大砂漠を飛竜で飛びたった一行は、三十分もたたないうちに、大きな雲の壁の中に飛び込みました。ほんの一メートル先も見えないような濃い霧の中を飛ぶことになります。
道案内をする老人の声が先頭から聞こえてきました。
「ここが砂漠と外との境界じゃ! ここを抜ければ砂漠も終わりですぞ!」
そのことばの通り、竜たちが雲をくぐり抜けて外に出ると、まったく違う気候が彼らを包みました。砂漠は暑い乾いた空気に支配されていたのに、急に気温が下がって寒くなったのです。雲の霧は抜けたはずなのに、冷たく湿った空気が離れません。一行はあわててマントや上着を体に絡めました。眼下には緑の山と森が続いていますが、そこにも白い霧が川のように流れています。
すると、先頭の竜が速度を落として、後続の三頭に並びました。輿(こし)のような座席から占神が話しかけてきます。
「あたしの屋敷がある竜仙郷までは、ここから二時間くらいかかるんだ。飛竜で一気に飛べる、ぎりぎりの距離さ。でもね、その二時間も惜しいから、このまま飛びながら話をしていこうじゃないか」
即座にそれに同意したのは竜子帝でした。
「賛成だ。フルートたちは今どこでどうしている? 彼らが闇の国へ下りていくのを見送って以来、朕たちには、フルートの様子がまったくわからないのだ」
「残念ながら、あたしにも、あの一行が今どうしているのかは、わからないよ。あたしにはあの一行を占うことはできないからね」
と占神が言ったので、ユギルは驚きました。
「勇者殿たちを占えない? 未来を占えないという意味ではなく、今現在、何をしていらっしゃるか読み取れない、ということでございますか……? そういえば、エスタでお会いしたシナ様も、勇者殿たちを占えなくなっている、とおっしゃっておいででしたが、それと関係があるのでしょうか?」
「当然だよ、同じ原因だからね。勇者の一行をあたしたちの目から隠しているのは、ヒムカシの国のエルフが作った魔法の道具さ。敵から守るために、占いや透視にあの子たちの姿が映らないようにしているんだよ」
占いから姿を隠す道具? とオリバンも驚き、じきに思い当たりました。
「ポポロが持っている姿隠しの薄絹のことか――。確か、ヒムカシの国のオシラという魔法使いからもらったと言っていたが」
「そう、あの国にはエルフの隠れ里が各地にあって、力のあるエルフたちが今も大勢住んでいるのさ。ヒムカシの住人からは神様や怪物のように思われて、敬われたり恐れられたりしているけれどね。あの薄絹には、あらゆるものの目から隠す魔力を織り込んであるんだ。肉眼的には薄絹を身につけた人の姿しか隠せないけれど、占いに対してはもっと力が強くて、周りにいる人たちまで一緒に見えなくしてしまうんだよ」
「ですが、わたくしには勇者殿たちの姿がずっと見えておりましたが。ロムド城にいるアリアン様も同様です。ヒムカシから次の場所に移動してからも、ずっと勇者殿たちを追い続けることができました」
とユギルが言うと、占神は苦笑しました。
「隠すと言っても、光と闇の目だけは別なのさ。あの子たちは光の勇者だからね。光からも見えなくなってしまったら、まったく手助けできなくなってしまうだろう? そして、闇は基本的に光と同質の存在だから、やっぱり闇の目からも彼らは見えるってことなのさ」
つまり、勇者の一行は光や闇の力を使った目には見えているものの、それ以外の力による占いや透視からは把握できなくなっている、ということです。
ユギルは考え込み、やがてまた口を開きました。
「わたくしは、占神にお会いできたら、勇者殿の行方がわかるのではないかと考えておりました……。勇者殿たちは一度深い闇に隠され、それが去った時には勇者殿の象徴が見えなくなっていました。わたくしの目では、闇の中で何が起きたのか見通すことができません。ユラサイの方々は闇の影響を受けないので、占神ならば闇の底も見通せるのではないかと考えたのですが」
「残念だけれど、それはあたしの仕事じゃないね。あの子たちに何が起きたのか、あたしには知ることができないんだから。それでも、それを見極められる人間がいることはわかっている。それはあんたさ、ロムドの占い師。もう一度占ってごらん。何が起きているのか、あんたにはきっとわかるはずだよ」
と占神は言いました。落ち着き払った厳かな声です。占神は予言を告げているのでした。
すると、ユギルの前で術師のラクが白い紙を宙に投げました。短く呪文を唱えると、ユギルの目の前に、黒い占盤が現れます。荷袋の中に入れてあったものを、ラクが術で取りだしたのです。
「感謝いたします」
とユギルは言って、占盤へ目を向けました。羽ばたきながら飛び続ける竜の背には、正面から強い風が吹きつけきますが、占盤は竜の背中に貼り付いたように固定されていました。安定したその表面に、象徴の姿を探します――。
と、ユギルの声が変わりました。占神よりもっと深く厳かな声になって話し始めます。
「光の勇者たちの象徴が見つかりました。皆様方は中央大陸の南端に位置するカルドラ国の港街においでです。ゼン殿、メール様、ポポロ様、ポチ殿、ルル様――。皆様お元気ですが、やはり勇者殿の象徴は見当たりません。ただ、新しい象徴がいくつか増えております。皆様方は、また新しい協力者を見つけられたようでございます」
オリバンは思わずうなりました。
「カルドラ国……。彼らはロムド城を目ざしていたはずだ。まだそんなところにいるのか」
「カルドラ国のセイマ港からは、メイに向かう船が出ているんだ。メイに入れば、メイ女王もきっと彼らに協力する。もう少しだ」
とセシルが安心させるように言います。
けれども、占神は難しい表情になりました。遠くを見る目で言います。
「危険だね。カルドラ国の周囲では、今、急激に戦争の気配が高まっているんだ。あの子たちはそのただ中にいるってわけかい」
「彼らは世界の最も危険な場所を訪れる定めになっておる。そういう星回りじゃ」
と占神の前から老人が静かに言いました。頭が半ば禿げ上がった、とても小柄な老人ですが、彼は先代の占神なのです。
並んで飛んでいた竜子帝とリンメイが、身を乗り出すようにして言いました。
「フルートが見つからないのか!? 何故だ!? フルートはどこにいるのだ!?」
「みんなはどうしてフルートを探さないの!? ロムド城に行って、何をするつもりでいるのよ!?」
友人を心配して大声になった二人に、占神が言いました。
「それを今、占い師が調べているんだよ。占いの邪魔になるから黙っておいで!」
相手がユラサイの皇帝と未来の后であっても、かまわずぴしゃりと叱りつけます。
ユギルはさらに占盤に象徴を追いながら、厳かな声で話し続けました。
「確かに、カルドラでは戦争の気運が高まっております。海には非常にたくさんの兵士が集まっていて、波に揺られております。おそらく船に乗っているのでしょう……」
「軍艦だ。カルドラ海軍は多くの軍艦を持っている」
とセシルが言いました。カルドラが彼女の故国のメイと戦争をするつもりではないか、と考えて、非常に心配そうな顔をしています。
ユギルはいっそう低い声になって話し続けました。
「カルドラが攻めようとしているのは、ザカラス国でございます。勇者の皆様方は戦争を止めようとなさっておいでです。その先頭に立つのは青い石の象徴。ゼン殿やメール様たちと共に軍艦へ向かう様子が、未来の中に見えております……」
そこまで話して、ユギルは、ふっと口を閉じました。細い眉をひそめて占盤を見つめ直します。青い石の象徴の主を、ユギルは知りません。フルートの象徴が消えた後、いつの間にかゼンたちのすぐ近くに現れて、行動を共にするようになったのです。敵ではなく味方なのですが、それにしても、その動きが誰かによく似ているような気がしました。青い石は、ゼンやメール、ポポロや犬たちを率いて、恐れる様子もなく巨大な軍艦へ向かっていきます――。
すると、占神が静かに言いました。
「あんたの感じているものを信じるんだよ、銀の占い師。世界は今、あたしたちに味方しようとしている。世界があんたに告げようとしていることを、耳を澄まして聞き分けるのさ」
集中して占っている最中だというのに、占神のことばは、何故かすんなりとユギルの中に入ってきました。世界が告げようとしていること、と占盤を見ながら考えます。
青い石は軍艦から猛攻撃を受けても、ひるむことなく進んでいきます。その勇敢な姿は、ある別の人物を強く連想させます……。
とたんにユギルは、はっとしました。思い当たることがあったのです。半ばひとりごとのように話し始めます。
「金の石の勇者が魔の森から現れたのは四年前。それ以前に、金の石の勇者はこの世には存在しませんでした。ですが、勇者殿はもちろん、その前からこの世に生きていました。十五年前に生を受け、十一の歳になって金の石に勇者として選ばれるまで、ずっとシルの町で暮らしていたのです……。占盤に映るまばゆい金の光は、金の石の勇者の象徴。人の象徴は、その存在の意義が変わったときに変化するもの。勇者殿は? 金の石の勇者になる以前の勇者殿の象徴は、いったい……?」
ユギルのことばは、しまいには完全なひとりごとになっていました。オリバンたちには理解できなくなってしまいますが、占神と、元占神の老人だけは、じっとユギルを見守ります。
ユギルはまた占盤を見つめました。占いの目を、今や未来ではなく、過去へと向かわせます。追い続けたのは、金に光るフルートの象徴でした。闇にさらわれて見えなくなってしまう前から始めて、時間をさかのぼり、四年前のシルの町にたどり着きます。町に近い魔の森の奥に、金色に輝く象徴が姿を現し、大きな剣の象徴がそれを出迎えていました。剣は、十年間シルの町で勇者の出現を待ち続けたゴーラントス卿です。フルートが魔の森の奥で金の石を手に入れて、金の石の勇者になった瞬間の様子でした。
けれども、ユギルはそこからさらに過去へ向かいました。金の石に出会う前、勇者になる前のフルートを追い求めます。
すると、象徴が変化を始めました。占盤全体を照らすほどまばゆく輝く金の光が、急速に小さくなって輝きを収め、やがて見えなくなってしまいます。代わりに現れたのは、まったく別の象徴でした。空をそのまま固めたような青い石が、優しく暖かく輝いています――。
「勇者殿はゼン殿たちとご一緒でした!!」
とユギルは叫びました。思わず大声が出てしまったのです。なんだと!? とオリバンとセシルが驚きます。
「では、フルートは無事だったんだな!?」
「ああ、よかった!」
と竜子帝とリンメイは安堵します。
ユギルは深刻な表情で占盤を見つめ続けました。
「ご無事ですが、象徴が変わっております――! 青い石というのが勇者殿だったのです。象徴が変わっているということは、勇者殿が今はもう金の石の勇者ではないことを意味しています」
「どういうことだ? フルートは金の石をなくしてしまったのか?」
とセシルが尋ねると、ユギルは首を振りました。
「今までにも、勇者殿は何度も金の石を手放したり、敵に奪われたりしましたが、その時には象徴までは変化いたしませんでした。青い石というのは、勇者殿が金の石の勇者になる前のお姿。勇者殿は、真の意味で、金の石の勇者ではなくなっているのです」
一同は呆然としました。フルートの身の上に何が起きたのか、誰も想像することができません。
すると、占神が言いました。
「どうやら、それは闇の竜のしわざのようだね……。フルートは一度濃い闇に隠されて、次に現れたときには象徴が変わっていた。つまり、金の石の勇者ではなくなってしまっていたってことだ。闇の竜の罠にかかったのに違いないよ。だから、仲間たちは助けを求めて、ロムド城に向かっていたんだろう」
ようやく明らかになってきた事実に、一同はことばを失いました。金の石の勇者ではなくなってしまったフルート。けれども、彼らはそのフルートを先頭にして、戦争を止めるためにカルドラの軍艦に挑もうとしているのです。
「一刻も早く竜仙郷に行かなくちゃいけないね。あたしの屋敷ならば、もっと深く正確に占うことができるんだ。どうやったらこの状況を好転させることができるか、占いで見つけ出して――」
そう占神が言いかけたときでした。他でもないその占神が、突然大きな悲鳴を上げました。自分の左肩を右手で押さえ、前のめりに倒れていきます。危なく竜の背からも転落しそうになりますが、手綱を握る老人が自分の体でそれを止めました。
「占神! どうしたんじゃ、占神!?」
と大声で呼びかけますが、返事はありません。占神は肩を押さえたまま、目を閉じ、ぐったりと老人の背にもたれかかっていました――。