突然カルドラ王から発令された軍隊の召集命令と海軍の遠征。
その遠征を命じたのはサータマン王であり、戦いの引き金を引いたのはフルートだ、とジズから言われて、フルートも他の仲間たちも、思わず絶句してしまいました。すぐには意味が理解できません。
すると、ジズはテーブルに肘をついて身を乗り出し、かんで含めるように話し続けました。
「このカルドラ国の王はな、以前からバルス海での利権を伸ばしたくて、うずうずしていたんだ。だが、カルドラは大国ではないから、自分の国だけでバルス海を制することはできない。そこで、大国のサータマンを後ろ盾にすることを思いついて、貢ぎ物をどんどんサータマン王に送っては、何かあればいつでも協力する、と言い続けていたんだ――。今回、カルドラ王が遠征を決定したのは、本当に突然のことだ。王の命令を伝える役人たちにさえ寝耳に水の話だったという。しかも、遠征先のザカラス国は今、すべての港が凍結していて、攻めるには非常に難しくなっている。こんな無理な状況で大急ぎで遠征するのは何故か、と考えれば、きっとサータマン王の要請だったに違いない、と推察できるわけだ」
「ワン、カルドラがサータマンと手を結びたがっている、って噂は、ぼくたちも聞いていました。だから、最初はカルドラに行くのは避けるつもりだったんです。急きょロムド城に行くことになったから、こうして来てしまったけれど」
とポチが言うと、ゼンが、けっと顔をしかめました。
「相変わらず、人間たちはそういう話ばかりだよな。自分たちだけが得をしたくて、卑怯なことばかりしやがってよ。――カルドラ王がサータマン王とお手々つないで悪の集団になろうとしてるのはわかった。だがな、そこにフルートが関係してくるのは、どうしてだよ? 俺たちはカルドラ王なんかとは会ったこともねえんだぞ。サータマン王にだって、まだ会ったことはねえんだ」
「会いたいとも思わないけどね」
とメールがすかさず付け足します。
ジズは黒いひげにおおわれた顔に苦笑を浮かべました。
「会ったことがなくても、サータマン王のほうでは、おまえたちを相当目障りに思っているぞ。この三年半、おまえたちの噂は、本当にしょっちゅう耳にした。どうしようもない、おとぎ話みたいな内容も多かったが、おまえたちの活躍を正確に伝える噂もちゃんと伝わってきた……。おまえたちはロムド国のジタン山脈で、サータマンとメイの連合軍を討ち破っている。あそこにはどえらい量の魔金があるんだろう? サータマン王は、仇敵のメイとも手を結んでそれを奪おうとしたが、おまえたちとロムドの王子の活躍で大敗を期した。ロムドとメイの和平や、それ以前のロムドとエスタの和平でも、おまえたちは大活躍をしたが、どれも、サータマンにとっては、非常に面白くない動きだ。金の石の勇者さえいなければ、とサータマン王は考えているし、チャンスさえあれば亡きものにしたい、と思い続けているだろう。そんなところへ、フルートが記憶喪失になったという情報だ。サータマン王は絶好の機会と考えて動き出したんだよ」
すると、メールが首をかしげました。
「だけどさ、あたいたちは、フルートが記憶をなくしてからずっと、ジャングルの中とか山の中とか、そんな場所ばっかり通ってきたんだよ。人がいるところに来たのは、ここに来る前に泊まっていたヤダルドールの町が初めてだったし、そこではあたいたちの正体は話さなかったんだもん。フルートが記憶喪失になったことが、サータマン王に伝わるわけないじゃないか」
ジズは、ちちちと人差し指を振りました。
「忘れているぞ、おまえら。フルートにマモリワスレの魔法をかけたのは誰だ? その罠を山の上に仕掛けさせた張本人は? 悪党は悪党を呼ぶもんだ。そいつがサータマン王に言ったんだよ。金の石の勇者は使いものにならなくなった、今こそ侵略のチャンスだ、とな」
「デビルドラゴン――!?」
とゼンたちは思わず叫びました。四枚の影の翼がばさり、と羽ばたく音を空耳で聞いたような気がします。
少しの間考えてから、ポチが言いました。
「ワン、そうだ……。以前、ジタン山脈に魔金があることをサータマン王に教えて、戦いをそそのかしたのはデビルドラゴンでした。サータマン王に闇の石も与えたから、王はそれで闇の軍勢を作り上げて、ジタンだけでなく、ロムド城まで直接攻めたんです。闇は一度つながりができた人間を離さない、っていうし、デビルドラゴンがサータマン王の元にまた現れたってのは、充分考えられると思います」
「またサータマンか、いい加減にしやがれ! デビルドラゴンなんかとつるんでいたら、そのうちにあいつに魂まで食われちまうぞ!」
とゼンがわめくと、その横で、メールも考えながら言いました。
「そういう状況だとしたら、サータマン王の本当の狙いはザカラスじゃない気がするよね。もし、あたいがサータマン王で、金の石の勇者がいなくなってるってわかったら、あたいならばロムド城を攻めに行くよ。あそこを制圧すれば、ジタン山脈も目障りないろんな関係も、全部抑えてしまえるんだもん」
渦王の鬼姫と呼ばれる戦士だけあって、メールの分析は冷静で正確です。思わずまた絶句した一行に、ジズが重々しく言いました。
「俺もその通りだろうと思うぞ――。サータマン王の本当の狙いは、きっとロムドだ。だが、前回ロムド城やジタン山脈を攻撃したときには、ザカラス軍とエスタ軍がロムドを助けに駆けつけてきた。それを阻止するために、カルドラ海軍にザカラスを攻めさせて、ザカラス軍を西の海へ引きつけようとしているんだろう」
「それじゃ、エスタ軍のほうには? やっぱり何かしているの?」
とルルが聞き返しました。当然の予想です。
「それはわからん。だが、あのサータマン王のことだから、何かしら仕掛けて、エスタ軍がロムドへ向かえないようにする可能性は高いな」
とジズは答えて腕組みしました。非常に難しい顔で考え込んでしまいます。少年少女と犬たちも困惑して顔を見合わせてしまいました。国々を巻き込んでの陰謀と戦闘は、あまりにも規模が大きすぎて、彼らにはどうしようもない気がします――。
ずっと黙って話を聞いていた居酒屋の女主人が、ふーっと煙草の煙を吐いてから言いました。
「信じられないような話よね、本当に……。サータマンの王様は、ロムド国を攻めようとして、カルドラの王様にザカラス国の攻撃を命令した。そして、エスタ国のほうでも何か起きようとしている。つまり、大陸中を巻き込んでの大戦争が起きようとしているってことでしょう? そんなものすごい状況を、このかわいらしい坊や一人が引き起こしただなんてね」
とフルートを眺めます。フルートは何も言いませんでした。青ざめた顔で、じっとうつむいています。
ジズがそれに答えました。
「こいつらが子どもなのは、見た目だけのことだ。なにしろ、この世界の最も重要な部分を担った連中なんだからな。その中でも一番大切な役目の奴が、記憶をなくしてしまったんだ。世界中が騒ぎ出さないはずはない。――おい、こうなったら本気でフルートの記憶を取り戻さなくちゃならんぞ。そして、一刻も早くこの騒ぎを抑えるんだ」
「俺たちはずっと本気でこいつを元に戻そうとしてるよ」
とゼンが憮然として答えました。ポチも言います。
「ワン、だからぼくたちはカルドラから船でメイに渡って、ロムド城に向かおうとしていたんです。ロムド城にいる赤の魔法使いならば、きっとフルートにかかった魔法を解いてくれるから――」
その時、ずっとうつむいていたフルートが急に口を開きました。
「ぼくはロムド城には行かないよ」
えぇ!? と仲間たちは驚きました。ゼンが立ち上がってどなります。
「馬鹿なこと言ってんじゃねえ、フルート! ロムド城に行かねえで、どうやって記憶を取り戻すって言うんだよ!?」
「まさか怖くなったのかい、フルート!? こんな大騒ぎになってるから――」
「サータマンがロムドを狙っているのよ、フルート! 知らせに行かなくちゃ!」
「そうよ、私とポチが風の犬になってロムド城まで飛ぶわ!」
とメールやポポロやルルも口々に言います。
ポチも驚いた顔でフルートを見上げていましたが、ふいに、くん、と鼻を鳴らすと、意外そうに目を丸くしました。
「ワン、違う。フルートは怖がってるんじゃありません。何か考えがあるんだ――。何を考えているんです、フルート?」
フルートは顔を上げました。空の色の瞳で、まっすぐ仲間たちを見回し、真剣な顔で言います。
「ロムド城に行って、ぼくの記憶を取り戻してからじゃ遅いんだよ――。カルドラからザカラスへ向かう船は、明日にも出航しそうだ。ザカラスに到着すれば、すぐに戦闘が始まるだろう。でも、あの船には、軍人でもなんでもない、普通の人たちが大勢乗っている。畑を耕したり、街で商売をしたり、物を作ったりして、普通に暮らしていた人たちだ。その中には、ぼくたちに親切にしてくれたヤダルドールの人たちもいる。戦闘が始まれば、あの人たちが命がけで戦うことになるんだ。怪我をしたり死んだりする人も、きっと大勢出てくる――。軍艦を出発させちゃいけない。なんとかして、今すぐ船を停めなくちゃいけないんだよ」
たたみかけるように言ってくるフルートを、仲間たちは呆気にとられて見つめてしまいました。
「フルート、おまえ……」
とゼンが言いかけて、ことばを呑みます。おまえ、記憶が戻ったのか? とゼンは言いそうになったのです。けれども、そんなはずはありませんでした。フルートは今でも記憶を失ったままです。それでも、彼が言っていることは、以前とまったく同じでした。
ポチがつぶやくように言いました。
「ワン、フルートはいつだって、自分と関わった人を必死で守ろうとしてきた……。マモリワスレはフルートから出会ってきた人の記憶を消してしまったけど、それでも、そんなフルートの本質は変えられなかったんだ……」
隣にいたルルがそれを聞きつけて、改めてフルートを見上げました。金の鎧兜の少年は、少女のような顔に堅い決心を浮かべて、じっと遠くを見つめています。
「だが、具体的にどうする? 相手は軍艦だ。しかももう十隻以上集まってきている。あれを停めるのは簡単なことじゃないぞ」
とジズが腕組みして言いました。女主人のイリーヌが、そうね、とうなずきます。
「あれだけ大規模に出撃の準備をしているんだもの。もう一度王様の命令が出なければ、絶対に停めることはできないわよ。それも、カルドラ王の命令じゃなく、サータマン王の命令がね。絶対に無理よ」
フルートは首を振りました。
「それなら、サータマン王から撤退命令を引き出してやる。とにかく、軍艦を港の外へ出て行かせないようにするんだ」
どうやって!? と仲間たちはいっせいに尋ねました。ポポロが心配そうにフルートを見つめます。記憶を何もかも失っているはずなのに、フルートは、本当に昔と同じ表情をしています……。
仲間たちに向かって、フルートは言いました。
「サータマン王は、金の石の勇者がいなくなったと思って、ロムドやザカラスとの戦いを思いついたんだ。それなら、金の石の勇者がちゃんと存在しているんだ、ってことを知らせてやればいい」
「知らせる? どうやって」
とゼンがまた尋ねました。フルートが何を考えついているのか、想像することができません。
すると、フルートは落ち着いた声で答えました。
「簡単なことじゃないか。金の石の勇者は、本当にここにいるんだからな」
仲間たちがまたとまどうと、ジズが驚いたように言いました。
「フルート! まさかおまえ、王たちの前で、金の石の勇者はここにいるぞ、と言うつもりなんじゃないだろうな!?」
「そう。そのまさかだよ」
とフルートは答えると、一同に向かって薄く笑ってみせました――。