場所は変わって、エスタ国の東のクアロー国。
その城の執務室で、クアロー王はひとり、じりじりとしていました。王が待っているのは、ロムド皇太子の一行を追って大砂漠へ行った、間者のミカールです。皇太子を人質にして城に戻ってくるのを、今か今かと待ち続けています。
すると、中庭に面したバルコニーでふいに音がして、外から窓が開けられました。中に入ってきたのは、王が待っていたミカールです。女と見間違えるほど美しい青年ですが、金髪は乱れ顔や服は砂と埃にまみれて、見る影もなくやつれていました。大砂漠から戻ってきたばかりなのです。転がるように王へ駆け寄り、その前にひれ伏して言います。
「申し訳ありません、陛下。ロムド皇太子を捕まえることができませんでした……。連中は大砂漠を越えてユラサイへ向かっていきました」
なんと、とクアロー王は言いました。すぐに真剣な顔で聞き返します。
「それで? 我々が狙ったことは皇太子に知られたのか?」
「向こうはロムドの一番占者を連れ歩いています。どれほど秘密にしても、こちらの正体は見破られました。しかも、我々が皇太子の書状を書き変えてロムド城へ送ったことまで、見抜かれてしまったのです――」
うぅむ、とクアロー王はうなりました。ロムド皇太子に策略をめぐらしたと知られれば、エスタ国王も黙っているはずはありません。非常にまずい事態になった、と考えます。
すると、ミカールは顔を上げ、必死に言い続けました。
「私が焦っているのはそのことだけではありません。私はこの城に戻ってくる途中で、サータマンの軍勢を見かけました。我が国へ送られてきた援軍なのですが、それが国境の戦場にたどり着かないうちに退却していたのです」
なに!? とクアロー王は顔色を変えて立ち上がりました。彼はサータマン国王から、援軍を送るからエスタ国を攻撃しろ、という指示を受けたので、国境を越えてエスタ国へ攻め込んだのです。
「何故だ!? 約束が違うではないか! 何故そんなことになった!?」
驚きと怒りで声を荒げるクアロー王に、ミカールは話し続けました。
「サータマン軍に飛び込んで隊長を問いただしたところ、サータマン王から突然撤退命令が出たのだと答えました。詳しい理由は隊長も知りませんでしたが、聞いた話から察するに、金の石の勇者の一行がどこかに姿を現したのではないかと……」
「行方不明だった金の石の勇者が見つかったということか。それでサータマン王は急いで軍を撤退させたのだな。エスタ国への攻撃はすべて我がクアローのしわざということにして、自分は知らん顔を決め込むつもりだ!」
クアロー王は拳を震わせて怒りましたが、どんなに腹を立てたところで、この状況を解決する方法はありませんでした。クアロー国はすでにエスタ国を裏切ってしまったのです。
ミカールは言い続けました。
「もとより、我が国とエスタ国の間には圧倒的な軍事力の差があります。サータマン王の援軍がなければ、我々がエスタに勝てるはずはありません。このままでは、同盟を破った背任の罪で、陛下はエスタから処刑されます。城から脱出なさってください。道中、私が陛下をお守りします」
む……とクアロー王はたじろぎました。ミカールは王に、城を捨てて逃げろ、と言っているのです。
けれども、次の瞬間、王はもう気持ちを立て直していました。どこにいるともわからない人物に向かって、呪詛(じゅそ)を吐きます。
「よくも我が野望を打ち砕いてくれたな、金の石の勇者……! クアローがエスタやロムドを制圧して、中央大陸の覇者になるチャンスであったのに。今はいったん逃げるが、私は決してあきらめないぞ。いつの日か必ずまた城に戻って、天下を取ってみせる。それまで束の間、身を隠すだけだ!」
「陛下、外に馬車を準備してございます。お急ぎください」
とミカールが王をベランダへ招きます。
クアロー王は着の身着のまま、窓から城の外へと逃げました。やがて、城の裏手から密かに馬車が走り出します――。
すると、執務室に宰相と軍務大臣が飛び込んできました。真っ青な顔で呼びかけます。
「陛下! 陛下はいずこにおいでですか!? 西の国境で、我が軍がエスタ軍に大敗したと知らせが入りました! エスタ軍が国内に攻めてまいります! いかがいたしましょうか、陛下――!?」
大臣達の悲鳴は続きますが、返事はありませんでした。王はどこからも現れません。
これを皮切りに、クアローでは王の行方を捜して、国中を巻き込んでの大騒ぎが始まるのですが、それはまた後の話になります……。
「追え! クアロー軍を追って追って、首都のセル・クアローを制圧するのだ!」
エスタとクアローの国境の戦場で、エスタ軍近衛部隊のシオン大隊長はどなってました。隊長の命令はたちまち伝わり、馬に乗った部下が波のような勢いで駆けていきました。戦場から逃げる敵をどこまでも追っていきます。
シオン大隊長は自分の馬を停めました。うしろからやってくる人々を振り向き、兜の面おおいを引きあげて言います。
「怪我はなかったか、シナ殿、魔法使いたち?」
「なかったよ」
「もちろん、私たちにも怪我はありません」
と女占者と双子の魔法使いが答えます。シオン隊長は汗ばんだ顔に笑みを浮かべました。
「敵陣は完全に崩れて、抵抗することもなく逃げ出した。これでエスタ-クアロー戦は終結するだろう……。特にシナ殿には助けてもらった。敵の動きをすべて読み切ってくれるから、我が軍はまったく被害を出すことなく、敵を駆逐(くちく)することができたのだ」
「竜仙郷から、姉さんも一緒に占ってくれたからさ。それに、あんたたちもよく働いたからね」
とシナは双子の魔法使いを見ました。彼らは、シナや占神が占った結果を魔法で軍の隊長たちに伝えていたのです。
シオン大隊長は満足そうにうなずいて言いました。
「この後はもう我々だけで大丈夫だ。一番占者がいつまでも城を離れていてはまずいのだから、シナ殿はエスタ城へ戻られよ。私はこのままセル・クアローまで敵を追い詰め、クアロー王を逮捕してくる。双子たち、シナ殿を城まで無事に送り届けるのだ」
「承知しました」
白と黒の服を着た二人の魔法使いが頭を下げたので、シナはおかしそうに笑い出しました。
「刺客集団の一味だったあたしが、今じゃ国王軍の魔法使いたちに護衛されて城に戻る身かい。人生、変われば変わるもんだよねぇ。いくら占者のあたしでも、ジズの下にいたころには、こんな状況は想像もしなかったよ」
それを聞いてシオン隊長が表情を変えました。少しためらってから、こう言います。
「何度も聞くが、シナ殿……ジズリードの行方はまだわからんのか? いつかまた会えるとシナ殿は言うが、それはいつのことなのだろう?」
「戦況が一段落したから、友だちが心配になってきたのかい? 余裕が出てきたようだね、隊長さん」
とシナはからかう口調で言い、シオン隊長がにらみ返すと、ふふん、と笑いました。
「再会にも巡り会いの時は必要なのさ。お待ちよ、ユーリー・シオン。いつかその時が来れば、必ずあんたたちも会えるときが来るから。焦って動けば、それだけ再会の時は遠ざかるってことも、よく覚えておくんだね」
そう言われて、シオン隊長は渋い表情になりました。国内にジズの捜索命令を出したために、彼に国外逃亡されてしまったことを思い出したのです。そのジズが流れ流れてセイマの港に住みつき、フルートたちを助けたことを、彼らはまだ知りません。
戦場ではエスタ軍がクアロー軍を追って東へ駆け去るところでした。
シオン隊長は面おおいをまた引き下ろして言いました。
「それではわしも東へ行く。シナ殿、気をつけてエスタ城へ戻られよ。双子たち、シナ殿を頼むぞ」
「はい」
双子の魔法使いがまた頭を下げ、彼らは西と東へ別れていきました。それぞれの馬が遠ざかり、やがて見えなくなります。
敗れた敵兵の死体だけが転がる戦場を、やがて血のような夕日が染め、夜の暗がりの中へと包み隠していきました――。