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第17巻「マモリワスレの戦い」

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74.津波

 「どうすんのさ!? もうすぐ津波が来るよ!! 逃げないと、あたいたちも全員巻き込まれて死んじゃうんだよ!!」

 海藻でできた水蛇の頭上で、メールが金切り声を上げていました。

 水平線の向こうから現れた波は、黒いはっきりとした筋になって近づいていました。通常の波とは違って、海の端から端まで一直線に連なっています。海の水が一度にこちらへ押し寄せている証拠です。

 すると、沖を行く船が突然姿を消しました。海上で異常に気づいて沖へ逃げていた船が、波に持ち上げられて転覆してしまったのです。大きな帆船が波間にたちまち沈む様子に、目のよいゼンやポポロは真っ青になりました。声が出せません。

 海のもっと港側には、何千人もの人間を乗せた軍艦が浮いていました。沖へ船首を向けて波をやり過ごそうとしていますが、風向きの関係もあって、思うように向きを変えることができません。このままでは軍艦も横波を食らって転覆してしまいそうです――。

 フルートは唇を血がにじむほど強くかみしめて、じっと沖と波を見つめていました。そうする間にも波は迫ってくるのですが、どうしても空へ逃げようとはしません。

「フルート!」

 とポチは叫んで、とうとう風の犬に変身しました。空に舞い上がり、先に変身していたルルと一緒に、フルートたちを背中にすくい上げようとします。沖ではまた一隻、貨物船が転覆していました。ポポロが大きな声を上げて泣き出してしまいます。

 

 とたんにフルートがどなりました。

「泣くな、ポポロ!!」

 恐ろしいほど迫力のある声でした。仰天したポポロが、ひっと息を呑んですくみ上がります。

 すると、その肩をつかんで、フルートは言い続けました。

「泣くな! 泣いてる暇なんかない――! 一か八かだ。ポポロ、あの津波そのものに魔法をかけろ! 陸に向かって来る波を、沖のほうへ追い返すんだ!」

 ポポロは思わず呆然としました。フルートは津波の向きを変えろ、と言っているのです。長さ数キロ、高さ十メートル以上もある、すさまじい大波の壁を――。

 メールが驚いて言いました。

「そんなすごいこと、ポポロにできるのかい!? 津波ってのは普通の波とは違うんだ! 海の水が海底から全部動いてきてるから、ものすごい量と力なんだよ! それが次々押し寄せてきてるっていうのに――」

「最初の波の向きを変えたら、それは次の波にぶつかる!」

 とフルートはメールをさえぎって言い続けました。

「押し寄せてくる波の力を弱めることができるんだ! うまくしたら、波を海へ押し返すこともできるかもしれない! 津波はもうすぐそこだ! 他の方法はない! ――やれるな、ポポロ!?」

 ポポロは思わずフルートを見ました。フルートは激しい声を出していますが、怒った顔はしていませんでした。その青い瞳が、じっと彼女を見つめています。強い信頼のまなざしです。

「ええ、やるわ」

 気がつくと、ポポロはそう答えていました。彼女は今日の魔法を一度使ってしまったので、残っている魔法は一つだけです。その状況でフルートの言うような大きな魔法がかけられるかどうか、自分にもよくわかりません。けれどもポポロは、やってみよう、と心を決めました。ポポロがやらなければ、津波は港を襲うのです。人々だけでなく、ここから動こうとしないフルートまで呑み込んでしまうのに違いありません――。

 フルートは他の仲間たちにも言いました。

「ゼン、メール、君たちはルルに乗れ! 沖へ飛ぶんだ!」

 ゼンたちは、かっと顔を赤くしました。

「なんだよ! 俺たちにだけ逃げろって言うのか!?」

「冗談じゃない! あたいたちも一緒にここにいるよ!」

 フルートは首を振りました。

「そうじゃない! 津波がぶつかり合えば海は荒れる! 沖の船を守るんだ!」

 ああ、とゼンとメールは納得しました。すぐさまルルに飛び乗り、沖で揺れている船へ向かいます。とたんに水蛇が海の中に崩れていきました。操るメールがいなくなったので、元の海藻に戻ったのです。フルートとポポロが海に落ちる前に、ポチが背中に拾い上げて空に舞い上がります。

 津波はもうかなり港に接近していました。向きを変えようと必死になっている軍艦に迫ってきます。フルートは叫びました。

「ポチ、津波へ飛べ! 急げ――!」

 

 ポポロは魔法使いの目を使って、迫ってくる津波を、海上からだけでなく海の中からも眺めていました。メールが言っていたとおり、海の水が海底からそっくりこちらに向かって押し寄せています。海底から煙のように巻き上げられた泥や砂で、海水はたちまち茶色くにごっていきます。ものすごい速度ですが、陸に近づくに従って、それが鈍り始めていました。海の深い場所から浅い場所へ駆け上がってくるので、津波の先端の速度が落ちてきたのです。その分、後ろ水が前におおいかぶさって、海上では波が高くなっていきます。津波は切り立つ壁のような大波になって陸上に襲いかかりますが、それは、こうして陸に近づく間に高さを増していくのです。

 この波の向きを変えたら……とポポロは考えていました。そうすれば、波は今度は海底の斜面を浅い方から深い方へと移動するようになるでしょう。坂道を物が落ちていくように、最初よりも勢いを増して戻っていくのに違いありません。その勢いで次の波にぶつかれば、フルートの言うように、次の波も押し返すことができるかもしれないのです。

 ポポロは泣くのも忘れて頭の中で呪文を探し続けました。海にぶつけることができる、最大級の魔法を見つけ出して準備します。

 

 ポチは軍艦の上を飛び越えて先に出ていきました。すると、甲板から誰かが大声を上げます。君たちは――!? と驚いたような声だったのでポチが思わず振り向くと、船上で数人の男たちが立ち上がって手を振っていました。セイマに来る前に立ち寄ったヤダルドールの住人でした。

「ワン、ヤダルドールの人たちが乗ってましたよ」

 とポチが言うと、フルートは黙ってうなずきました。目は迫ってくる波を見つめたままで、こう言います。

「ポポロ、どのくらいの高さにいればいい?」

「波と同じ高さで」

 と少女は答えました。あたりは耳をふさぐような波のとどろきでいっぱいですが、彼女の声ははっきりと聞こえます。ポチがすぐに海面すれすれまで降下しました。津波を低い位置から見上げます。

 それは本当に壁のような波でした。黒い水が高さを増しながらこちらへ迫ってきます。波の壁の上には灰色の煙がたなびいています。波頭が立てている水煙です。

 圧倒されそうな迫力と恐怖に、ポチは必死で耐えていました。ポチは今、大きな風の犬に変身していますが、津波はそれをはるかに超える巨大さだったのです。ポチなど、あっという間に押しつぶして呑み込んでしまうに違いありません。

 すると、波の一部が急に崩れて白波を立てました。しぶきが上がってポチへ飛んできます。水しぶきを浴びると変身が解けてしまうので、ポチはあわてて後退しました。その反動で、ポポロがつんのめり、バランスを崩して海へ転がり落ちそうになります。

 とたんに、その体が後ろから抱きとめられました。フルートです。金の鎧をつけた腕と体でポポロを支えながら、力強く言います。

「やれ、ポポロ! 津波を追い返すんだ!」

「はいっ!」

 とポポロは答えました。片手を波に突きつけて呪文を唱えます。

「セエカーオミナクヅツテエカーオキムヨミーナ!」

 とどろく水音の中に少女の声が流れていきます――。

 

 ポポロの指先から淡い光がほとばしりました。星のきらめきを抱きながら波に飛び、ぶつかって、鮮やかな緑色に輝きます。

 ところが、波は停まりませんでした。魔法は波の上を稲妻のように左右に走り、光の幕を下ろして波全体を緑の輝きで包んでいきますが、波の動きを停めることはできません。

 波の壁が迫ってくるのを見て、ポチが叫びました。

「ワン、だめだ! ポポロの魔法でも停められなかったんだ――!」

 波がやって来れば、自分もフルートやポポロも呑み込まれてしまいます。ポチは急いで上昇して逃げようとしました。風の体がぶるぶる震えてしまいます。

 すると、フルートがポチの背中の毛をぎゅっと握りました。強い声で言います。

「だめだ、上がるな! ポポロの魔法はまだ続いている!」

 フルートの言うとおりでした。波に向けられたポポロの手からは、まだ魔法があふれ続けていました。次々に波に当たっては、波の壁に沿って横へ広がっていきます。

 すると。波の動きが急に鈍り始めました。まるで水中から何かに引き止められたように、進む速度が遅くなり、やがて完全に停止してしまいます。

「ワン、停まった……?」

 とポチは信じられないようにつぶやきました。そそり立つ水の壁は、彼らからほんの二、三十メートルのところで停止していたのです。

「よし!」

 とフルートが波を見ながら声を上げました。

 長く伸びる波の中央の、最初に魔法がぶつかったところから、波頭がゆっくりと向きを変えていました。こちら側から、あちら側へ。小さな波しぶきを立てながら、また動き出します。波が進んでいくのは、沖の方角でした。津波が向きを変えたのです。

 

「上がって、ポチ!」

 とポポロが言ったので、ポチはすぐに上昇しました。今度は空から海を見下ろします。

 波は逆V字型に海を進み始めていました。ポポロの魔法はまだ広がり続けていて、波の左右の端に到達しようとしていました。波は緑に輝くと動きを停め、やがて、今までとは向きを変えて沖のほうへ進み出します。

「次の波が来る」

 とフルートがさらに沖のほうを見ながら言いました。水平線の向こうから、また津波がやってきていたのです。黒々とそびえる波の壁が、陸のほうへと押し寄せてきます。

「ワン、一つめの波と二つめの波がぶつかる!」

 とポチも言いました。戻っていく波、押し寄せる波。二つの波がみるみる接近していきます。二つめの波のほうが大きいのですが、速度では一つめが二つめを上回っています。

 ポポロは魔法を放ち終わった両手を握り合わせていました。眼下の海を見つめながら、祈るように繰り返します。

「お願い、停まって……! 次の波も停まってちょうだい……!」

 

 二つの波が海上でぶつかり合いました。どどどどーん、とすさまじい音が響き渡り、白い波しぶきが空に高々と上がります。

 しぶきが雨のように降ってきたので、ポチは慌ててその場から離れました。さらに上空へ舞い上がって、波の行方を見極めようとします。

 すると、白いしぶきの下で、波が色を変え始めました。ぶつかり合った場所で緑の光がわき起こり、それが二つめの波に広がっていきます。二つめの波も、緑の輝きに包まれていきます――。

「ワン、ポポロの魔法だ!」

「二つめの波にも魔法がかかったぞ!?」

 ポチとフルートは驚いて声を上げました。ポポロも目を見張って、その光景を眺めていました。ポポロの魔法はほんの二、三分しか続きません。けれども、その短い時間の間に二つの波がぶつかり合ったので、魔法が二つめの波にも伝わっていったのです。緑の光に包まれた波が動きを停め、やがて向きを変えます。

「津波が戻っていく!!」

 とフルートたちは歓声を上げました。

 ぶつかり合った二つの波は、重なり合って一つになり、沖に向かって進み始めたのでした――。

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