翌朝、日が昇ると同時に、キャラバンはジュナの街を出発しました。十数人の男たちと百頭近いラクダたちが、朝日に向かって歩き出します。大砂漠はそちらの方角にあるのです。
隊長のダラハーンは先頭に立って、一列につながった数頭のラクダを引いていました。キャラバンの男たちも、同じように一人が数頭のラクダを連れています。ラクダたちは水や食料、商売の品などを山のように乗せていますが、特に苦にする様子もなく、おとなしく男たちの後を歩いていきます。
セシルはダラハーンが引くラクダの背に乗っていました。生まれて初めてラクダに乗ったので、ラクダが立ち上がった拍子に転げ落ちそうになった一幕もありましたが、じきにバランスの取り方を覚えて、それなりに悠々と揺られています。
その横をオリバンとユギルが徒歩で進んでいました。セシルとオリバンは白い布を衣やマントのように身につけて体に絡めていますが、ユギルはいつもの灰色の長衣のままです。ただ、砂漠の砂埃を避けるために、フードの下にさらに布を巻いて、口元をおおっていました。セシルとオリバンは、身につけた白い布を引きあげて、同じように砂埃を防いでいます。
街を出ると、そこは荒野でした。赤茶けた岩と小石が転がる風景が、延々と地平線まで続いています。
「さあ、いよいよ大砂漠に突入だ」
とダラハーンが言ったので、セシルが驚きました。
「ここが砂漠? 砂漠というのは一面砂でおおわれた場所だと聞いていたのに」
「もちろん、そういうところもある。だが、こんなふうに石ころだらけ、岩だらけの場所も多いんだ。雨が極端に降らない乾いた場所が砂漠だからな」
それを聞いて、オリバンが首をひねりました。
「我々が出てきたジュナの街では毎日のように猛烈な雨が降って、木々も青々としていた。日差しが強いのはジュナも同様だったのに、あの街と砂漠で、何故これほど気候や様子が違うのだ?」
「風の神のサンマーンのせいだよ。サンマーンは砂漠の女神アジと太陽の神サバの息子なんだが、雨の神のイワッシュと仲が悪い。雨の神が砂漠へやってこようとすると、強い風で追い払ってしまうのさ」
とダラハーンは答え、オリバンやセシルの表情を見て、にやっといたずらっぽく笑いました。説明するように話し続けます。
「砂漠の神話ってのは、案外理にかなっていてな。砂漠の上空では周囲に向かっていつも強い風が吹いていて、そいつが砂漠に向かってくる雨雲を追い払ってしまうんだ。だから、砂漠の周辺では雨雲が滞って、逆に雨が多くなる。砂漠の民はそんな現象を不思議に思って、風の神と雨の神が喧嘩しているせいだと考えたんだ」
なるほど、とオリバンとセシルは納得しました。
「砂漠の民というのは、実に砂漠に精通しているのだな。貴殿の話は非常に詳しくてわかりやすい」
とオリバンが感心すると、一緒に話を聞いていたキャラバンの男たちが口々に言いました。
「俺たちの隊長は特別さ、お客人」
「そうそう。なにしろクアローの大学に行っていたからな」
「俺たちの村から初めて城の役人が出るんじゃないかと言われた人なんだよ」
ダラハーンはたちまち苦笑いの顔になりました。
「もう八年も前のことだ。俺が十八の年に、村長でキャラバンの隊長だった親父が急死したから、大学を辞めて親父の後を継いだんだよ。後を継ぐはずだった弟が、まだ小さかったからな」
「おかげで俺たちは大助かりさ。うちの隊長ほど利口でいろいろ知ってる隊長は、他のキャラバンにはいないからな。ダラハーン隊長の代になってから、俺たちの村は本当に豊かになったんだ」
とキャラバンの男がまた言いました。他の男たちは、日焼けした顔から白い歯をのぞかせて、得意そうに笑っています。彼らは優秀な自分たちの隊長がとても自慢なのです。
その様子に、オリバンとセシルも思わず微笑しました。部下の尊敬を集めているダラハーンを、改めて信頼する気持ちになります。
ユギルが静かに言いました。
「勇者殿たちが魔王に妨害されて、大砂漠を歩いて越えることになったときに、隊長殿がとても力になってくれた、と勇者殿はおっしゃっていました。誰が見ても不可能に思えるような状況だったにも関わらず、あきらめるな、と励ましてくださったのだ、と。勇者殿たちは隊長殿たちの親切を、ずっと忘れずにおいででした」
すると、ダラハーンは真面目な顔で頭を振りました。
「あきらめなかったのはフルートのほうだ。大の男でも越えるのが困難な大砂漠を、ポチと二人で、泣き言も言わずに越えていった。あんなに小さくてひ弱そうな奴なのに、誰よりも強い信念があったんだな。だから、行けるところまで行ってみろ、ひょっとしたらアジの女神が微笑むかもしれないから、と言ったんだ。そして、あいつらは本当に女神の幸運を捕まえた――。フルートが行方不明だとあんたたちは言うが、俺はあいつが無事でいるような気がしているよ。あいつは誰よりも心が強い奴だ。そんな奴は、きっとまた、アジの女神の微笑みを捕まえるに違いないのさ」
ダラハーンの力強い励ましは、オリバンたちの胸にしみました。フルートの無事を願いながら、アジの女神だという太陽を、目を細めて眺めてしまいます――。
やがて、あたりはどんどん暑くなってきました。太陽の高度が上がり、頭上に近づいていくと、その暑さは耐え難いほどになります。
セシルはラクダに揺られながら、まとっていた布を体に絡め直しました。肌をむき出しにしていると、日差しが突き刺さってくるようなのです。空気が乾燥しているので、汗もあっという間に乾いてしまいます。
そんな中を、キャラバンの男たちはラクダを引いて歩き続けていました。たまに話をすることもありますが、ほとんどは黙りこくったまま、粛々(しゅくしゅく)と先へ進んでいきます。オリバンとユギルも、男たちと一緒に歩き続けていました。地面からの照り返しで、ラクダに乗ったセシルよりもっと暑いはずなのですが、文句や弱音は一言も口にしません。
やがて、太陽が本当に頭の真上に差しかかると、ダラハーンはキャラバン全体へ呼びかけました。
「よぉし、飯だ! 日暮れまで休むぞ!」
そのあたりには見上げるような岩がいくつもあって、張り出した岩がひさしのように影を落としている場所もありました。男たちは日陰に入ると、てんでに横になり、その恰好で水を飲み、ジュナから持ってきた食料を食べ始めました。気温が下がってくる夕方まで、そこで休憩するのです。
セシルもラクダから下りましたが、とたんに膝から力が抜けて、地面に座り込んでしまいました。セシル!? とオリバンが驚いて駆け寄ります。
「だ、大丈夫だ……ただ、ちょっと……」
とセシル自身も驚きながら答えました。ただラクダに乗っていただけなのに、足腰に力が入らなくなっていたのです。全身がだるく、目眩(めまい)がして、座っているのさえやっとです。
「やっぱりか。暑さに慣れてない奴は、砂漠に来るとすぐにやられるんだ」
とダラハーンが近寄ってきて、セシルを抱き上げました。岩が作る日陰へ運び、ラクダから大きな丸い器を持ってくると、セシルの頭上で返します。とたんに水が降ってきたので、セシルは悲鳴を上げました。いきなりダラハーンから水を浴びせられたのです。頭をおおう布を外していたので、長い金髪がずぶ濡れになります。
「今、飲む水も持ってきてやる。飲んで飯を食えば、だいぶ元気になるはずだ。そこで横になっていろ」
とダラハーンは言って、また離れていきました。ぶっきらぼうですが、指示は確実です。
オリバンと一緒にセシルの元に来たユギルが言いました。
「隊長殿のおっしゃるとおり、横におなりください、セシル様。日陰は地面も涼しくなっております」
そこでセシルは地面に横たわりました。石だらけの大地ですが、日陰は確かにひやりと冷たくて、セシルの体から熱を奪っていってくれました。気がつかないうちに、体の中にずいぶん熱がこもっていたのです。水に濡れた頭も、乾いていく間は涼しく感じられます。
水を飲み、しばらく休むうちに、セシルはようやく気分が良くなって、また話せるようになりました。心配そうに隣に座るオリバンを見上げて言います。
「もう大丈夫だ……。だが、あなたたちはどうして平気なのだ? 私よりもっと暑い場所を歩いていたのに」
「私は辺境部隊としてロムド国の南部を守っていたことがある。あそこは湿地帯だが、夏場には猛烈に熱い風がミコン山脈を越えて吹いてくることがある。文字通り息の詰まるような蒸し暑さになって、屈強な兵士でさえ死ぬことがあるのだ。あれに比べれば、こちらは空気が乾いている分だけ楽かもしれん」
とオリバンが言うと、ユギルも静かに言いました。
「暑さ寒さに対する耐性は個人差がございます。わたくしも、生まれ育った場所は南西諸国の比較的暑い地方でした。もちろん、こちらのほうがはるかに暑いのですが、我慢できないほどではありません。セシル様の故郷のメイは海に面していて、気候が大変穏やかなところです。砂漠の暑さに体がなかなかついていかないのは、当然のことでございましょう」
そんなふうに慰められて、セシルは溜息をつきました。話はできるようになっても、まだ立ち上がる元気は出てきません。オリバンが食事を勧めてきましたが、食欲もわきませんでした。ただ涼しい地面に横になりながら、自分を乗せてきたラクダを眺めます。
ラクダたちは炎天下に座り込んで、もぐもぐと口を動かしていました。牛のように、胃の中の餌を反芻(はんすう)しているのです。ラクダたちは背中のコブや胃袋にたくさんの水分や栄養を蓄えているので、水や餌をもらわなくても平気な顔をしています。
キャラバンの男たちのほうは、食事を終えて、日陰で昼寝を始めていました。日差しの中に出ていって、積み荷の点検をする者もいます。セシルのように暑さでへばっている者は一人もいません。
「砂漠とはすごいところだな……」
とセシルはつぶやいて目を閉じました。
これでも砂漠の厳しさは序の口だということに、彼女はまだ気づいていませんでした――。