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第17巻「マモリワスレの戦い」

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35.逃走

 はぁ? と幽霊のランジュールは目を丸くしました。

 フルートが馬を駆って逃げていきます。ヤマタノオロチの姿のフノラスドと戦おうとしません。

 フノラスドはシャァと声を上げました。フルートと戦うように命じられたのは二つの黒い頭です。首を伸ばしてフルートの後を追いかけようとします。

 すると、ランジュールが叫びました。

「待ったぁ、フーちゃん! 停まってぇ!」

 黒い蛇が空中で停まりました。不満そうにシュウシュウ言いながらランジュールを振り向きます。その間にフルートは先へ走りました。下り坂になった道を駆けていきます。

 それを見ながら、ランジュールは言いました。

「これは罠だよ、フーちゃん。勇者くんはこんな場面で逃げ出すような腰抜けじゃないんだ。ぜぇったいに、そのあたりにドワーフくんや魔法使いのお嬢ちゃんが潜んでいるのさぁ。用心しないと」

 フルートを乗せた馬はどんどん道を下っていきます。月もない暗い夜ですが、空をおおうように浮かぶフノラスドが、怪しい光を放っているので、道は昼間のように明るく見えていました。馬とフルートの後ろ姿が遠ざかっていきます。フルートを助ける仲間たちは、いつまでたっても現れません――。

 えぇぇ!? とランジュールはまた声を上げました。

「勇者くん、まさかキミ、本気で逃げてるわけ!? うっそぉ! いつも勇敢なキミが、いったいどうしちゃったのさぁ!?」

 その声はフルートにも聞こえているはずでしたが、フルートは立ち止まりませんでした。馬の腹を蹴って、ひたすら逃げていきます。

 

「黒イチちゃん、黒ニィちゃん!」

 とランジュールは叫びました。

「どぉやら、勇者くんはボクたちを甘く見てるようだから、ちょっと思い知らせてやろう! どっちでもいいから、勇者くんにかみついちゃってぇ!」

 フノラスドは空中を移動し始めました。全長百メートル以上の巨大な蛇です。ちょっと身をくねらせただけで、フルートに追いついていきます。二つの黒い頭は、先を争うように首を伸ばしました。大きな口を開けてフルートに襲いかかろうとします。

 すると、フルートが突然手綱を右へ切りました。たちまち馬が反応して方向を変え、右へ駆けていきます。フルートに食いつこうとした頭が空(くう)をかみ、一瞬遅れてやってきたもう一つの頭にかみつかれて、シャア! と悲鳴を上げました。自分の首をかんでいる頭へ牙をむいて怒ります。

「黒イチちゃんも黒ニィちゃんも! よぉく見て攻撃するんだよ!」

 とランジュールはどなりました。二つの頭はたちまち首をすくめ、他の六つの頭は首をくねらせながら、シュウシュウと笑うような声を上げました。

 黒い二つの頭は、またフルートの後を追いました。どんなにフルートが必死で逃げても、あっという間に追いついて、また襲いかかります。

 フルートは今度は手綱を左に切りました。馬が飛びのくように左へ曲がって、再び蛇の牙をかわします。地面の土を思いきりかんだ二匹の蛇は、鼻先を突き合わせて怒りました。失敗したのはおまえのせいだ、と言い合うように、互いに牙をむいてシャアシャアと鳴きます。

「こらぁ! 喧嘩はダメだって言ってるじゃないかぁ!」

 とランジュールがまたどなりましたが、二匹がやめないので、空を飛んで行って、二匹の頭に次々手を当てていきました。とたんに、どん、どん、と音がして黒い頭が殴られたように吹き飛びます。

 ぐんにゃりと頭を垂れた二匹の前で、ランジュールは腰に手を当てて言いました。

「どっちが先に勇者くんをやってもかまわないんだってばさぁ! キミたちは八つの頭で一匹なんだから! なんべん言ったらわかるのぉ!?」

 黒イチと黒ニィが、シャァと鳴きました。不満そうな声でしたが、ランジュールからにらまれると、すぐにまた頭を低くします。

「もぉいい! キミたちには頼まない!」

 とランジュールはふくれっ面になると、三つ目の黒い頭を振り向きました。

「勇者くんはキミに任せるからねぇ、黒サンちゃん! イチちゃんやニィちゃんみたいに無様な真似をしちゃダメだよぉ!」

 シャァァ、と得意そうな声を上げて三つ目の頭が飛び出していきました。すぐにまたフルートに追いついてしまいます。

 フルートは必死で馬を走らせていました。行く手では地面が下がって崖になっていました。それ以上先へは行けないのですが、それでもフルートは馬を突進させます。

「飛び下りるつもりぃ!? そうはさせないよ、勇者くん!」

 とランジュールが言い、黒サンの頭がフルートへ襲いかかりました。

 フルートはとっさにまた馬の向きを変えました。馬が右へ飛びのき、崖に沿って走っていきます。

 が、その拍子にフルートは手綱を放してしまいました。鞍から転がり落ちて、地面にたたきつけられます。

 ヒヒン! と振り向いた馬へ、フルートは叫びました。

「行け、コリン! ここから逃げろ!」

 馬は主人の下へ駆け戻ろうとしていましたが、迷うように足踏みすると、すぐにまた駆け出しました。夜の中をどこかへ駆け去ってしまいます――。

「絶体ぜつめぇい」

 とランジュールがにやにやしながら言いました。

「ほぉんと、キミったら、どぉして仲間を呼ばないわけ? キミ一人でフーちゃんにかなうはずないんだから、ドワーフくんや魔法使いのお嬢ちゃんたちを呼ばなくちゃいけないのにさぁ。でも、呼ばせてなんかあげないけどねぇ。ドワーフくんたちが来たら、戦いがめんどくさくなるもん。うふふふ……」

 嬉しそうに殺気を募らせながら、ランジュールは言いました。フルートの前で牙をむいている蛇へ命じます。

「さあ、黒サンちゃん! 勇者くんを食べちゃえ!」

 三つ目の黒い頭がフルートに襲いかかっていきます――。

 

 すると、フルートが動きました。地面に倒れたまま地面を蹴って転がります。その先にあったのは崖でした。地面が崩れる音と一緒に、フルートの体が崖の下へ消えていきます。

 しまったぁ! とランジュールは言いました。

「勇者くんったら、衝撃に強い魔法の鎧を着ていたんだっけ! 崖から落ちても平気なんだぁ! フーちゃん、追いかけて! 逃がしちゃダメだよぉ!」

 そこで大蛇は崖の下へと降りていきました。空で巨大な体の向きを変え、八本の首を伸ばして地上を見下ろします。それに続いたランジュールは、あれぇ、とまた言いました。崖はせいぜい三メートルほどの高さで、その下は一面の綿花畑になっていました。収穫が終わった綿の木が、風に乾いた音をたてていますが、その中にフルートの姿は見当たらなかったのです。

「隠れてるね、勇者くん。ますます男らしくないなぁ。黒サンちゃん、ちょっとこの辺を焼き払っちゃってよ」

 ランジュールの命令で黒サンの蛇が口を開けました。すさまじい炎を吐いて、あっという間にあたりを火の海にしてしまいます。火は綿花畑を焼き尽くして、すぐに消えました。段々畑になっているので、畑一枚を焼いてしまえば、他に燃え広がることはできなかったのです。

 焼けて黒こげになった畑の上で、ランジュールはまた首をひねりました。

「おかしいなぁ。やっぱり勇者くんが見当たらないよぉ? 勇者くんが着ている鎧は火にも強いから、このくらいの炎で焼け死ぬわけはないんだけど、それにしたって、姿が見えるようになっていいはずなんだけどなぁ……。フーちゃん、勇者くんは見つからない?」

 大蛇は空から四方八方へ首を伸ばして、くすぶっている熱い灰の中にフルートを探していましたが、ランジュールに聞かれていっせいに首を振りました。ランジュールは腕組みして考え込みました。

「たったあれだけの時間で別の場所へ逃げられるはずはないんだから、きっと、ここのどこかに隠れているんだよねぇ。フーちゃんは大きすぎるから、小さい勇者くんを見つけられないのかなぁ? だとすると――うん、彼らの出番だな。おいでぇ、闇のお友だちぃ! いいことを教えてあげるよぉ!」

 すると、呼びかけに応えて、怪物がぞろぞろと現れ始めました。獣や鳥、虫、人などに似ていますが、それをもっとグロテスクにした姿をしています。闇の怪物たちでした。ギギギ、ヒヒヒィ、と気味の悪い声が焼け跡にひしめきます。

 

 闇の怪物の集団の前に舞い下りて、ランジュールは言いました。

「よぉこそぉ、闇の皆さん。みんな、このあたりに棲む闇の怪物だよね? あのねぇ、この近くに金の石の勇者がいるんだよぉ。そう、あの有名な願い石を持っているヒト――。見つけ出して食べれば、願い石はキミたちのものになるかもしれないよ。早い者勝ちだから、急いで見つけたほうがいいと思うんだよねぇ」

 金の石の勇者! と闇の怪物たちはいっせいに言いました。その体の中にどんな願いでもかなえる願い石を持っていることで有名な人間です。一刻も早く見つけ出そうと、たちまち周囲に散っていきます。

 すると、ランジュールは言い続けました。

「金の石の勇者の見つけ方は知ってるよねぇ? キミたち闇の怪物には、ものすごく明るい金色の光が見えているだろ? 光を出しているのが、金の石の勇者。光の元を探せば、そこに勇者がいるのさぁ。うふふ」

 ところが、闇の怪物たちがとまどったように立ち止まりました。

「金色ノ光? そんなものハ、どこにも見えナイぞ」

「アタリはオレたちの好きナ闇。金の光なんて、ドコにもない」

「金ノ石ノ勇者はどこにいるんダ?」

 闇の怪物独特の抑揚で、ランジュールへ口々に言います。

 えぇ!? とランジュールはまた驚きました。金の石の勇者のフルートは、その存在を証明するように、いつも聖なる金の輝きを放っています。それは人には見えない光ですが、象徴を読む占い師や闇の怪物たちの目には、はっきりと映ります。だからこそ、ランジュールはここに闇の怪物たちを呼びだしたのですが……。

「勇者くんの象徴の光は、勇者くんが隠れていたって見えるんだよぉ? それなのに、光が見えないわけぇ?」

「見えナイ! 金ノ石の勇者はドコにいる!? 願い石はドコだ!?」

 と怪物たちが騒ぎます。ランジュールはますます首をかしげました。

「おっかしぃなぁ……。勇者くんの金の石は確かに眠っていたんだよねぇ? 勇者くんを隠して守ることはできないから、闇のお友だちを呼んだのに。どぉいうことだろ?」

 いくら不思議がっても理由はわかりません。怪物たちがますます騒ぐので、しかたなくランジュールは言いました。

「とにかく、探してごらんよぉ。勇者を一番最初に見つけたヒトが、願い石を手に入れられるんだからね。さあ、急いだ急いだ。早くしないと他のヒトに願い石を取られちゃうよぉ」

 あおられて、闇の怪物たちはあわてて周囲へ散っていきました。燃えた畑だけでなく、崖の上や畑の下にも探しに行きます。翼を持つ怪物は舞い上がって空から探します。

「これだけいれば、勇者くんだって見つかるだろ。そしたら、フーちゃんの出番だよ。いい? 遠慮しないで、闇のお友だちごと食べちゃってかまわないからねぇ、うふふふ」

 自分の魔獣には残酷な本性をのぞかせて、ランジュールは笑いました。シャア、とフノラスドが応えます――。

 

 焼けて黒こげになった綿の木が並ぶ畑の片隅に、畑から出てきた岩が捨てられている場所がありました。大小様々ですが、一番大きな岩は人の背丈ほどもあります。その岩陰にフルートは隠れていました。ランジュールが予想していたとおり、崖から落ちても火を放たれても、魔法の鎧に守られていたのです。

 空にはランジュールやフノラスドが浮かんでいるし、畑には闇の怪物がうろついているので、フルートはその場所から逃げられなくなっていました。隠れている場所から手を伸ばして、くすぶっている枝の燃えかすを引き寄せ、岩陰の隙間を隠します。怪物たちは何度もフルートの近くや上を通り過ぎていきましたが、そこにフルートがいることには気づきませんでした。岩が崖と一体になって見えたうえに、煙を上げる綿の木におおわれていたので、そこに人間が隠れているとは思わなかったのです。

 岩の外を殺気が何度も通っていくのを感じながら、フルートはじっと身を潜めいてました。早く立ち去れ、と心で念じながら、脱出のチャンスを待ち続けます。何か怪物やランジュールたちの気を引くようなことが起きれば、フルートもこの場所から逃げ出せるのですが、なかなかそんな状況にはなりません。

 すると、フルートの耳に突然ポポロの声が聞こえてきました。

「フルート! フルート、どこにいるの――!?」

 フルートは、ぎょっとしました。呼び声は頭の中に聞こえてきたのではありません。フルートが出てきた町の方角から、本物の声で伝わってくるのです。

 続けてメールやゼンの声も聞こえてきました。

「フルート、どこにいるのさ!? 返事をしなよ!」

「おい、フルート! さっさとこっちに来い!」

 ワンワンワン、と犬たちの声も響いてきます。

「やっほう! やぁっぱりドワーフくんたちが来たよ! こう来なくっちゃねぇ!」

 とランジュールの喜ぶ声が上空から聞こえました。フノラスドを引き連れて離れていく気配がします。ゼンたちのほうへ向かっていったのです。つられて他の怪物たちもそちらへ移動を始めます。

 フルートは隠れ家で青ざめました。フルートを捜しにきたゼンたちが、ランジュールたちに見つかってしまったのです。

「フルート!!」

 仲間たちの呼び声は、まっすぐこちらへ近づいていました――。

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