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第17巻「マモリワスレの戦い」

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70.海の怪物

 いきなり海中に引きずり込まれても、フルートは溺れることはありませんでした。フルートたちは渦王の島で魔法の真珠を飲んでいるので、水中でも陸上と同じように呼吸ができるのです。自分を捕まえている触手の先へ目を凝らして、あっと驚きます。

 それは丸い頭の生物でした。太い触手を何本も持っていて、海底からそれを伸ばしてフルートや海上の船をつかまえています。

「大ダコだ……」

 とフルートはつぶやきました。深海にはダイオウイカと呼ばれる全長数十メートルのイカが棲息していますが、それに匹敵する大きさです。

「フルート、どこ!?」

 とポポロの泣き声が聞こえてきました。海上を飛びながら、魔法使いの声で呼びかけているのです。

「君たちのすぐ下だ! 敵は大ダコだぞ――!」

 と答えたとたん、フルートの体が、ぐんとまた沈みました。タコに引き寄せられたのです。海底にある丸い頭の目の前まで沈んでしまいます。頭の下には無表情な目が二つ並んでいました。泡立つ水の中でフルートを見据えながら、人のことばで話しかけてきます。

「ギュギュ……貴様が金の石の勇者か。こんなちっぽけな奴が願い石を持っているとはな」

 フルートは思わず顔を歪めました。今日はフルートの周りにポポロの魔法がかけられていません。そんな状態で、ぼくは金の石の勇者だ、と一帯に響く声で名乗ったので、闇の怪物に気づかれたのです。背中からロングソードを引き抜いて、タコの触手に突き立てますが、案の定、傷はすぐに治ってしまいました。タコは身もだえ一つしません。

 フルートはタコへ叫びました。

「ぼくを食べても願い石は手に入らないぞ! あれは形のないものなんだからな! それに、願い石を使った者は必ず破滅するんだ――!」

 フルート自身に願い石についての記憶はありません。仲間たちから聞かされたことを思い出してそんな話をします。

 すると、タコはギュギュギュ、と笑い声を上げました。

「そんなことは知っている。だが、願い石を持つ勇者を殺せば、この世界から闇の邪魔をするヤツが消える。オレたち闇の天下がやってくるんだ」

 薄暗い海底で、大ダコの目が不気味に赤く光ります。

 フルートは必死で身をよじりました。タコから逃れようと、剣で何度も触手を突き刺しますが、タコは少しも力を緩めません。新たな触手を伸ばしてフルートに絡め、身動きできなくなったところを引き寄せていきます。

 タコの口は触手の付け根にありました。黒い牙が生えた口が開くのを見て、フルートは青ざめました。フルートを一口で呑み込むほど巨大な口です。いくら丈夫な鎧を着ていても、とてもかないません。思わず目をつぶってしまいます――。

 

 すると、その体が、ぐん、と後ろへ引き戻されました。弓弦のようにぴんと張り詰めた少女の声が響きます。

「食わせるもんか! フルートを返しなよ!」

 フルートが目を開けると、すぐ後ろの海中に巨大な蛇がいました。大ダコにも勝る大きさですが、全身が緑や赤や青の海藻でできています。首の付け根にメールが座り、その後ろにゼンとポポロ、それに犬の姿のポチとルルまでが乗っていました。ポポロに呼ばれたメールは、海藻で水蛇を作り、ゼンたちを乗せて海底に駆けつけてきたのです。

 水蛇の体から長い鞭(むち)のように海藻が伸びて、フルートに絡みついていました。さらに二本、三本と伸びてきてタコの触手にも絡まっていきます。タコは振り切ろうと暴れましたが、海藻はしなるだけで、ちぎれません。

 メールがまた叫びました。

「ネプチューン、タコの足を断ち切りな!」

 すると、水蛇から触手へ伸びる海藻が、きりきりと締まり始めました。やがて触手に食い込んでいって、ぶつりと断ち切ってしまいます。

 とたんにフルートの体が後ろへ飛びました。力を失った触手から解放されて、仲間たちの元へ引き戻されます。それをゼンが受け止め、水蛇の背に乗せました。ポポロがフルートにしがみつき、ポチとルルもフルートに飛びつきます。

「フルート!」

「ワンワン、フルート!」

「間に合って良かったわ!」

 フルートは水の中であえぎながら仲間たちを見回しました。

「やっぱり……ぼくを助けに来るんだな……。どんなに危険な場所でも……」

 助けに来てもらったことを心苦しく思う表情をしているので、ゼンはその頭を殴りました。

「あったりまえだろうが! やっぱり、とっととおまえの記憶を戻すぞ。いいかげん、俺たちのことを思い出しやがれ!」

 ポポロはフルートに腕を回し、金の胸当てに頬を押し当てていました。涙は海の水に紛れて見えませんが、声を上げて泣きじゃくっています。フルートが面食らったように顔を赤らめます。

 

 その時、水蛇の首元からメールが言いました。

「タコの足が復活してきた! あいつ、闇の怪物だね!」

 海藻が切り落とした触手が、また元通りになってしまったのです。八本の触手のうちの二本は、まだ海上の軍艦をつかまえています。

 フルートが我に返って言いました。

「復活してもいい! 船をつかんでる足を切るんだ!」

 あいよ! とメールは答えて、水蛇へ呼びかけました。

「ネプチューン、もう一度だよ! タコの足を全部切り落としてやりな!」

 メールは海藻で作った水蛇にネプチューンと名付けていたのです。たちまち蛇の体から海藻が飛んで、すべての触手に絡みついていきました。鋼のロープか鞭のように食い込んで、触手を断ち切ってしまいます。

 とたんに彼らの頭上の海面で軍艦が解放されました。二つの船底が揺れながら動き出し、大急ぎでその場を離れていきます――。

 けれども、タコの触手は、切られてもすぐに復活してきました。うねうねと動きながら、水蛇とその上の勇者の一行へ迫ってきます。メールはあわてて水蛇を後退させました。触手に仲間をつかまえられそうで、タコに近づくことができません。

「ワン、金の石が使えれば、あんな奴すぐに倒せるのに――!」

 とポチが悔しそうに言いました。闇の敵に絶大な力を持つ金の石は、フルートが記憶を失っているために、灰色の石ころになって眠ってしまっています。

 すると、泣きじゃくっていたポポロが急に顔を上げました。フルートの金のペンダントは、彼女のすぐ目の前にありました。それを手にとって、フルートを見上げます。

「あたし、また魔法を使うわ……! あたしの力を金の石に送り込んであげる! そうすれば金の石はまた目を覚ますもの……!」

 そうか! とフルートも言いました。

「金の石がこの周囲に聖なる光を放てば、闇の怪物たちも恐れをなして、きっと近づかなくなる! その隙に軍艦の帆柱を全部切り倒して、この場を離れよう!」

 そうすれば、この付近にいる船や人が闇の怪物に襲われなくなるから、とフルートが考えているのは、間違いありませんでした。記憶をなくしても、どんな状況になっても、フルートはやっぱりフルートです。どんなものも、その優しい本質を変えることはできません。

 ゼンが、ちょっと苦笑してから言いました。

「よぉし、やってやれ、ポポロ! 金の石を起こして、目一杯あたりを照らしてもらおうぜ!」

「うん!」

 ポポロはフルートの胸から離れました。フルートのペンダントを手に取ったまま、目を閉じて呪文を唱え始めます。

「ヨメザメーヨシイノ……」

 

 その時です。

 いきなり海の水が勢いよく流れ出しました。彼らや海上の船を押し流し始めます。ポポロは驚いて呪文を止めました。海水はみるみる速度を増し、防波堤の出口から外海へ流れ出ていきました。出口の近くにいた軍艦が、次々に外海へ吐き出されていきます。

「ワン、船が外に出て行った!」

「これ、闇の魔法よ! 誰かが海に魔法をかけたんだわ!」

 とポチとルルが言いましたが、すぐに口がきけなくなってしまいました。彼らを乗せた水蛇も、流れに巻き込まれてしまったからです。港の出口へ引き寄せられていきます。

 すると、水蛇が長い体を伸ばしました。海藻の尾で、海底の岩にしっかりと絡みつきます。とたんに、流れはいっそう激しくなりました。猛烈な風のように彼らを襲い、水蛇の背中から力任せにもぎ取ってしまいます。

 メールは流れの中へ叫びました。

「おいで、ネプチューン!」

 水蛇の上半身がたちまち崩れて、海藻の鞭に変わりました。長く伸びてフルートたちに絡みつき、引き戻してまた水蛇に戻ります。

 蛇の太い体を壁にしながら、一同は驚いて周囲を眺めました。勢いよく流れる海水は、海岸の砂や海底の泥を巻き上げて、茶色くにごっていきます。まるで濃い霧か煙が流れてくるようです。

「なんだよ、これ!? 海流か!?」

「ワン、港の中に!? そんな馬鹿な!」

 水がごうごうと音を立てるので、ゼンとポチがどなるような声で言い合っていると、にごって暗くなっていた海底がまた明るくなってきました。雲が切れていくように、頭上のにごりが薄くなって、日の光が差し始めます。

 それを見上げて、フルートは眉をひそめました。

「どうして光が差すんだ……? さっきまで、海底から太陽はほとんど見えなかったのに」

 猛烈な水音の中でも、ポポロの耳にはフルートの声がはっきりと聞こえました。すぐにはるかな目で周囲を見回します。

 とたんに、ポポロは声を上げました。

「水が減っているのよ! 海の水が港からどんどん出ていくわ!」

 港から!? と仲間たちはまた驚きました。言われてみれば、海水は彼らを押すのではなく、引き寄せるように沖の方向へ流れていました。周囲はますます明るくなって、太陽が波に揺らめく様子が見えてきます。それは彼らの頭のすぐ上でした。水面がそこまで下がってきているのです。

「おい! こんな派手な引き潮ってあるのかよ!?」

 とゼンがどなると、メールが答えました。

「違う! これは引き潮なんかじゃないよ! これは――この水の引き方は――」

 ますます海水が減っていく様子を、メールは真っ青な顔で見回していました――。

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