丘の上のジズとイリーヌは、やきもきしながら港を見下ろしていました。
急に揺れ出した軍艦を風の犬たちが転覆から守り、海に落ちた人々をフルートたちが救出している様子は、そこからもなんとか見えていました。いかにもあいつららしい、と思いながら見守っていると、突然海中から得体の知れないものが現れ、海上から金色の輝きを奪っていったのです。続けて海中からは巨大な蛇が頭を出し、空を飛び回っていた一行を乗せて海へと消えました。それきり蛇も海上に姿を現しません。
「何がどうなっているっていうのよ……? あの子たちはどうなったの?」
とイリーヌは尋ねました。海に何がいるのか、何が起きているのか、まるで見当がつきません。
「わからん」
とジズはうなるように答えました。
「あの金色はフルートだ。何かが海から現れて、あいつをさらっていったように見えた。ゼンたちはそれを助けにいったんだろう」
「さらっていったって、何が?」
「だから、わからん」
いっそうぶっきらぼうに言って、ジズは海を見つめ続けました。海上には十隻の軍艦と、海から這い上がった人々を乗せた救命艇だけが揺れています。立ち往生していた船はいつのまにか動けるようになっていましたが、相変わらずフルートたちの姿は見当たりません。
ところが、じきにイリーヌが首をかしげました。
「変ね、引き潮だわ。まだそんな時間じゃないはずなのに……」
引き潮? とジズも海岸を見直しました。陸から海に向かって伸びる桟橋が、海の上に長い橋脚を現していました。沖へ目を移せば、石や岩を積み重ねた防波堤も、さっきより高くなっています。港の中の水が、防波堤の出口から外海へと流れ出ているのです。流れに乗る形で、軍艦も次々外海へ出て行きます。
驚いたように、イリーヌがまたつぶやきました。
「何これ……? こんなすごい引き潮は初めて見るわ……」
とたんにジズは飛び上がりました。海をもう一度見直し、海の水がどんどん減り続けるのを見て、大声を上げます。
「灯台に行くぞ! 来い!」
「灯台? どうしたのよ、急に?」
とイリーヌが驚いて聞き返すと、ジズはどなりました。
「海育ちのくせにわからんのか!? 引き潮の時間じゃないのに潮が引いたら、それは前触れだ! 津波が来るぞ!!」
ジズは身をひるがえすと、丘の頂上に建つ灯台に向かって全速力で駆け出しました――。
「この潮の引き方は津波さ! ものすごい大波が陸に押し寄せてくるんだよ!」
海中ではメールが仲間たちに言っていました。
「あたい、あたいさ、小さい頃に見たことがあるんだよ! 海王とまだ仲が悪かった父上が戦いに出かけたから、あたいも自分で戦車を操って後を追いかけたんだ。海の王たちは、激怒すると周囲に津波を引き起こすんだよ。父上たちが津波を起こしたとき、海の水は最初急に引いていって、それからすさまじい大波になって海を渡っていったのさ――。あたいは戦車ごと大波に押されて、海の上の島に打ち上げられていった。そこには港と町があって、家が建ち並んで、人も大勢住んでいたんだけど、みんな波に押し流されてしまったんだ。あたいは島の一番奥に打ち上げられて、そこから花鳥で空に逃げたんだけど、その下で、町は海に呑み込まれていったよ。津波が引いていったとき、後には何も残ってなかった。家も人も船も港も――根こそぎ波に奪われていって、本当になんにも残らなかったんだよ!!」
メールは真っ青になっていました。仲間たちへ話す声も震えています。それは、海の王である父の力のすさまじさを、生まれて初めて見せつけられた出来事だったのです。
フルートたちも青くなりました。ますます水が減っていく海を見回します。水はすさまじい勢いで彼らの周囲を流れていきます。この流れが逆に変わった瞬間、津波がやって来るのです――。
ジズはイリーヌを連れて灯台の階段を駆け上がり、頂上までやってきました。そこには二人の灯台守がいましたが、海を指さしながら興奮して話し合っていました。
「あんなに海が引いたぞ!? 信じられないな!」
「軍艦がまた外海に出て行く――危ない、ぶつかりそうだ! ああ、いや、大丈夫だ。無事に防波堤を避けていった」
ジズは男たちに飛びつきました。
「馬鹿、何をやっている! 津波が来るんだぞ! 早く鐘を鳴らせ!!」
津波? と灯台守は驚いたように繰り返しました。すぐにはぴんと来ていませんが、実はそれも無理のないことでした。このセイマの港が面しているバルス海は内海なので、普段から風も波も弱い、穏やかな海です。セイマは港街としては長い歴史がありますが、津波などというものとは、ずっと無縁でいたのです。
ジズは繰り返しました。
「鐘を鳴らせ! あの引き潮は津波の前触れだ! 街の連中を丘に避難させろ!」
ここまで言われて、灯台守もようやく事態を把握しました。顔色を変え、石造りの屋根から吊り下げられた鐘の綱に飛びついて鳴らし始めます。ガラーン、ガラーン、ガラーン、と大きな鐘の音が響き渡りました。先ほど港で戦闘が起きていることを知らせた鐘ですが、本来は濃霧の際に海上の船へ港の場所を知らせるためのものです。
灯台の手すりにしがみついて港を見下ろしていたイリーヌが、振り向いて言いました。
「ダメよ! 街の人たちはほとんど逃げないわ! 港に集まって海を見ているのよ!」
ジズはイリーヌの隣へ駆けつけました。先ほどよりもっと高い場所なので、港と海が一望できます。十隻の軍艦は港の沖に横たわる防波堤の左右から、外海へ流れ出ていました。自走したのではありません。急激に引いていく潮に運ばれていったのです。海へ落ちた人々が這い上がった救命艇は、まだ港の中にありましたが、やはり外海へ運ばれようとしています。
水は見守っている間にも引いていきました。やがて、岸に近い場所から海底が見え始めます。濡れた砂と泥が積もった地面は、普段ならば、絶対に陸から見られないものです。
すると、イリーヌがまた叫びました。
「あれは何!?」
指さす先の海底に、巨大な生き物がうごめいていました。灰色の丸い頭をしていて、何本もの太い触手をくねらせています。
「タコだ!!」
と灯台守たちは真っ青になって飛び上がりました。セイマではタコは悪魔の使いと信じられていたのです。恐怖におののき、前よりいっそう激しく鐘を鳴らします。
ジズは、大ダコより岸に近い場所に、別の生き物も見つけていました。あの大蛇です。海の水がすっかり引いたので海底に姿を現し、鎌首を持ち上げてタコとにらみ合っています。その頭の上に金色の輝きを見つけて、ジズは何が起きているのかを悟りました。
「あれはフルートだ! ということは、このタコは闇の怪物か! 津波もあれのしわざなのか――!?」
太陽の光がフルートたちの上に降りそそいでいました。
海水はもう彼らの周囲にはありません。すっかり沖へ引いていって、濡れた海底があらわになっていました。積もった砂と泥の上では、海に取り残された魚や海の生き物がもがいています。その上に海藻の水蛇はとぐろを巻き、頭を高く持ち上げていました。その上にはフルートたちが乗っています。
同じく海中から大ダコも姿を現していました。他の生き物のように苦しむこともなく、彼らの目の前で触手を動かしています。
すると、ルルが鼻の頭にしわを寄せて、ウゥゥ、と唸りました。
「なんてすごい闇の気配なの……! こいつ、並の闇の怪物じゃないわよ!」
いままで水中ではわからなかった闇の匂いが、外に出たとたん、かぎ取れるようになったのです。
フルートはどなりました。
「この引き潮――これはおまえのしわざか!?」
ギュギュギュ、と大ダコが笑いました。
「無論だ、勇者のチビ助! まもなく沖から波が来るぞ! おまえらになど抵抗もできない大波だ! 波に呑まれてくたばれ、金の石の勇者!!」
勝ち誇った声で言って、怪物は赤い目を不気味に光らせました――。