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第17巻「マモリワスレの戦い」

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57.居酒屋

 結局、フルートたちは物乞いが伝えてきた居酒屋を訪ねました。

 彼らを呼び出したのが敵か味方かはわかりません。罠の危険もありましたが、自分たちの正体を知っているからには確かめる必要がある、と考えたのです。

 指定された居酒屋は、港から数えて八本目の通りの片隅にありました。軍艦の出航を待つ男たちが押しかけているので、居酒屋や宿の食堂はどこも満員で、通りを歩いているだけで賑やかな声が聞こえてきましたが、その居酒屋だけは妙に静かでした。入口の扉に「臨時休業」の札が下げられ、代わりに中から金槌(かなづち)の音が聞こえてきます。

「ホントにここなのか? 工事中みたいじゃねえか」

「でも、ちゃんと看板にイリーヌ亭って書いてあるよ。やっぱりここなんだよ」

 とゼンとメールが話し合っていると、真っ先にフルートが扉に手をかけました。扉が内側に開くと、チリンチリン、と鈴の音が響いて、薄暗い店内が現れます。丸いテーブルと椅子がたくさん並んでいますが、客は一人もいません。

 すると、店の奥のほうから女性の声がしました。

「悪いわね、今日は休みなのよ。店の修理中なもんだから」

 灯りのついたランプが奥のカウンターに載っていて、その横に細身の女性がいました。赤っぽい髪を短く切りそろえ、黒いドレスを着て、丸い椅子に座っています。手にした長いキセルから立ち上る煙が、ランプの光に白く揺らめいていました。

 フルートは入口で立ち止まると、店内を見回しながら言いました。

「誰もいないんですか? ここで待ち合わせだったんですが」

 ドレスの女性は、あら、と言いました。ランプを掲げてフルートたちを照らすと、何故か急に笑い出します。

「本当に来たのね。驚いた。しかも、噂よりずっと子どもじゃないの。命知らずな子たちだこと」

 なに!? とフルートとゼンは思わず身構えました。フルートは剣へ、ゼンは弓矢へ手を伸ばしますが、女性はそれを無視して奥へ呼びかけました。

「あんた! あんた! 来たわよ――!」

 店の奥には階段があって、その上から盛んに金槌の音が響いていましたが、とたんにその音がやんで、おう、と返事がありました。中年の男の声です。フルートたちはますます緊張しました。フルートの足元に二匹の犬たちが駆けつけてきます。

 とたんに、ポチは、あれっという顔をしました。鼻面を上げ、くんくん、と匂いを嗅いで首をかしげます。

 

 階段の上から男が下りてきました。顔中に黒いひげを生やしていて、シャツの袖をまくり、手には金槌を握って、いかにも修理の途中だったという恰好です。

「よぉ、久しぶりだな、勇者の坊主ども。三年半ぶりか?」

 と男に言われて、ゼンとポポロは、あっと声を上げました。ポチも、ぽかんと男を見つめましたが、フルートとメールとルルはいぶかしい顔のままです。

 すると、そんなフルートに、男が言いました。

「なんだ、俺を忘れたのか、フルート? 俺だ、ジズだよ。エスタ国で会っただろうが」

 メールはゼンを振り向きました。

「誰なのさ、この人? 知り合い?」

「ああ、おまえとルルは会ったことがなかったな。おまえらが仲間になる前のことだったからな」

 とゼンは言い、フルートの腕を抑えました。

「大丈夫だ。こいつは風の犬の戦いのときに俺たちを手伝ってくれたヤツなんだよ」

 フルートは、男が親しそうに話しかけてきても、背中の剣に手をかけたまま、警戒を解こうとしなかったのです。

 黒ひげの男は苦笑しました。

「まあ、用心されてもしかたがないか。なにしろ俺は元は刺客軍団の首領で、エスタ国王の弟のエラード候の命令で、おまえたちの命を狙ったんだからな。あの時におまえらを殺そうとしたことをすっかり水に流せ、というのは虫のいい話だ」

 と言いながらドレスの女の隣の椅子に座り、金槌はカウンターの上に置いて両腕を組みました。まるで、おまえたちに手出しする気はない、と言うような態度です。

 それを見て、フルートもようやく剣から手を離しました。

 ゼンは肩をすくめました。

「ったく。こんなところであんたにまた会うなんて想像できるかよ、ジズ。エスタ国にいたんじゃなかったのか? シオン隊長がずっとあんたを捜してたんだぞ」

 エスタ国の近衛大隊長の名前を出されて、黒ひげの男は、また苦笑しました。

「だからエスタを離れたんじゃないか。ユーリー・シオンが俺を捜して国中に捜索命令なんか出したもんだから、エスタにいられなくなって国外に出たんだ。流れ流れて、このセイマにたどり着いたのが一年半前のことだ」

 エスタ国のシオン大隊長と刺客集団の首領のジズは幼なじみで、かつては親友同士だったのです。そのシオン大隊長や、当時ジズの部下だった女占者のシナが、先日エスタ国でオリバンたちと会って手助けをしたのですが、それはここにいる者たちにはわからないことでした。

 

 すると、ポチがジズと黒いドレスの女性を見比べて言いました。

「ワン、こっちの女の人は、さっきジズを『あんた』って呼びましたよね。ひょっとしてジズの奥さんですか?」

 あらまぁ、と女性は目を丸くして笑い出し、ジズも笑いながら首を振りました。

「相変わらずいっぱしなことを言う連中だな。いいや、結婚してはいない。一緒に暮らしてはいるがな」

「あたしはこの人をもう自分の亭主だと思っているのよ。でも、この人が、束縛されるのは嫌いだ、と言うから、まだ結婚届は出さないでいるの」

 と女性も言ました。この店は元々彼女のもので、イリーヌというのは彼女の名前、従業員兼用心棒として雇ったジズと意気投合して、いつの間にか一緒に店を経営するようになったのだ、という話も教えてくれます。刺客軍団の首領から居酒屋の亭主になったのですから、大した転身ぶりです。

 ジズに昔のような暗さや鋭さはもうありませんでした。黒いひげだらけの顔は相変わらずの強面(こわもて)ですが、とても穏やかな表情をしていて、懐かしそうにフルートやゼンたちへ話し続けます。

「税関を通りかかった友人が、奇妙な一行が通っていった、と教えてくれたんだよ。子どもと犬ばかりで、金の鎧兜を着た少年が混じっていると聞いて、これはきっとおまえたちのことだろうとピンと来た。それで、店の修理をするから臨時休業ということにして、おまえらを呼んだというわけだ」

「よその店じゃ戦争に行く兵隊さんたちで大繁盛してるっていうのに、うちはこうして閉店しているんだもの。ほんとに、稼ぎ時になんてことをするのかしらね、この人は」

 と女主人のイリーヌが言いました。口では文句を言っていますが、笑いながらジズを見ています。本気で怒っているわけではないのです。

 ゼンやポチやポポロも思わずほほえんでしまいました。ジズがこんなに平和そうに暮らしているのは意外な気がしましたが、女主人と仲よく寄り添っている様子が、なんだか嬉しく思えたのです。

 

 すると、ジズが不思議そうな顔をしました。

「さっきからどうも様子がおかしいな、フルート? そっちの海のお姫様や犬のお嬢さんは、俺と会うのは初めてなんだから当然だが、おまえまでがどうしてそんな顔をしている。まさか、この俺を忘れたわけじゃないだろう? おまえを草原で絞め殺そうとしたり、逆におまえらを助けたり――忘れられるほど縁薄い人間じゃなかったと思っているんだがな」

 ゼンたちがそれに答えようとすると、それより早くフルート自身が言いました。

「ぼくは今、以前の記憶がないんだ。あなたの話をされても思い出すことができない。――あなたは何者だ? 居酒屋の亭主になったと言うけれど、本当に? あなたからは危険な気配がしている。本当は、改心なんかしていないんじゃないのか?」

 他の仲間たちがすっかり安心している中、フルートだけはずっと警戒を解いていなかったのです。鋭い目でジズを見つめ続けています。

 すると、ジズは急に真剣な顔になりました。椅子から身を乗り出して言います。

「記憶がない? 本当か。いつからだ?」

「一ヵ月くらい前から」

 とフルートは答えました。相手が何かおかしな動きを見せたら、すぐに剣を抜ける構えをしています。

 ジズはカウンターに肘をつき、ううむ、と片手で顔をおおってしまいました。考え込むように、しばらく動かずにいてから、低い声で言います。

「そうか……それで、この出兵か」

 今までの穏やかさが嘘のような、鋭い声です。

 ゼンたちがわけがわからなくなっていると、ジズが言いました。

「店に鍵をかけろ、イリーヌ。込み入った話になるぞ」

 女主人はすぐに立ち上がって、全部の扉と窓に鍵を下ろしていきました。ジズのほうはランプを取り上げ、店の中央のテーブルの上に置いて呼びかけます。

「集まれ。ここなら外に話し声は洩れない。フルートが記憶喪失になったいきさつを聞かせるんだ」

 そう話すジズは、がらりと表情を変えていました。一同を見る目には、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さがあります。

 いったい何がどうなっているのか。ゼンたちがとまどう中、フルートだけは、黙ったまま、厳しい顔でジズを見つめ続けていました――。

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