セイマの港から引いていく海水の流れが緩やかになっていました。やがて、ほとんど停まった状態になり、今度はひたひたと沖から押し寄せ始めます。
海底があらわになった海岸にも、また水が戻り始めました。その中でとぐろを巻く水蛇の上から、メールが叫びます。
「押し波だ! 津波が来るよ――!」
フルートは港の中でうごめく大ダコへどなりました。
「波を停めろ!! 今すぐに!!」
津波はこの港めざして押し寄せてくるのです。
ギュギュ、と闇のタコは笑いました。
「できんな、金の石の勇者。やって来るのはすさまじい大波だ。何もかもなぎ倒し、呑み込んでいくぞ。貴様らが水中で息ができても、津波の中では無事ではいられん。巻き込まれてくたばれ――!」
そう言い残して、タコは港の外へ出て行きました。巨大な体が防波堤を越えたと思うと、あっという間に海に潜って見えなくなってしまいます。ゼンが放った炎の矢が海面に突き刺さって水蒸気を上げましたが、タコには届きませんでした。
沖から低い海鳴りが聞こえてきました。ごおぉぉ、と大気が震えます。まるで海がほえているようです。
「ワン、津波が来る! 早く逃げないと!」
「私とポチが風の犬になるわ! みんな乗って!」
とポチとルルがあわてて変身しようとすると、フルートがまたどなりました。
「だめだ! このままじゃ津波はセイマの街を襲う! 津波を停めるんだ!」
「どうやって!? 津波ってのはものすごい量の海水が一気に襲いかかってくるんだよ! ゼンの怪力でも、水蛇のネプチューンでも、どうしたって絶対に停められないんだ!」
とメールは叫び返しました。細い体がぶるぶると震えています。津波の恐ろしさを、メールはよく知っているのです。
すると、沖へはるかな目を向けていたポポロが声を上げました。
「見えたわ! ものすごく大きい波が、壁みたいにつながってこっちに向かってくる……! 長さは数キロ、高さは――十メートル以上よ!」
一同は思わず息を呑みました。数キロにわたって壁のように押し寄せてくる、高さ十メートル以上の大波。あまりに巨大すぎて、想像することもできません。
沖から聞こえる海鳴りが、次第に大きくなっていました。それに重なるように、陸からは鐘の音が響いています。人々に避難を呼びかけているのですが、港にはまだたくさんの人がいました。急な潮の満ち引きや大蛇を驚いて眺めているのです。津波の接近には気づいていないのに違いありません。
フルートは唇をかんで、また沖を見ました。ポポロ以外の者に波はまだ見えません。けれども、津波は間違いなくこちらに向かって押し寄せているのです。港の人たちが呑み込まれてしまいます――。
すると、ルルが突然言いました。
「そうだわ! 天空王様よ!」
天空の国から地上をいつも見守っている、自分たちの王を思い出したのです。天に向かって叫び始めます。
「天空王様! 天空王様、大変です! 津波が襲ってきているんです!」
ポポロもすぐにそこに加わりました。ルルと一緒になって天へ呼びかけます。
「天空王様、お願いです! どうか助けてください! このままでは、セイマの街と住人が津波に呑み込まれてしまいます――!」
ところが、それに答える声は聞こえてきませんでした。光のような髪とひげの天空王は、彼らの前に姿を現しません。ポポロが身震いして言いました。
「だめだわ……! 闇の力に邪魔されて、あたしたちの声は天空王様に届かないのよ……!」
大粒の涙がこぼれます。
「じゃあ、海の王たちはどうだ!?」
と言い出したのはゼンでした。防波堤の向こうに広がる海原を見て続けます。
「このバルス海は東の大海につながってるんだよな!? ってことは、海王が支配してる海だ! つながってるなら、あいつらだって駆けつけて来れるはずだぞ!」
と言うと、海藻でできた水蛇の上から、沖に向かって声を張り上げます。
「海王!! アルバ!! クリス、ザフ、ペルラ!! 聞こえたら来い!! この津波を停めてくれ!!」
ゼンは東の海の王族たちの名前を片っ端から呼んでいましたが、やはり返事はありませんでした。海の彼方からは海鳴りが近づいているだけです。
「海で呼んでるのに海王たちに届かねえのか――」
と呆然とするゼンに、フルートが言いました。
「この一帯が闇の支配下に入ってるんだ。あの大ダコのしわざだ」
「なんて怪物よ! 天や海の王たちとの間をさえぎっちゃうだなんて!」
とルルは怒ると、風の犬に変身して空に舞い上がりました。仲間たちへ言います。
「とにかく私たちに乗って! このままここにいたら、私たちまで津波に巻き込まれるわ!」
すると、フルートがまたどなりました。
「だめだ、逃げるな! ぼくらが逃げたら津波を停められなくなる!」
メールは叫び返しました。
「あたいたちにだって停められないんだってば! 津波のエネルギーってのはものすごいんだよ! 波と一緒にいろんなものが押し流されるから、そこに巻き込まれたらあたいたちだって大怪我さ! 死ぬかもしれないんだよ!」
「ぼくらがそうなら、街の人たちはなおさらだ! みんな溺れてしまうんだからな!」
かたくなにそう言い張るフルートに、仲間たちは困惑しました。フルートは、誰がなんと言っても自分の考えを変えない、あの頑固な口調になっていたのです。
「ワン、それじゃ港に飛んで、みんなに避難を呼びかけましょう! 津波が来るから、すぐ逃げろって!」
とポチが説得しますが、フルートは首を振りました。唇を強くかみしめて沖を見つめます。その水平線が揺れて盛り上がったように見えました。白い水煙が立ち上ったと思うと、黒い線のように横につながった波が現れます――。
「来た!」
とメールがまた叫びました。
「速いぞ!」
とゼンもどなります。水平線を越えて現れた波は、驚くほどの速さでこちらに向かってきていたのです。みるみるこちらへ迫ってきます。その手前では、軍艦が木の葉のように揺れていました。乗組員も津波に気がついたのでしょう。人が船の上を走り回り、狂ったように船鐘が鳴り始めます――。
その時、何かを考えていたフルートが、ふいに顔を上げて言いました。
「ポポロ、あの防波堤だ! 魔法であれを大きくして津波を防ごう!」
指さす港の出口には、石や岩を積み重ねた防波堤がありました。三メートルほどの高さがあって、押し寄せてくる波に白いしぶきをたてています。高さ十メートルを超す津波には役に立ちませんが、防波堤の高さを上げれば津波を防ぐことができる、とフルートは考えたのです。
ところが、ポポロは首を振りました。
「だめなのよ、フルート……! それはあたしも考えたの。だけど、あの波の後ろには、二つも三つも大波が続いているのよ。あたしの魔法は一回しか使えないから、途中で消えてしまって、波を全部防ぐことができないわ……!」
「津波ってのは一度だけじゃないんだよ! そして、最初の波より二つめ、三つめの波のほうが大きかったりするのさ!」
とメールも言います。
フルートは真っ青になって、また沖を見つめました。波は水煙を上げながらどんどんこちらへ近づいてきます。彼らの周囲の水かさもいっそう増して、水蛇は今はもう、頭の上を海上に出しているだけになっていました。津波がもうすぐやってくるのです。
「ちっくしょう! いったいどうすりゃいいんだよ!?」
とゼンがわめきましたが、誰もそれに答えることはできません。
海はとどろきながら、陸に向かって押し寄せていました――。