渦の中から聞こえてきた青年の声に、フルートたちは、ぎょっとしました。その独特の言い回しと女のような笑い声は、間違いようがありません。
「ランジュール!!」
といっせいに叫んでしまいます。
すると、歪んだ空と海の中から幽霊の魔獣使いが現れました。赤い上着のポケットに両手を突っ込み、空中から彼らを見下ろしながら、うふふ、と笑います。
「はぁい、勇者くんたち。これで全部終わった、なんて安心してちゃダメなんだよぉ。ここにこうしてボクがいるんだからねぇ」
「この野郎! おまえのフノラスドは、ポポロの魔法と金の石の力で、頭の半分が吹っ飛んだだろうが! それなのにまた襲ってきやがったのか!?」
とゼンが海の上で腕を振り回してどなると、ふふん、とランジュールは言いました。
「フーちゃんは闇の怪物だから、怪我をしたってすぐに復活するんだよぉ。あれくらい、どうってことはないさぁ。ほらね」
青年が示した渦の中から、巨大な怪物が姿を現しました。全長が百メートルあまりもある多頭多尾の大蛇です。空中を飛びながら、色違いの頭や尾をくねらせています。
その頭の数を素早くかぞえて、ポチが言いました。
「ワン、頭が六つしかない! 黒い頭が二つ足りないじゃないか! どうしたのさ!?」
ランジュールはたちまち口を尖らせました。
「もう。余計なところに気がつくんだから、嫌なワンワンちゃんだなぁ。黒いのは闇の頭だから、黒ニィちゃんと黒サンちゃんは元に戻るのに時間がかかってるんだよ。でも、毒を吐く青ちゃんは復活したし、白ちゃんや金ちゃんや赤ちゃんは最初から無事だったから、ちゃぁんと戦えるんだよぉ。キミたちを捜していたら、勇者くんが大声で名乗りを上げてるのが聞こえたから、大急ぎで飛んできたってわけさぁ。うふふふ」
彼らもまた、ポポロが魔法で広げたフルートの声を聞きつけて、このセイマの海へやってきたのです。
フルートは後ろへポポロをかばいながら言いました。
「ぼくは金の石の勇者じゃなくなったから、もう殺す価値がない、とおまえは言ったはずだぞ! それなのに、どうしてまだつけ狙っているんだ!?」
すると、ランジュールは急に空から舞い下りてきました。片手を伸ばしてフルートの顎に触れるようなしぐさをしたので、フルートが思わず身を引きます。
「うん。自分が金の石の勇者だってことを忘れた勇者くんなんて、もうどうでもいいと思ったんだけどねぇ――」
くすくすと笑いながら、ランジュールは言いました。
「魔王やデビルドラゴンとの戦いっぷりを見ていたら、勇者くんったら、やっぱり勇者くんなんだもん。勇敢だしぃ、強いしぃ、かっこいいしぃ。うふふふ、やぁっぱりボクが愛した勇者くんだったよねぇ。このボクのことを忘れちゃってるのは面白くないけど、もう一度しっかり記憶に刻み込んであげれば、それでいいことにしたんだ。愛情を込めて、ステキに殺してあ・げ・る。うふん、ボクってホントに寛大だなぁ」
ご機嫌で歌うように話す幽霊に、フルートは眉をしかめ、ゼンは、どこが寛大だ、馬鹿野郎! とどなりました。メールは食ってかかります。
「なんでこんなときに攻撃してくるのさ!? フルートが記憶を取り戻すまで待ちなよ! そしたらいくらでも相手してあげるからさ!」
ランジュールは、ちっちっと指を振りました。
「それはダメダメぇ。記憶を取り戻したら、勇者くんはものすごく強くなっちゃって、また殺しにくくなっちゃうじゃないかぁ。金の石だってまだ寝ているんだから、倒すなら今しかないよねぇ。うふふふ」
とぼけていても、やっぱり抜け目のないランジュールです。
陸のほうからはまた、けたたましい鐘の音が響いていました。海上に現れたフノラスドに気づいて、灯台守が警鐘を打ち鳴らしているのです。フノラスドは六つの頭をそちらへ伸ばして、シャア、と蛇の声で鳴きました。
「あっちにたくさんの人間がいるから、食べたいってぇ? フーちゃんったら、頭を再生するのに力を使ったから、お腹がすいてきたんだねぇ。気持ちはわかるけど、今すぐはダメだよぉ。おなかがいっぱいになって勇者くんを食べられなくなっちゃったら、たぁいへん。まずは勇者くんたちを食べて、まだおなかに余裕があったら、他の人間も食べさせてあげるからねぇ」
フルートは顔色を変えました。自分が狙われていることより、フノラスドがセイマの人々を襲おうとしていることに腹を立てたのです。
「そんなことはさせるか!」
と叫んで、ランジュールやフノラスドに向かって猛然と泳ぎ出します。
「うふふふ。ほぉら、やっぱりキミは勇者くんだ!」
とランジュールは歓声を上げました。フノラスドに向かって、さっと手を振ります。
「金の石の勇者くんは金の頭で。金ちゃん、勇者くんを食べちゃえ!」
指名されて金色の蛇の頭が動き出しました。他の頭はおとなしく傍観していて、以前のようにフルートを奪い合うような真似をしません。ランジュールに調教されたのです。
けれどもフルートは停まりませんでした。怪物に向かって泳いでいきます。そこへ金の頭が狙いをつけました。一度頭を引き、鋭く襲いかかって、海水ごとフルートを呑み込もうとします。フルート!! と仲間たちが叫びます。
ところが、その瞬間、フルートが海上から消えました。どこにも姿が見えなくなります。
「え……勇者くん、潜ったの!?」
とランジュールは驚き、とまどっている金の頭にすぐに命じました。
「フーちゃんも潜れ! 勇者くんを捕まえるんだよぉ!」
フノラスドはすぐに海中に頭を突っ込みました。金の頭だけでなく、黒も白も青も赤も、すべての色の頭が海中に潜っていきますが、じきにまた海上に出てきて、シャアシャアと騒ぎます。
「えぇ? 勇者くんがいないってぇ? そんな馬鹿なぁ!」
とランジュールはまた驚き、あたりを見回しました。海の上にやはりフルートは見当たりません。ただ、離れた場所にゼンとメールとポポロ、そしてポチとルルの二匹の犬が浮いているだけです。
メールがポポロに泳ぎ寄って、そっと尋ねました。
「フルートに姿隠しの薄絹を渡したのかい?」
ええ、とポポロはうなずきました。その宝石のような瞳はフノラスドを見つめたままです。
「フルートが貸してくれ、って言ったから……。それで攻撃するって言っているのよ」
ポポロは大粒の涙を流していましたが、波が絶えず顔を洗っていくので、涙は海の中へさらわれていきます。
「そうか。うん、わかった!」
と言って、メールは海の中へ沈んでいきました。魚のような素早さで海の深い場所まで一気に潜ると、海底に向かって呼びかけます。
「おいで、海藻たち! 魔王はいなくなったから、また集まっておいで! もう一度、あたいに力を貸しておくれよ――!」
海面から届く弱い光の中で、海の水が揺れていました。津波の後遺症で水はまだにごっていますが、やがて、その下の方から何かが湧き上がってきます。赤、青、緑、茶……色とりどりの海藻の群れです。水蛇を作るには数が少ないと見て、メールは言いました。
「魚におなり! 早く!」
海藻が寄り集まって大きな魚に変わっていきます――。
海上ではフノラスドの白い頭のひとつが、急にジャア! と鳴いて首を伸ばしました。その根元から鮮血が吹き出しているのを見て、ランジュールが声を上げました。
「そこだね、勇者くん! 姿を隠しているんだぁ!」
フノラスドの他の頭が、いっせいに白い首の根元に集まりました。金の頭が食いついていきます。
ところが金の蛇の口は空振りをしました。そこにはもう何もいなかったのです。代わりに今度は青い蛇の首から血が噴き出します。
怒った白い頭が、ぐぅんと頭をめぐらして青い蛇の首元へ食いつきました。フルートはまたその場所からいなくなっていたので、白い牙が青い首に食い込み、新しい鮮血をまき散らします。怒り狂った青い頭は白い頭にかみつき返しました。たちまちまた仲間割れが起きて、激しい喧嘩が始まります。
「こら、こら! やめろって言っただろぉ!?」
ランジュールの鋭い声が響くと、蛇たちはすぐに停まりました。目の前に浮かぶ魔獣使いの幽霊を、首をすくめて恐ろしそうに眺めます……。
すると、ランジュールの後ろに控えていた赤い蛇の上に、突然金色のものが姿を現しました。フルートです。赤い頭の上に片膝立ちになり、片手には剣を、もう一方の手にはひるがえる薄絹を握っています。姿隠しの肩掛けを外したのです。
それを見て、白と青の蛇はいっせいにフルートへ襲いかかっていきました。金の蛇も自分の獲物を奪われまいと首を伸ばします。
「ダメぇ! それは勇者くんの策略――!」
とランジュールは叫びましたが、間に合いませんでした。フルートが赤い蛇の頭から飛び下りたので、白、青、金の三つの頭が赤い頭に襲いかかる形になります。同時に三方向から食いつかれて、赤い頭は絶叫しました。首がちぎれて、ゆっくりと海へ落ちていきます――。
一方、フノラスドから落ちていくフルートには、変身したポチが飛んでいきました。海に墜落する前に風の背中に拾い上げて言います。
「ワン、ほんとに無茶だなぁ。ぼくが行かなかったら、海面に激突してましたよ。あの高さじゃ、いくら金の鎧を着ていたって、無事じゃすまないのに」
「きっと来てくれると思ったんだよ……」
とフルートはあえぎながら答えました。相変わらず、激しく戦うとすぐに消耗してしまうのです。ポチは風の耳をぴん、と立てました。
「ずるいですよ、フルートは。記憶をなくしているのに、ぼくたちが一番弱いことばはちゃんと覚えているんだもの」
と照れたように文句を言います。
「ああもぅ! よくも赤ちゃんをやってくれたねぇ、勇者くん!」
とランジュールはきいきいわめきましたが、ふと海上を見渡すと、また驚いた顔で言いました。
「ドワーフくんがいない! いったいどこに行ったのさぁ!?」
確かに、海の上にゼンの姿はありませんでした。ポポロだけはまだ波間に浮いていましたが、風の犬に変身したルルが飛んできて、背中に拾い上げていきます。
ランジュールは海を見回し続けました。
「海のお姫様もいないよねぇ。ドワーフくんは意外と海に強いし、海のお姫様も油断できない存在だし……ぜぇったい何か企んでいるよね。どこさ、ドワーフくん、お姫様! 出てきなよぉ!」
すると、ざばぁっと海面に水しぶきが上がり、中から大きな魚が飛び出してきました。大きな二枚のひれを翼のように広げて空に舞い上がります。それは巨大なトビウオでした。全身が色とりどりの海藻でできていて、背中にはメールとゼンが乗っています。
「出てきてやったぞ、ランジュール!」
とゼンは言って、構えていた弓矢で白い頭を射ました。矢は蛇が頭をそらしても向きを変えて飛び、弱点の鼻先に突き刺さって蛇に悲鳴を上げさせます。
そこへルルがポポロを乗せたまま飛んできました。急降下すると、白い蛇の首の周りで身をひるがえし、また上昇していきます。とたんに白い首から血が噴き出しました。そこへまたルルが急降下すると、巨大な白い頭が断ち切れて海に落ちます。
「ワン、これでフノラスドの頭は四つだけになった。黒い頭は闇魔法を繰り出してこないし。きっと以前金の石に焼かれたダメージから、まだ充分回復していないんですよ」
とポチが言います。
その背中からフルートは仲間たちへ言いました。
「行ける! 他の頭もつぶして、あいつを倒すぞ!」
凛(りん)とした声が海の上に響き渡ります。
おう! と仲間たちはいっせいに答え、また巨大な蛇へ向かっていきました――。