蛇のフノラスドが降らせる雨の中で、勇者の一行は万策尽きていました。
傷ついて倒れているフルート、花を失ったメール、魔法を打ち消されたポポロ、変身することができない犬たち――。そんな仲間たちの前でゼンが両腕を広げてフノラスドの魔法からかばっていましたが、そのゼンも青い頭の蛇に毒を食らったら、ひとたまりもなく倒れてしまうのです。どうしていいのかわからなくて、全員がフノラスドとランジュールを呆然と見上げてしまいます。
すると、倒れていたフルートが呼びました。
「ポポロ……」
土砂降りの雨音に紛れそうな低い声でしたが、ポポロの耳にははっきりと聞こえました。急いでフルートにかがみ込みます。
「なに、フルート?」
フルートは土気色の顔のまま、ぐったりと地面に横たわっていました。濡れた頬は口の端から流れ出た血で染まっています。雨が洗い流しているのに紅く見えているのは、血があふれ続けているからです。ポポロが泣き顔になります。
すると、フルートがポポロの腕をつかみました。あえぎながら言います。
「泣くな…………。君……魔法はまだ……もうひとつ、使えたよな……?」
「ええ。でも――」
フノラスドに使おうとしても白い頭に打ち消されてしまうの、とポポロが言おうとすると、フルートは首を小さく振りました。
「あっちじゃない……。ぼくのほうに……使えるか……?」
とたんにポポロもその事実に気がつきました。彼女が封じ込まれているのは、フノラスドを攻撃する魔法だけです。それ以外のものへ魔法を使うことは可能なはずでした。
「待ってて、フルート! 今すぐ治してあげるから――!」
と急いで癒しの魔法をかけようとすると、フルートはまたその腕をつかんで首を振りました。
「違う、ぼくじゃなくて…………魔法で、金の石を……起こすんだ……」
それだけを言って、フルートはぜいぜいとあえぎ、そのあげくに咳き込みました。雨の中にまた血を吐きます。
金の石を? とポポロは言いました。倒れたフルートの胸の上には金のペンダントが下がっていました。真ん中にはめ込まれた守りの魔石は、眠りについて灰色の石ころになっています――。
けれども、ポポロがとまどったのは一瞬だけでした。次の瞬間にはフルートに飛びつき、胸のペンダントを手に取って呪文を唱えます。
「ヨメザメーヨシイノリモーマ!」
とたんに緑の光がポポロの手からあふれ、ペンダントの透かし彫りを伝わって、中央の石へと流れ込んでいきました。石が緑の光に包まれます。
湧き起こってきた光に、ランジュールも気がつきました。飛び上がって叫びます。
「お嬢ちゃん! そこで何をしてるのさぁ!?」
石を包んだ光が次第に色を変え始めていました。エメラルドのような緑色から、輝く金色になっていきます。それが石全体に広がり、強く弱く、また強く、明滅を始めます――。
その光の中に姿を現したのは、異国風の服を着た小さな少年でした。鮮やかな金色の髪と瞳をしていて、腰に両手を当てた恰好で空中に浮かんでいます。
金の石の精霊! とゼンやメールや犬たちは思わず叫びました。ペンダントの魔石が目覚めたのです。精霊と魔石が放つ聖なる光に、フノラスドが怖じ気づいたように後ずさります。
すると、精霊は金の髪を揺すって周囲を見回し、自分の足元を眺めました。フルートが地面に倒れたまま、目を見張って自分を見つめているのに気がつくと、ふん、と頭をそらして大人のように言います。
「あそこに光と闇の戦いの罠が残されていたとはな――。残念ながら、予測できなかった」
とたんに、その隣に赤い光が湧き上がって、燃える炎のようなドレスと髪の女性も姿を現しました。願い石の精霊です。こちらは片手だけを腰に当てて、金の石の精霊を見下ろします。
「そなたは二千年前の光と闇の戦いに参加していたはずであろう、守護の。それなのにマモリワスレの罠のことは聞いたことがなかったのか?」
責めるようなことばに聞こえますが、その口調はあくまでも淡々としています。精霊の少年は肩をすくめました。
「噂は聞いた。でも、いち早く報告があったから、光の軍勢は罠には近寄りもせずに通過した。先を急いでいたから、罠がどんなものなのか、誰が仕掛けているのか、それを確かめることもしなかったんだ」
今度は精霊の女性が肩をすくめました。
「罠はそのまま定めとして残り、二千年の時が流れた後に、こうして実現してしまった。守りの石失格であろう、守護の」
「なんだと――!?」
それまで冷静だった少年が、かっと顔を赤くして怒ります。
すると、フルートが身を起こしました。地上にたたきつけられたときの傷は、魔石が金色に変わって目覚めた瞬間に治っていました。空中で言い争う二人の精霊に向かって叫びます。
「喧嘩をするな! そんな暇はないんだ! 早く、フノラスドを消滅させてくれ――!!」
精霊たちは驚いたようにフルートを見下ろし、それからまた、冷ややかに言い合いました。
「君はやらなくていいぞ、願いの。君がフルートの言うことを聞いて手伝えば、フルートの願いをかなえたことになってしまう。そんなことはさせない」
「私も守護のを手伝うつもりなどない。やるのなら勝手にやればよかろう。ただ、フルートはかなり体力を使い果たしている。このまま守護のに光を使わせれば、フルートの命が危うくなるかもしれない。フルートの体力だけは補っておいてやろう」
屁理屈のようなことを言いながら、願い石の精霊がふわりと舞い下りてきました。赤いドレスを炎のように揺らしながら、フルートへ手を伸ばしますが、フルートが思わず後ずさったので、眉間に小さなしわを寄せました。
「マモリワスレの術か。つまらぬ魔法だ」
と言いながら、フルートの両肩を両手で捕まえてしまいます。とたんに、フルートは、うわっと声を上げました。すさまじい力が奔流になって流れ込んできたのです。同時に鎧の胸当ての上でペンダントが強く光り出しました。守りの魔石が輝きを増し、みるみる明るくなっていって、目も開けていられないほどまぶしくなります。
と――石は爆発するように激しく輝きました。周囲の山も森も大地も空も、何もかもが白々と照らされて、びりびりと震えます。思わず目を閉じて顔をそむけたフルートたちも、全身に激しい痛みを感じました。強い熱線を浴びたように、体中が熱くなります――。
光が弱まり、魔石に吸い込まれるように消えていっても、あたりはまだ薄明るいままでした。夜明けが近づいていたのです。土砂降りの雨はやんでいました。東の山の陰で空が明るくなっていくのが見えます。
その薄明るさの中で、一行は目を開けました。フルート、ポポロ、ゼン、メール、ルル――と、ポチがぴょんとメールの腕から飛び下りて、ワンワンと元気にほえました。あたりを照らした金の石の光が、ポチの怪我をすっかり癒したのです。ポポロの魔法が時間切れになってしまったので、精霊たちはもう空にいませんでした。フルートの胸の上で、魔石が灰色の石ころに戻っています。
ところが、フノラスドがいた方向へ目を向けた一行は、あっと声を上げて驚きました。金の石は聖なる光を強烈に放ったのに、フノラスドはまだそこに浮いていたのです。八つの頭のうち、黒い三つの頭は尾も含めて完全に消滅していました。青い頭も溶けてしまって、長い首をくねらせて苦しんでいます。ところが、二つの白い頭と金の頭の蛇は健在でした。その前に赤い薄い障壁が扇のように広がっています。
「ワン、あれは赤い蛇の頭だ!」
とポチが障壁の正体に気がついて叫びました。扇のような障壁はやがて赤い蛇の首になり、フノラスドの胴体につながっていたのです。
ランジュールが舞い下りてきて、ううん、と首をひねりました。
「これは成功か失敗か、どっちだろぉ? 一応、切り札の赤ちゃんを使ったんだけどねぇ。金の石の爆発を完全には防げなかったなぁ」
「赤い蛇はどんな力を持ってやがったんだよ!?」
とゼンが尋ねました。フノラスドがヤマタノオロチだった頃に赤い頭はなかったので、見当がつかなかったのです。
うふん、とランジュールは笑いました。
「言ったろぉ? 金の石が爆発した光を防ぐ役目さぁ。最近、勇者くんは願い石をうまいこと利用して、金の石の力を強化してるからねぇ。それに対抗できるように、赤ちゃんに対聖力を持たせて鍛えたんだけど、まだ足りなかったみたいだねぇ。ほぉんと、願い石ってどのくらいの力を持ってるんだろ。反則だったらありゃしないなぁ」
そう話し続けるランジュールの後ろで、障壁が扇を閉じるように縮まって、蛇の頭に戻っていきました。聖なる光に対抗する蛇は、願い石と同じ赤い色をしています――。
ま、いいかぁ、とランジュールは言いました。
「フーちゃんにはまだ四つも頭が残っているからねぇ。そして、お嬢ちゃんの魔法はとうとう売れ切れになったんだから、こっちの勝ちに変わりはなし、と。うふふ、最後の仕上げと行こうかぁ。金ちゃぁん、全員をかみ殺せぇ!」
シュウウ、と金色の頭の蛇が動き出しました。仲間たちの前で仁王立ちになっているゼンへ突進していきます。ゼンはそれを受け止める体制を取りましたが、とたんに蛇が口を開けました。ゼンの背丈よりはるかに大きな口なので、ゼンには止めようがありません。
ワン、とポチがほえ、ルルと一緒に風の犬に変身して舞い上がりました。風の牙でかみつき、風の刃で切りつけて、突進を止めようとしますが、蛇はびくともしません。金の蛇はフルートに特化して鍛えられていました。金のうろこはフルートの鎧と同じくらいの強度があるので、風の犬たちの攻撃をまったく受けつけなかったのです。蛇の牙がゼンに迫り、後ろで少女達が悲鳴を上げます。
すると、ゼンの体がいきなり横から突き飛ばされました。地面に転がったゼンの代わりに、その場所に立っていたのはフルートでした。剣を構えたまま、迫ってくる金の蛇をにらみつけます。
と、蛇が口を閉じました。フルートの小柄な体がその中に消えていきます。
「フルート!!!」
と仲間たちは叫びました。フルートが金の蛇に食われてしまったのです。
驚いたのはランジュールも同じでした。
「あっれぇぇ! 勇者くんを食べちゃったよぉ!?」
と意外な事態に目を丸くしてあきれています。金の蛇が勝ち誇ったように首を上げます――。
ところが、金の蛇はジャァ! と叫んで、すぐにまた口を開けました。頭を振ってフルートを吐き出します。
フルートは抜き身の剣をしっかり構えていました。全身堅い金のうろこでおおわれている蛇ですが、口の中までは金色になっていないのを見て、剣を口の中に思いきり突き立てたのです。
墜落していくフルートを見て、ルルが叫びました。
「ポチ、拾って!」
ルルよりポチのほうがフルートに近かったのです。ポチは大あわてで飛んでいって、フルートの下に回り込みました。一瞬、風の体を突き抜けてしまうのでは、と心配しましたが、フルートはちゃんとポチの背中で止まりました。フルートがポチの首に手を回して、ぜいぜいと荒い息をします。
「もう、ホントにあきらめが悪いなぁ!」
ランジュールはぷりぷりしながら、今度は赤い頭に攻撃を命じようとしました。地上ではメールとポポロとゼンがひとかたまりになっていました。フノラスドならば一口です。
すると、ポチの上からフルートが叫びました。
「ポポロ、魔法でランジュールをあの世に送れ! 夜明けだ――!」
フルートの言うとおりでした。坂になった道の両脇を挟む山の間から、澄んだ光が伸びて空に広がっていました。暗かった空がどんどん明るくなり、雲が薔薇色(ばらいろ)に輝き始めます。
とたんにポポロの中に魔力があふれ出しました。夜が明けたので、また魔法が使えるようになったのです。とまどうポポロに、フルートがたたみかけます。
「ポポロ、やれ! ランジュールを消滅させるんだ!」
幽霊の青年は、ひゃあ、と飛び上がりました。
「白イチちゃん、白ニィちゃん、お嬢ちゃんを阻止ぃ!」
とユラサイの術を使う蛇たちに命じます。
すると、それを待っていたように、フルートがまた叫びました。
「ルル、白ニィの口に飛び込め! 呪文を唱えさせるな!」
ルルは驚き、次の瞬間にはフルートの作戦を理解しました。激しいつむじ風になって突進すると、白イチが吐いた呪文を読もうと口を開けた白ニィの咽に飛び込んで、そのまま消えていってしまいます。ゼンたちは仰天しました。ルル!? とポチも叫びます。風の犬を呑み込んでしまった白ニィは、呪文を読み上げることができませんでした。光のユラサイ文字が揺らめきながら消えていきます――。
とたんに、フノラスドのすべての頭が首を伸ばし、ジャァァ、ジョァァ、と悲鳴を上げ始めました。巨大な体が空中でごろごろと横転を始めます。
ランジュールやゼンたちがまた驚いていると、その胴から風の犬のルルが飛び出してきました。風の刃でフノラスドの腹を切り裂いて出てきたのです。蛇がまたもだえ苦しみます。
「ワン、ルル、大丈夫ですか!?」
と飛んでいったポチに、ルルが言いました。
「もちろん大丈夫よ。私は風だもの。丈夫なフノラスドも、体の内側からの攻撃には弱かったようね」
それを見抜いて指示を出したのはフルートでした。二匹の犬たちは、思わずフルートを振り向きます。
金の鎧兜の少年は地上を見つめ続けていました。ポポロに向かって繰り返します。
「ランジュールを消すんだ! そうすれば、フノラスドを操る奴がいなくなる! 早く!」
ポポロが泣きそうな顔でうなずきました。片手をランジュールに向けて呪文を唱え始めます。
「ロエキーヨイレウユノイカツ――」
負傷したフノラスドは、まだ傷が治らなくて転げ回っていました。先に金の石に消された頭も、まだ復活していません。
もぉぉ! とランジュールは声を上げました。
「時間がかかりすぎたのが失敗の原因かぁ。撤収ぅ! フーちゃん、逃げるよ! 大至急ぅ――」
声が消えるのと同時に、ランジュールの姿も消えていきました。まだポポロの魔法は発動していません。大あわてでその場から逃げ出したのです。
続けて、フノラスドの巨体も消えていきました。透き通るように見えなくなったと思うと、その後に朝日が差し始めます。山の端から太陽が顔を出していました。すでに夜は明けていましたが、山があった分、太陽が出るまでに少し時間がかかったのです。その時間差が、ランジュールに夜明けの瞬間を見誤らせ、フルートたちに勝機を与えてくれました。
朝の光は戦いの終わった地上を照らしていました。雨に濡れた坂道、黒く焼け焦げた森……その中にゼンとメールとポポロが立ち、空には風の犬のポチとルルがいます。ポチは背中にフルートを乗せています。
すると、フルートの体が急に大きく揺れ出し、前のめりに倒れてしまいました。
「ワン、危ない!」
ポチはとっさに背中でそれを受け止め、ルルは驚いてフルートを呼びました。
「フルート! フルート!?」
少年はポチの背中にぐったりもたれかかったまま、返事をしませんでした。目も開けません。
戦いがすべて終わって、フルートは気を失ってしまったのでした――。