「来たよ!」
ランジュールとフノラスドがこちらに向かって飛んでくるのを見て、メールが叫びました。羽ばたく花鳥に一緒に乗っているのは、弓矢を構えたゼンと、背中に大怪我をしたポチです。
「よぉし、そのまま! まだ進路を変えるなよ――!」
ゼンは花鳥の背に立ったまま弓を引き絞りました。狙いをつけて矢を放ち、またどなります。
「よし、かわせ!」
花鳥が大きく向きを変えてフノラスドから逃げました。後を追ってきた白い蛇の鼻先に矢が深々と刺さって、蛇がジャァァと鳴きます。
「ホントに効いたよ!? 炎の矢じゃなかったのにさ!」
とメールが驚くと、ゼンが言いました。
「あそこは蛇の弱点なんだよ。蛇は目が悪いからな。あそこで獲物の場所を確かめてるんだ――」
話しながらもう次の矢をつがえて、また別の蛇の鼻先へお見舞いします。巨大な蛇も急所に矢を受けると一瞬ひるみました。その間に花鳥が蛇の横をすり抜けます。行く手にはルルに乗ったフルートとポポロが見えていました。そこに向かって急ぎます。
すると、ルルの背中からフルートが叫んできました。
「どうして来たんだ!? 来るな!!」
花鳥の上の一行は、かっとしました。
「馬鹿野郎! おまえだけでフノラスドに勝てるわけがねえんだぞ! 身勝手もいいかげんにしやがれ!」
とゼンがどなると、フルートのほうでもどなり返してきました。
「君たちには関係がない!! ぼくは君たちを覚えていないんだからな!!」
一行は思わず絶句しました。ゼンは歯ぎしりし、メールは涙を浮かべ、ポチは低くうなります。花鳥さえ大きく羽ばたいて空中に停まりました。
彼らは一度はフルートを見限ろうと思ったのです。どんなに想っても、どんなに働きかけても、フルートは自分たちから離れていこうとします。もうあんなヤツは知るもんか、と考えたのですが、ランジュールとフノラスドがフルートの後を追っていくのを見て、やっぱり放ってはおけない、と考え直したのです。急いで追いかけてきたあげくに、またフルートから冷たいことばを投げつけられて、今度こそ本当に怒ってしまいました。馬鹿野郎、フノラスドに食われちまえ! とゼンがどなろうとします――。
すると、フルートの後ろに座っていたポポロが、涙を浮かべてフルートを見上げました。
「何故そんな言い方をするの、フルート……? みんな、あなたを本当に心配しているのよ……」
とたんに、フルートは大きく顔を歪めました。一瞬奥歯をかみしめてから、すぐにまたどなるように言います。
「みんながぼくを助けようとするからだ!」
「助けに来てどうしていけねえんだよ!? てめえだけでフノラスドが倒せるのか!? 強がりもいい加減にしろ!」
とゼンがまたどなると、フルートが言い返しました。
「強がりじゃない! 関係ない奴はさっさと行けよ!」
それを聞いて、ゼンはすさまじい形相(ぎょうそう)になりました。怒りに体が大きく震えます。
「メール、あいつの上に向かえ」
とゼンは言うと、花鳥がルルの上に行った瞬間、フルート目がけて飛び下りて、ぐいと鎧の襟首をひっつかみました。
「強がりじゃねえなら、自信過剰か? てめえ一人でフノラスドに勝つ算段があるっていうなら言ってみろよ。納得できたら、俺たちは帰ってやらぁ」
ゼンの声はひどく低くなっていました。爆発の一歩手前まで来ている証拠です。
すると、フルートはまた顔を歪めました。ゼンに向かって吐き出すように言います。
「算段なんかない。だから逃げろって言ってるんだ! ぼくたちは誰もあの怪物には勝てない! そんな敵に君たちまで巻き添えになる必要なんか、ないじゃないか――!」
ゼンは驚いた表情になりました。フルートの襟首をつかむ力を緩めて顔をのぞき込みます。
「なんだよ、それ? まるで自分だけが犠牲になるみたいな言い方しやがって……」
言いかけて、ゼンは、はっとしました。他の仲間たちも、あっと気がつきます。
そこへフノラスドが黒い頭を突き出してきました。その上にはランジュールが立っていて、腕組みしながら首をかしげます。
「キミたち、さっきからなぁんか変なやりとりをしてるよねぇ。勇者くんが自分を犠牲にして友だちを助けようとするのなんて、昔っからのことだろぉ? どうして今さらそんなに驚くのさぁ?」
ゼンたちはフルートを見つめていました。そうです、そうだったのです。フルートは昔から黙って行動しようとする人物でした。仲間たちには何も言わずに、ただ自分自身へ敵を惹きつける形で皆を守ろうとするのです――。
改めてフルートを見たゼンを、フルートはにらみ返しました。今にも泣き出しそうに見える表情で言います。
「逃げろって言っているんだ。ぼくは君たちを思い出せない。何を聞いたって、どんなにがんばったって、記憶は戻ってこない――。そんなぼくを助けようとする必要なんかないんだよ。こいつの狙いは、ぼくだけだ。君たちまで巻き添えになる必要はないんだ!」
拗ねて自暴自棄になっている声ではありませんでした。フルートは本気で言っているのです。
仲間たちが誰も何も言えずにいると、フルートはふいに立ち上がりました。緩んでいたゼンの手を振り切り、ルルの背を蹴って、ランジュールが立つ黒い蛇の頭に飛び移ります。
「彼らに手を出すな!」
とフルートは叫んで剣を振り上げました。
「彼らは関係ない! 連れていくなら、ぼくだけにしろ――!」
声と同時にランジュールに切りつけますが、剣は幽霊の体を素通りしました。勢いあまったフルートがよろめき、蛇の頭の上に膝をついてしまいます。
すると、ランジュールは、ふわりと宙に浮き上がりました。腕組みしたまま、へぇ、とフルートを見下ろします。
「キミ、今聞き捨てならないことを言ったよねぇ? 仲間たちを思い出せない、記憶が戻ってこないって――。つまり、キミは記憶喪失になってるってことぉ? だから、あんなに逃げ回ってばかりいたのかぁ。炎の剣も金の石もなくて、記憶までなくなっていたら、戦う方法なんて何もないもんねぇ」
話しながら、ランジュールの声は次第に冷ややかになっていきました。目を細め、薄笑いを浮かべながら話し続けます。
「ふぅん、ふぅん、そぉいうことだったのかぁ……。それでいろいろ納得したけどさぁ。ちょっと聞くけど、勇者くん、もしかしてキミ、このボクのことまで忘れちゃってるとか言わないだろうねぇ? キミのことをこぉんなに愛して、世界の果てまで追いかけてる、このボクのことをさぁ――」
フルートは蛇の頭に片膝をついたまま、また剣を構えていました。ランジュールを見上げていますが、ことばでは何も答えません。
ランジュールはたちまち金切り声になりました。
「忘れちゃってるんだぁ! このボクのことを! 愛しいキミと皇太子くんを殺すために、黄泉の門からはるばる戻ってきて、世界中飛び回って、とびきりの魔獣を捕まえて来たっていうのに――そんなボクの努力や愛情まで忘れちゃったっていうんだ! 信じられなぁぁい!!!」
幽霊の青年は怒ってあたりをめちゃくちゃに飛び回り、また戻ってくると、きぃきぃと言いました。
「もぉいい! こんなのは勇者くんなんかじゃないよ! フーちゃんに食べさせる価値もない! 黒イチちゃん、そいつを振り落としちゃえ! 黒ニィちゃん、そいつをかんで真っ二つ! 黒サンちゃんは死体を焼き尽くしちゃえ!!」
先にランジュールから叱られていた怪物は、すぐさま命令に従いました。三つの黒い頭が動き出し、黒イチの蛇がフルートを振り落とします。
「フルート!」
ルルとメールは落ちていくフルートに駆けつけようとしましたが、それより早く黒ニィの頭が襲いかかっていきました。フルートの体にばっくり食いつきます。フルートの下半身が蛇の口に消えたので、少女たちが悲鳴を上げます。
ところが、黒ニィはフルートをかみちぎることができませんでした。巨大な牙はフルートの体をまともにくわえていましたが、魔法の鎧が堅くて、かみ切ることができなかったのです。フルートを口にくわえたまま何度も口を動かしますが、鎧がきしむだけで、やっぱり歯が立ちません。
すると、ランジュールがまた言いました。
「黒ニィちゃん、そいつを投げ捨てろ! 黒サンちゃんは、そいつに破壊の波動!」
黒ニィの蛇はフルートをくわえたまま頭を高く上げ、その高さからフルートを投げ捨てました。ガシャン、と鎧が鳴って、フルートの体が何十メートルも下の地面にたたきつけられます。フルートは地面を転がって血を吐き、そのまま動かなくなりました。魔法の鎧は衝撃を弱めますが、衝撃を完全に消すことはできなかったのです。黒サンの頭がフルートへ首を伸ばして口を開けます――。
ところが、黒サンが吐き出した魔法攻撃は、フルートの直前で飛び散りました。ゼンがフルートの前に飛び下り、両手を広げて守ったのです。その頭上には花鳥に乗ったメールとポチが、フルートの元にはルルに乗ったポポロが飛んできていました。ポポロが犬に戻ったルルと一緒にフルートに駆け寄ります。
「フルート! フルート、しっかり――!」
すると、フルートが目を開けました。唇や鎧は血で染まっていますが、それでも手を上げ、ポポロを押して言います。
「逃げろ……ここから。みんな……早く……!」
とたんにフルートは咳き込み、また血を吐きました。たたきつけられた衝撃で負傷したのです。金の鎧や地面がいっそう紅く染まったので、フルート! とルルが泣き声を上げます。
ふぅん、とランジュールは言いました。
「記憶はなくしていても、言うことはいつもと同じなんだねぇ……。でも、ダメだよぉ。ボクはもう、ものすごぉく怒っちゃったからね。キミも、ドワーフくんたちも、生きて返すつもりなんかないのさぁ。ああ、つまらない! かっこいい勇者くんを美しく殺して、フーちゃんにおいしく食べさせてあげるつもりだったのにぃ――! こんなみっともない連中は見てるのもしゃくに障るから、一気に片づけちゃおう。青ちゃん、こいつらに毒の息を全開ぃ!」
言われて青い頭の蛇が出てきました。フルートやポポロやルル、それを守って立つゼンに向かって口を開け、黄色い霧を吐き出します――。
すると、大量の花が壁のように広がって霧を受け止めました。たちまち花が赤茶色に変わって、雪のように舞い落ちます。
同時に、メールが地面に転がり落ちてきました。その胸には怪我をしたポチを抱いています。メールはとっさに花鳥を壁に変えて、仲間たちを守ったのです。毒は花の壁でさえぎられましたが、同時に花もすっかり枯れてしまいました。もう花鳥は作れません。
「来い、メール! 早く!」
とゼンが両手を広げたまま呼びました。メールとポチが後ろに駆け込むと、いっそう大きく腕を広げます。
「ワン、だめだ……ゼンには毒が防げませんよ」
とポチが言いました。風の犬になって皆を守りたいと思うのですが、怪我がひどくて変身することができません。
すると、フルートがまた言いました。
「逃げろったら……みんな……ルルに乗って……早く」
ことばの間に何度も息をつぎますが、そのたびに、ひゅうひゅうと咽が鳴りました。兜からのぞいている顔は土気色に変わっています。
それを聞きつけて、ランジュールがまた叫びました。
「そんなことはさせないよぉ! 黒サンちゃん、大雨ぇ!」
とたんに黒サンの頭が上を向きました。口から大量の水の粒を吐くと、それが大粒の雨になって地上に降りそそぎ、地上の一行を激しく打ちのめします。
「だめだわ! これじゃ風の犬に変身できない!」
とルルが叫びます。
ポポロは、きっとフノラスドを振り向きました。手を向けて呪文を唱え始めます。
「ヨケサヨツブイーカノ……」
フノラスドを倒す魔法を送りだそうとしたのですが、ランジュールがすかさずまた言いました。
「白イチちゃん、白ニィちゃん、いけぇ!」
二つの白い頭が光のユラサイ文字を吐いて唱えると、ポポロの手元から魔法が弾けて消えました。やはり魔法は効かないのです。
蛇が降らす雨の中、少年少女はひとかたまりになって、幽霊や巨大な蛇の怪物とにらみ合いました。激しい雨音があたりを充たします。
彼らに、蛇を倒す方法は何もありませんでした――。