャ、というのが赤の魔法使いの本当の名前のようでした。

「ラ、シ、ノ、シャ。ラ、ワ、ンダ」

 と赤の魔法使いが答えると、女性は黒い大きな瞳を、くりっと動かしました。

「金の石の勇者の一行? 兄さんの友だちなんだ。へぇ」

 兄さん!? とフルートたちはまたびっくり仰天しました。赤の魔法使いとは瞳もことばも違う女性を見つめてしまいます。

「そう。あたしはモージャの妹のアマニ。陽気なアマニ、ってみんなからは呼ばれてるよ」

 そう言って、女性は白い歯を見せました。本当に、明るい笑顔が広がります。

 

 そこでフルートはいそいで頭を下げました。

「初めまして、アマニ。ぼくはフルートです。みんなからは金の石の勇者と呼ばれています。こっちはぼくの友だちのゼンとメールとポポロ、そしてこの犬たちはポチとルル。ぼくたちは探しているものがあって、赤さんと一緒にここに来ました」

 女性はいっそう目をくりくりさせて彼らを眺めました。へぇ、とまた言ってから、赤の魔法使いに話しかけます。

「モージャにこんなにたくさん友だちがいるなんて、驚きね。赤さんってモージャのこと? 変な仇名!」

 と、けらけら声をたてて笑います。口数少なくてめったに感情を表さない兄とは、かなり対照的な性格のようです。

 それに対して、赤の魔法使いが答えました。彼が話しているのは南大陸のことばですが、妹にはちゃんと通じていました。ふーん、とアマニが言います。

「モージャはロムドってところで働いていたんだ。赤の魔法使いだなんて、かっこいい称号ね。でも、白い肌の人たちのためにモージャが働いてるなんて、なんか不思議」

「ダ」

 と赤の魔法使いが言いました。その黒い顔がまた微妙な苦笑を浮かべたことに、フルートは気がつきました。皮肉っぽい、陰りのある表情です……。

 

 ところが、アマニはそんなことにはおかまいなしに、兄の腕を引いて言いました。

「あたしの家においでよ、モージャ。あたし、三年前に家を出て、今は一人暮らしをしてるんだ。兄さんの友だちも一緒においで。お茶をご馳走するよ」

「リ? ト、ナイ?」

 と赤の魔法使いが尋ねるように言いました。意外そうな声です。

 とたんにアマニは白い歯をむき出して、いぃーっと顔をしかめました。

「結婚なんてしてるわけないじゃないか! モージャったら、相変わらず意地悪!」

 と、ぷりぷりしながら兄から腕を放し、拳(こぶし)にした手をフルートたちへ振って招きます。

「おいで、あんたたち。こっちよ」

 変わった恰好の手招きです。

 一行はとまどいましたが、赤の魔法使いが妹と歩き出したので、すぐに後についていきました。

 歩きながら、ポチはふと頭をかしげました。先を行く赤の魔法使いから、強い感情の匂いが漂ってきたからです。何かを深く心配する匂いです。

 けれども、猫の瞳の魔法使いは、口に出しては何も言おうとしませんでした――。

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