マモリワスレの戦いが終結して三週間後、カルドラ国のセイマ港から出発したフルートたちは、南大陸に向かう船に乗っていました。
バルス海を出てユーラス海を南下する長距離用の帆船なので、船内には客用の個室がいくつかあります。その一つを借り切ったので、彼らは他の乗客や乗組員に邪魔されることなく、のんびりと船旅を楽しんでいました。
ただ、この時の彼らは普段とは様子が違っていました。カルドラ国で指名手配されて捕まりそうになったので、変装をして脱出してきたからです。個室にいても人に見られる可能性があったので、一行はずっと変装したままでいました。本来の姿とはかなりかけ離れている者もいます――。
フルートは短い金髪に付け毛をして結い上げ、青いドレスを着て、貴婦人に変装していました。誕生日が過ぎたので、彼ももう十六才です。そろそろ少年時代も終わろうという歳ですが、小柄な上に少女のような優しい顔立ちをしているので、女装をすると女性そのものにしか見えません。もちろん、これがあの金の石の勇者だとは、誰も気がつきません。
ゼンは肌の色を黒く染めて、南大陸出身の人間に変装していました。ドワーフの血を引いているので背の低いゼンですが、がっしりした体格をしているので、力仕事をする下男という役柄がぴったりです。
メールもゼンと同じように肌を黒く染め、緑色の髪も黒くして、やはり南大陸出身の召使いのふりをしていました。服も、セイマから着てきた地味なスカートと上着という恰好なので、それが海の王の娘だとは誰も想像もしません。
ポポロは一行の中では一番控えめな変装でした。いつもお下げに編んでいる赤い髪をほどいて垂らし、上等なドレスを着ているだけです。それでも、顔立ちはかわいらしいし、おとなしくて行儀も良いので、いかにも貴族の子どもらしく見えています。
それより少し年上に見えるもう一人の少女は、実はルルでした。ポポロとは姉妹のように育ってきた、天空の国のもの言う犬です。今はポポロの魔法の力で、ポポロにとてもよく似た少女になっていました。変装ではなく変身です。
ポチも白い小犬から雪のように白い髪の少年に変身していました。小柄なポポロよりもっと小柄ですが、賢そうな黒い瞳をしています。こちらもポポロのしわざでした。ルルとポチの二匹に人間になる魔法をかけて、継続の魔法で定着しているのです。
そして、船室にはもう一人、赤い髪と口ひげの中年の男性がいました。とても上品で立派な身なりをしていますが、その正体は、ロムドの四大魔法使いの一人の、赤の魔法使いでした。本来は黒い肌に猫のような金の瞳の小男なのですが、自分自身に魔法をかけて貴族に変身しているのです。
彼らはもう二週間もこの船に乗っていましたが、変装や変身があまり見事なので、他の乗客は、本当に誰一人としてその正体には気づきませんでした。メイ国の貴族の一家とその使用人で、南大陸のルボラス国に住む親戚を訪ねていくところだ、という彼らの話を信じ込んでいます。
「この船はあと二日くらいでルボラスの港に到着するそうですよ。今朝、甲板で水夫が教えてくれました」
と真っ白い髪の少年になったポチが言いました。船は海の波を越えるたびに揺れていますが、すっかり船の動きに慣れてしまったので、上手にバランスを取りながら立っています。
「あと二日? ポポロはその仕事を急がなくちゃいけないわね」
と赤毛の少女に変身したルルが言いました。ポポロはベッドに座ったまま、もう何日もずっと針仕事をしていたのです。その膝の上にはだいぶ形になった、作りかけのスカートがあります。
「きっと大丈夫よ」
とポポロは針を動かしながら答えました。地味な色合いの布を正確な針目で縫い合わせていきます。
「上着はもうできあがったんだもの。あとはこのスカートを仕上げて、上着につなげるだけ……。スカートはあまり難しくないから、明日には仕上がると思うわ」
すると、顔と髪を黒く染めたメールが感心して言いました。
「ポポロはホントに器用だよねぇ。あたいも父上の城で少し針仕事を習ったけどさ、ドレスを作るなんてのは、とっても無理だもんね。どこで教わったのさ?」
「お母さんからよ……。ほら、あたしは一日に二回しか魔法が使えないでしょう? 他の人たちはみんな何度でも魔法が使えるから、その力で料理を作ったり、お裁縫をしたり、家のお掃除をしたりするんだけど、あたしにはそれができないから、お母さんが自分でやるやり方を教えてくれたの。魔法を使わなくても生活していけるように、って……」
ポポロの母がどれほど娘を大切に想ってきたかが伝わるエピソードです。
貴婦人の姿のフルートが言いました。
「ポポロが裁縫を得意で本当に良かった。船の中で店開きした行商人から買った布で、こうして新しい服を作ってもらえるからな」
姿はドレスをまとった絶世の美女でも、声と口調は男のままです。
すると、ゼンが首をかしげました。
「それにしてもよぉ。どうして急にまた新しいドレスを作る気になったんだ、フルート? 船が南大陸に着けば、もう女の恰好をする必要はねえだろうが。それとも、その先もその恰好でいるつもりなのか?」
「それに、新しいドレスは貴婦人が着るには地味すぎるんじゃないのかい? 何のためのドレスなのさ?」
とメールも口をはさんできます。
フルートは苦笑しました。
「こんな服は一刻も早く脱ぎたいよ。でも、用心には用心が必要だからな。ポポロが作っているのは非常用だよ」
非常用? と仲間たちは言いました。黒っぽい灰色の服が、どんな非常時に役に立つのだろう、と考えますが、フルートは謎めいた微笑を浮かべただけで、用途を説明しようとはしませんでした。
すると、ずっと黙っていた赤の魔法使いが急に口を開きました。
「レカ、ル。ビオ、ロ」
姿はメイ国の貴族でも、話すことばはいつもの異国語です。即座にポチが通訳します。
「誰かこっちに来ますよ。準備をしましょう」
そこで一同はぱたぱたと狭い船室を動き回りました。赤の魔法使いとフルートは、床に留めつけられた椅子に腰を下ろし、ポポロとルルとポチはベッドに並んで座り、ゼンとメールは入口に近い場所に立ちます。作りかけのドレスはベッドの毛布の下に押し込まれました。フルートが隠しに入れていた小瓶を出して、素早く一口飲みます。
そこへ船室の扉が外からたたかれました。メールが扉に寄って尋ねます。
「はぁい、どなたですかぁ?」
メールとしては精一杯召使いらしい口調です。男性の声がそれに答えました。
「船長です。皆様のご様子を伺いにまいりました」
フルートがうなずいたので、メールは扉を開けました。立派な長い上着を着た男性が船室に入ってきて、たちまち顔をほころばせます。
「おお、奥様もお嬢様方も具合が良くなられたのですね。これはよかった」
外に出れば他の乗客から詮索されると思った彼らは、慣れない船旅で船酔いになったことにして、ずっと船室に引きこもっていたのです。
フルートは椅子に座ったまま、にこやかに笑って見せました。
「おかげさまで、私も娘たちもようやく気分が良くなってまいりました。今日になって、やっとこうして起きられるようになったところです。でも、息子の話では、明後日には船がルボラスに到着するとか? 私たちの船旅は船酔いで終わってしまいましたわ」
フルートは完璧な女性の声になっていました。声を変える魔法薬を飲んだのです。船長にはその正体を見抜くことはできませんでした。美しい貴婦人からほほえまれて、思わず顔を赤らめながら話し続けます。
「あとわずかな日数ですが、私の船を少しでも楽しんでいただければ幸いです、奥様。旦那様もお子様方も、何かお入り用のものはありますでしょうか? 限られた船の上なので入手できるものは限られていますが、可能な限り、ご希望に沿いたいと考えております」
聞かれて、赤の魔法使いは黙って首を横に振りました。この船で、彼はずっと無口な貴族を演じています。代わりにフルートが答えました。
「私たちは皆、本当に良くしていただいていますわ、船長。ありがとうございます」
美しく優しい笑顔が、また広がります。
それを見て、ゼンがつぶやきました。
「ったく、すっかり板につきやがって。本当に、これからもずっとその恰好でいるつもりじゃねえだろうな」
「しっ、黙りなよ」
メールは鋭くささやき返すと、ゼンの腕を思いきりつねりました。
船室の外からは、絶えず波の音が聞こえていました。船は右へ左へ、ゆるやかに揺れ続けます。船室からは見えませんが、外には青い海とよく晴れた空が広がっています。天候に恵まれた、順調な航海です。
南大陸の北端に位置するルボラス国を目ざして、船は最後の旅路を進み続けていました。