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第17巻「マモリワスレの戦い」

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53.渇き

 大砂漠では夜が明け、猛烈な暑さが再び地上を襲っていました。

 雲ひとつない空から照りつける太陽が、砂を鉄のように焼きます。草も木も育つことができないので、日陰はどこにもありません。からからに乾ききった大地が、見渡す限り広がっています。

 そんな灼熱の中を、キャラバンの一行は進んでいました。先頭を行くのは、灰色の長衣を着てフードをかぶったユギルです。その後ろをラクダを引いたダラハーンがついていきます。彼が引くラクダにはセシルが乗り、その横をオリバンが歩いていました。後ろにも、たくさんのラクダを引き連れた男たちがいます。

 すると、ユギルが急に立ち止まりました。行く手を見るように遠くを眺め、振り向いてキャラバンへ呼びかけます。

「お気をつけください! また砂嵐です!」

 キャラバンの男たちはいっせいにうめきました。彼らは水を持っていません。前の晩、賊の襲撃を受けて、水筒を一つ残らず切り裂かれたのです。水を求めて占者の後についてきているのですが、水場にはいっこうにたどり着きませんでした。占者は、時折砂嵐の襲来を知らせるだけです。

 そんな部下たちを、ダラハーンが叱りつけました。

「砂嵐が来るぞ! 備えろ!」

 男たちはのろのろと動き出しました。ラクダを砂漠にしゃがみ込ませると、その後ろにかがみます。ダラハーンも自分のラクダを座らせました。

「ラクダの風下に隠れていろよ。砂に埋まらないように注意するんだ」

 とオリバンとセシルに言って、自分も別のラクダの後ろに隠れます。

 オリバンは伸び上がって占者を呼びました。

「ユギル、早く来い――!」

 占者は砂漠に立ったまま、行く手を見ていました。そちらから黄色い煙のようなものが押し寄せてきます。強い風に巻き上げられた砂でした。オリバンが見ている間に、占者の衣がはためき始め、フードが風で脱げて、長い銀髪も細身の体もたちまち砂煙の中に呑み込まれてしまいます。

「オリバン!」

 とセシルは婚約者の体を引っぱりました。砂煙が到達する前に、なんとかラクダの陰にかがみ込ませます。

 砂嵐が一同に襲いかかりました。細かい砂を巻き込んだ風が、激しく彼らをたたき、砂に埋めていきます。砂漠を吹き渡る風は熱く乾いていて、咽が焼けつくように痛みます。口元をおおう布を押さえながら、セシルが激しく咳き込み始めます――。

 

 やがて、砂嵐は通り過ぎて、空にまた太陽が輝き始めました。風が作り上げた黄色い砂の丘と谷を照らします。

 その中からキャラバンが立ち上がりました。ラクダも男たちも、嵐が運んできた砂に半ば埋もれていたので、頭や体を振って砂を払い落とします。

 オリバンもセシルに手を貸しながら立ち上がりました。まだ咳をしているセシルの背をなでて、話しかけます。

「砂を吸ってしまったのだな。大丈夫か?」

 セシルはもうひとしきり咳をしてから、オリバンにもたれて、ぜいぜいと呼吸をしました。涙が出るほど苦しかったのですが、涙は一粒も出てきませんでした。汗でさえ、もうまともには流れないのです。体の中も外もひどく熱くて、体中の水分が奪われてしまったように感じられます。

 そんなセシルの様子に、オリバンはひそかに歯ぎしりしました。セシルに今すぐ水を飲ませなくてはならないのはわかっているのに、その水が一滴もないのです。キャラバンの男たちもぐったりしていて、ラクダに寄りかかったり、地面に座り込んだりしていました。暑さに強い砂漠の民でさえ、水なしの強行軍にまいりかけているのです。絶望感がキャラバン全体をおおっています。

 すると、行く手に伸びる稜線の手前で砂が崩れて、中からユギルが立ち上がりました。まぶかにかぶっていたフードを一度脱いで、砂を払い落としてから、またかぶり直します。砂に埋まっていたのですが、動じる様子もなく、キャラバンへ呼びかけます。

「砂嵐は過ぎ去りました。出発いたします」

 けれども、男たちは動きませんでした。逆に、立っていた者が砂漠に座り込んでしまいます。

 その様子を見て、ダラハーンはユギルへ言いました。

「もう太陽は頭の上だ。テントを張って日陰で休んだ方がいいだろう。この暑さの中を歩くのは、いくらなんでも不可能だぞ」

 すると、ユギルは頭を振りました。

「ここにいては、水には巡り会えません。先へまいります――」

「この先へ行ったって、水なんか見つかるわけがないんだ!」

 とキャラバンの男がどなり返してきました。

「見ろよ! 見渡したって、草も木も一本も生えてないじゃないか! このあたりに水脈はないんだよ! 俺たちは、どうしたって水になんか出会えないんだ!」

 そう言って、男はおいおいと泣き出しました。他の男たちも、次々とすすり泣き始めます。どんなに泣き顔で天を仰いでも、誰の目からも涙は流れません。

 

 けれども、ユギルは彼らに背を向けました。

「まいります」

 とだけ言って歩き始め、砂の丘を越えて向こう側へと下りていきます。オリバンはその後ろ姿を見つめて、セシルをぐっと抱き寄せました。

「行くぞ」

 と短く言うと、今にも倒れそうなセシルを支えながら、ユギルの後を追い始めます。風がさざ波を刻んだ砂丘を、三人の男女の足跡が進んでいきます。

 それを見て、ダラハーンも部下たちへ言いました。

「立て! 出発だ!」

 どんな時でも、キャラバンでは隊長の命令は絶対です。男たちは誰もがもう動けないほど渇き、疲れ果てていましたが、ダラハーンがそう命じると、みんなまた立ち上がってきました。ラクダを引いて、炎天下を歩き始めます。

 ダラハーンはオリバンたちに追いついて呼びかけました。

「またラクダに乗れ、お姫様。無理をすると倒れて死ぬぞ」

 セシルはすぐに言われたとおりにしました。今にも崩れてしまいそうなほど体が重くだるく感じられましたが、それでも軍人らしく、鞍の上でしゃんと身を起こします。

 砂丘を越えると、また行く手にユギルの姿が見えました。立ち止まってこちらを振り向いていましたが、彼らがついてきたのを見ると、前を向いて歩き出します。フードの下からこぼれた髪が風になびき、銀色にひるがえって、一行を導きます――。

 

 そのままどのくらい歩き続けたのか。

 あまりの暑さと渇きに、一行は意識さえ朦朧(もうろう)としてきました。ラクダは平気で歩き続けますが、男たちの中には、それ以上進めなくなる者が出始めます。誰かが地面に倒れたりうずくまったりすると、仲間たちが集まって、なんとかそれをラクダの背に乗せ、引き手がいなくなったラクダを他のラクダの後ろへつないで、また先へ進みました。どんなに過酷な状況になっても、仲間を後に置いていくことだけはしません。

 オリバンも、セシルのラクダの横を歩きながら、何度も倒れかけていました。足にひどい痛みが走って、そのたびに足がつりそうになったのです。猛烈な暑さの中を水もなしに歩き続けているので、さすがのオリバンも脱水症状を起こし始めていました。体中が水分を欲していますが、その水はまだ見つかりません。

 そんな中、ユギルはずっと先頭を歩き続けていました。時折振り向いては、もう少しでございます、と言ってきますが、意識が朦朧となった一行には、自分たちとは関係のないことのように感じられてしまいます。ただ前が進んでいくので、考えることもなくその後をついていくだけです。

 

 すると、ふいに空気が変わりました。

 砂漠をおおう熱い大気の中に、ひんやりと湿った風が吹いてきたのです。右手の地平線から雲が壁になって押し寄せてきます。

 驚いてそちらを見たダラハーンが叫びました。

「雨雲だ! 雨が来るぞ! みんな、急げ!!」

 男たちは歓喜の声を上げると、いっせいにラクダに飛びついて荷物をほどき始めました。たった今までラクダの背でぐったりしていた男も、荷袋から夢中で荷物を取り出しています。壺、瓶、手桶、器、カップ――ありとあらゆる入れ物が砂の上に並べられ、全員が期待して空を見上げます。

 風が雲を運んできました。太陽が雲に隠されると、みるみるあたりが真っ暗になります。次の瞬間、音を立てて降り出したのは大粒の雨でした。あっという間に土砂降りになります。

「雨だ、雨だ!」

「水だ!」

 男たちは歓声を上げ、狂ったように踊りまわって空を振り仰ぎました。雨はますます強く降り、差し出した両手の中にたまっていきます。それを呑み干して、男たちは笑いました。彼らは命拾いしたのです――。

 オリバンたちも彼らと同じように雨を飲みました。渇いていた全身に水がしみ渡っていくと、オリバンの足の痛みは治まり、セシルも元気になっていきます。

 やがて雨が少し弱まって、あたりが見通せるようになると、二人はユギルの元へ行きました。占者は少し離れた場所に立って、人々が雨を飲んだり水を集めたりする様子を眺めていました。全身ずぶ濡れですが、顔には、ほっとしたような表情を浮かべています。

「ご苦労、ユギル」

 とオリバンが声をかけると、ダラハーンもやってきて言いました。

「あんたは本当に超一流だな、占い師。このあたりは百年に一度も雨が降らない、大砂漠でも一番乾いた場所なんだ。しかも、降ってもたちまちやんでしまう。それなのに、みごと雨を捕まえるなんてな。助かった、ありがとう」

 すると、占者は丁寧に一礼しました。

「それもこれも、殿下や隊長殿がわたくしを信じて、ついてきてくださったおかげでございます。どれほど正しい占いを告げたとしても、それを信じていただけなければ、占いは役には立てませんので……」

 話しているうちに雨がやみ、雲が切れてまた日が差し始めました。

 一同が見上げた砂漠の空に、鮮やかな虹の橋がかかりました。

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