「魔王が消滅しました! セイマから闇が消えていきます――!」
占神の屋敷の庭でユギルが声を上げたので、オリバンとセシルは駆け寄りました。占者がのぞく占盤を一緒にのぞき込んで言います。
「では、彼らは魔王やデビルドラゴンに勝ったのだな!?」
「フルートたちは!? 全員無事か!?」
「皆様ご無事でございます。……勇者殿の象徴はいまだに青い石のままですが、他の皆様方の象徴と一緒においでです。闇はセイマの港から完全に去りました。もう大丈夫でございます」
とユギルが言ったので、オリバンは力が抜けたようにその場に座り込みました。
「そうか……よかった。本当によかった……」
と安堵の息をついて、疲れたように頭を垂れます。セシルは膝をつき、オリバンの広い肩を抱き寄せました。
そこへ、屋敷の中からリンメイが飛び出してきました。彼らのところへ駆けつけてきて言います。
「フルートたちが魔王に勝ったわよ! ラクの送り込んだ火竜が、魔王を倒してデビルドラゴンを追い払った、って占神が言っているわ!」
「こちらでも同じ光景を見ておりました。勇者殿たちはもう大丈夫でございますね」
とユギルが答えました。その整った顔は穏やかな微笑を浮かべていました。占者がこんなふうに笑ったのは、本当に久しぶりのことです。
リンメイも笑顔になると、肩をすくめて言いました。
「そうね、大占者にわざわざ教える必要なんかなかったわよね。じゃ、あたしはまた屋敷に戻るわ。占神が今度はエスタの様子を占うって言っているの」
エスタの東の国境では、国境を越えて攻めてきたクアローの国王軍とエスタ軍が戦闘中でした。占神の妹のシナや、エスタの近衛大隊長のシオンも、戦場で戦っています。
「それでは、そちらは占神にお任せして、わたくしはロムドの様子を占うことにいたします。ロムドは南からサータマン軍の攻撃を受けようとしております。こちらも大変気になる状況です」
とユギルが言ったので、リンメイはうなずきました。
「わかったわ。何かわかったら教えて。あたしも伝えることが出てきたら、また知らせに来るから」
「承知いたしました」
頭を下げたユギルの長い銀髪が、さらりと音を立てます……。
リンメイが屋敷に戻り、ユギルがまた占盤をのぞき始めたので、オリバンとセシルは立ち上がりました。ひとつ安心しても、まだ次の心配が控えていたのです。気を抜くには早すぎる状況でした。
「ロムド城からはキースと青の魔法使いとグーリーが出撃したと言っていたな? 彼らは今どうなっている?」
とオリバンが尋ねると、ユギルが占盤に象徴を追いながら答えました。
「皆様方はロムドの南のミコン山脈に到着するところでございます。山中に敵の姿は見当たりませんが、キース殿たちの動きが急なので、ひょっとすると、敵はもうミコンまで攻め寄せてきているのかもしれません」
「どういうことだ? 敵はミコンには見当たらないんだろう?」
とセシルが聞き返すと、オリバンが答えました。
「王都ディーラがサータマン軍の襲撃を受けたときと同じなのかもしれん。サータマン軍が闇の力で占いから姿を隠している可能性がある、とユギルは考えているのだろう」
「左様でございます」
とユギルは答えて占盤を見つめ続けました。黒い石が作る占いの場には、三つの明るい象徴が映っています。鷲(わし)と青い熊、それに大きな翼を持つ白鳥です。白鳥はキースの象徴でした。彼自身は闇の国の王子なのに、その象徴は少しも闇に染まっていません。グーリーを象徴する鷲や、青の魔法使いを象徴する熊と共に、ミコン山脈へ舞い下りていきます。
すると、占盤が一瞬真っ白になりました。ミコン山脈が大きく震えます。
「ロムドでも戦闘が始まりました」
とユギルは厳かに言いました――。
角と牙がある闇の民の姿のキースは、黒い翼を羽ばたかせながら、空からミコン山脈を見下ろしていました。純白の雪が次々に崩れて山肌を滑り落ちていく様子に、感心して言います。
「すごいな、こんなに広範囲に雪崩(なだれ)を起こせるなんて。さすがはロムド城の四大魔法使いだ」
いやいや、と答えたのは、グリフィンのグーリーに乗った青の魔法使いでした。熊のような体格の武僧ですが、いかつい顔に人の良さそうな笑いを浮かべて言います。
「我々は人間の魔法使いですからな。キース殿やポポロ様のような強力な魔法が使えない分、使いどころというものを考えます。周囲に雪崩を広げそうな場所を見つけて、雪を崩したのですよ」
「なるほど、少ない力で最大限の効果を狙うってことか。今の雪崩で道はなくなった。サータマン軍がロムドを攻めるにはこの道を通るしかないんだから、これでサータマン軍は進軍できなくなるな」
とキースは言いました。崩れた雪は白い雪煙を上げながら谷間の道を埋め、さらにその上に積み重なっていきます。
「ここはミコン山脈の中央部分なので、ロムドにもサータマンにも所属していないのですが、ここからもう少し北へ行けば関所があって、そこからがロムドの領地になります。そこまで敵を近づけないように、なんとしてもここで阻止しなくてはならんのです」
と青の魔法使いが話したとき、キェェ、とグーリーが鳴きました。金の目で南の山を見据えています。
「来たな」
とキースも南にそびえる山脈へ目を向けると、ほどなく山の稜線の向こうから雪煙が上がりました。緑の鎧兜を着て馬にまたがった兵士が、次々と姿を現します――。
敵の軍勢は降り積もった雪の上を走っていました。蹄の下からは絶えず雪煙が上がっています。その様子に目を細くして、キースはまた言いました。
「馬たちに闇の魔法がかけられているよ。おそらく馬の装備に闇の石が組み込まれているんだろう。だから新雪の上でも雪に蹄が沈まないんだ」
「ディーラ攻防戦の際に、サータマン軍の疾風部隊は闇の石を自分たちや馬の防具に組み込んでいました。それと同じものが、サータマン城にまだ残っていたのでしょうな」
と青の魔法使いは言って、ふぅむ、とうなりました。稜線の向こうから馬車も現れて斜面を下ってきたからです。やはり、積もった雪などものともせず、猛スピードで駆け下ってきます。馬車にも闇の石が組み込まれているのに違いありませんでした。
けれども、雪崩で埋まった谷間で来ると、さすがの軍勢も立ち止まりました。雪が分厚い壁のように行く手をふさいでいるので、これを越えるには、雪だまりの上へよじ登るしかなかったのです。馬の背丈よりも高い場所なので、馬たちが二の足を踏んでいます。
「よし、今だ! 敵をたたこう――!」
とキースが飛び出そうとすると、サータマン軍のほうからも声が聞こえてきました。
「牛だ! 牛を出せ!」
牛? とキースや青の魔法使いが思わず躊躇(ちゅうちょ)すると、一台の馬車から大きな生き物が出てきました。全身黒い毛でおおわれた雄牛です。太い鎖につながれていて、興奮した様子で足元の雪をかいています。
鎖の端を握っていた兵士が、鎖を離しながら叫びました。
「そら行け、黒牛! 雪をかきのけろ!」
とたんに牛の体がふくれあがりました。空にいるグーリーより、もっと巨大になって、雪崩で埋まった谷間へ突進します。牛の角が雪の壁に激突すると、山が震え、真っ白な蒸気が空に立ち上りました。角の先で雪が溶けていくのです。
「なんと! あの怪物で道を切り開いて進んできたのですか!」
と青の魔法使いは驚きました。牛が進んでいった後には、馬車が悠々と通れるほどの道ができあがっていきます。
「闇の石を牛と合体させた怪物だ。全身から熱を発しているぞ」
とキースは言い、グーリーも、キェェェ、と鋭い声を上げました。声で気づいた軍勢が、ぎょっとしたように空を見上げ、あれはなんだ!? 敵だぞ! と騒ぎ出します。青の魔法使いがかけていた魔法が破れて、姿が見えるようになったのです。
「まず、あの牛を停めてください。その後の軍勢は私にお任せを」
と青の魔法使いが言いました。その手は、いつの間にかこぶだらけの太いクルミの杖を握っています。
「わかった。それじゃ、まずぼくが行く」
とキースは言うと、黒牛目がけて空から舞い下りていきました――。