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第17巻「マモリワスレの戦い」

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49.大砂漠

 夕方、日が大きく傾き、紗(しゃ)がかかるように、うっすらと空が陰り始めると、キャラバンはまた移動を始めました。日中の暑さはまだあたりにたちこめていましたが、百頭近いラクダを率いて、夕日とは反対の方角へ歩き始めます。

 セシルはまたラクダに乗って、自分たちの前に伸びる長い影を眺めていました。岩だらけだった地面が小石まじりの平地になり、それが次第に小さくなっていきます。岩が砕けて砂になっていくようだ、とセシルは考えました。それを証明するように、小石の砂漠の先に、完全に砂だけでできた砂漠が現れます。

 砂は寄り集まって、なだらかな山や谷を作っていました。砂丘です。沈もうとする太陽が、砂の山を燃えるような赤に染め、谷間を黒い影で彩ります。ラクダに乗ったセシルも、その横を歩くオリバンやユギルも、暑さを忘れて、思わずその光景に見とれました。鮮やかで美しい、砂漠の夕焼けです。

 日が完全に暮れて夜が訪れると、今度は満天の星空が広がりました。地平線の端から端まで、空一面に星が輝きます。これほど明るくてたくさんの星を、オリバンたちは見たことがありませんでした。まだ月は出ていないのに、星明かりだけで砂漠を進んでいくことができます。

 ラクダを引いて歩く男たちが、誰からともなく歌い始めました。そのもの悲しい音色にオリバンたちが耳を傾けていると、ダラハーンが言いました。

「夫の太陽の神が行ってしまって、アジの女神が淋しがるから、歌を歌ってそれを慰めているのさ。女神よ、あなたの上を進む我々をどうぞ守りたまえ、ってな。砂漠の民の間にもう何百年も歌い継がれている歌だ」

 歌声は砂の上を低く流れていきました。星空を背景にした砂丘が黒くそびえる中、キャラバンの男たちもラクダも、影絵になって進んでいきます。これもまた、厳格なほど美しい砂漠の夜の風景でした。

 

 ところが、そんな砂漠の美しさに感動する気持ちは、あまり長くは続きませんでした。夜がふけていくに従って、昼間の熱気が去って、寒さがやってきたのです。身につけていた布やマントをしっかり絡め直して進みますが、それでも冷気はしみ通ってきて、手足が冷えていきます。

 とうとうセシルはラクダを下りて、自分の足で歩き出しました。歩いた方が体が暖かくなったのです。並んで歩くオリバンへ話しかけます。

「昼は灼熱地獄、夜は真冬の冷え込み。キャラバンはこんな砂漠を何週間も行くというのか。信じられないほど過酷な旅だな」

「フルートたちも、大砂漠を越えるときには、暑さ寒さに非常に苦しめられたと言っていた。本当に何度も死にそうになった、とな」

 とオリバンが答えると、ダラハーンが話に加わってきました。

「そう、砂漠は過酷だ。砂や石以外何もない、死の世界のようにも見える。だが、そんな砂漠も、俺たちには生きるための大事な場所だ。誰もなかなか越えられない場所だからこそ、こうして越えていけば、それが商売になるからな……。普通、俺たちは夜ふけ過ぎまでこうして歩いて、その後夜明けまで眠り、日の出と同時にまた歩き出して、日中の一番暑くなる時間帯には休むようにしている。それが一番無理なく進める歩き方なんだ。だが、今回の旅は特別だ。あんたたちは、フルートのためにできるだけ早く砂漠を越えていきたいんだからな。強行軍になるが、明日の朝まで夜通し歩き続けて、距離を稼ぐことにするぞ」

 わかった、とオリバンは言いました。セシルのほうも、それに対しては不安はありませんでした。夜通しの行軍なら、軍隊にいた頃に何度も経験していたからです。

 彼らは先へ進み続けました。時間がたつほど、冷え込みは厳しくなっていきます。気温はすでに氷点下になっていました。時々手足や体をこすり、寒さと戦いながら歩き続けます――。

 

 夜がふけてくると、行く手の砂丘の陰から月が昇ってきました。満月の右側が大きく欠け落ちたような、丸い月です。月が顔を出したとたん、あたりが明るくなり、砂漠が遠くまで見渡せるようになりました。大小の砂の山が山脈を作り、延々とどこまでも続いています。砂漠の終わりは、まだ遠い彼方です。

 ダラハーンがラクダを停めて言いました。

「よぉし、晩飯だ! 今夜はその後でまた歩くからな! いつもより手早く準備しろよ!」

 おうさ、と部下の男たちが答えました。ラクダから薪や鍋を下ろし、火をおこして夕食の支度を始めます。

 セシルとオリバンは、焚き火の近くに立てた棒に大きな革袋がいくつも下げられているのを、珍しそうに眺めました。中に入っているのは水ですが、こんなに大きな水筒は見たことがありません。

 するとユギルがやってきて言いました。

「山羊(やぎ)の胴の皮をそのまま水筒にしているのでございますね。砂漠では水が手に入る場所は限られております。砂漠を渡るための大切な水を、こうして運んでいるのです」

「これだけの水で、何日ぐらい間に合うものなのだろう?」

 とオリバンは腕組みしました。彼らにとって砂漠は未知の場所なので、まるで見当がつきません。ダラハーンに尋ねると、若い隊長はすぐに教えてくれました。

「その水筒は一人に一つずつ持ってきている。それで約四日分というところだな」

「ということは、四日以内に次の水場へ着くということか。砂漠の中で、貴殿たちはどうやって水場を見つけるのだ?」

 とオリバンはさらに尋ねました。周囲はどちらを向いても同じような砂丘が見えるだけで、自分たちがどのあたりに来ているのか、オリバンにはさっぱりわからなくなっていたのです。

「太陽や月や星、それに大砂丘を見ていれば、自分たちの位置はわかる。普通の砂丘は風で常に動いていくからあてにならんが、中には何百年も動かない大きな砂丘もある。俺たちはそれを目印に旅をするんだ」

 というダラハーンの返事に、オリバンもセシルも感心しました。この砂漠の民の道案内がなければ、砂漠を越えることはできなかったのだ、と改めて思います。

 

 やがて食事ができあがったので、彼らは砂の上に座って食べたり飲んだりしました。山羊の肉の煮込みに蒸した米のようなものを添えたひと皿と、甘い香草茶です。セシルも今度はしっかり飲み食いしました。食べればいっそう元気が湧いてきます。

 ところが、食事の途中でユギルがふと手を止めました。飲みかけていた香草茶のコップを、真剣な表情で見つめます。

「どうした?」

 とオリバンが尋ねました。ユギルの整った顔が占者の表情に変わっていることに気づいたのです。

 コップの中の水鏡をしばらく見つめてから、ユギルは厳かに言いました。

「何者かがわたくしたちの後からやってきます。二十人近い集団です」

 近くにいたダラハーンや男たちがそれを聞きつけました。

「兄ちゃんはなんでそんなに深刻な顔をしてるんだ?」

「他のキャラバンが後ろから来るって言うのか? ここは砂漠の街道なんだから、当たり前だろう」

 と男たちは笑いましたが、ダラハーンは眉をひそめて聞き返しました。

「あんたは占い師だったな。後ろから来るのはどんな連中だ?」

「彼らの象徴は剣と悪意の紫――敵でございます。こちらに向かって疾走してまいります」

 とたんに一同は座っていた場所から跳ね起きました。

「盗賊だ! 急いで片づけろ! 逃げるぞ!」

 とダラハーンがどなり、男たちは大あわてで荷物をまとめ始めました。食事道具も大事な水筒もラクダに積み直して、急いでその場から離れようとします。

「あんたはまたラクダに乗れ!」

 とダラハーンに言われて、セシルは言い返しました。

「いいや、私は地上にいる! そうでないと戦えないからな!」

 と絡めていた布をマントのように払いのけます。その腰には愛用のレイピアが下がっていました。隣ではオリバンも自分の剣に手をかけて、西の方角へじっと目を凝らしていました。やがて、来たぞ! と声を上げます。砂丘の向こう側から砂埃が舞い上がるのが、月明かりの中に見えたのです。

 

 ダラハーンはすぐに命令を変更しました。

「ラクダを集めろ! 刀を抜け! 荷物を守るんだ!」

 敵から逃げ切れないと見て、防戦に切り替えたのです。数人の男たちが急いでラクダを寄せ集め、他の男たちはその周囲に立って武器を抜きました。彼らの刀は刃が湾曲していて長く、直線的なオリバンたちの剣とは形も大きさも違っています。

 オリバンは彼らに混じって剣を構えました。セシルもレイピアを抜いて並びます。

 すると、砂丘の上に疾走する集団が現れました。砂埃を上げながら、こちらに駆け下りてきます。

 とたんにキャラバンの男たちが驚きの声を上げました。

「なんだ、あれは!?」

「ラクダじゃない! 馬だぞ!?」

 月に照らされた砂漠に現れた集団は、ラクダではなく、馬にまたがっていたのでした――。

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