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第17巻「マモリワスレの戦い」

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30.草原

 水牛の怪物から逃れたフルートやゼンたちは、北東へ進み続けて、いつの間にかジャングルを抜けていました。木がまばらになり、やがて茶色く枯れた草原に変わります。

 黒馬に乗っていたゼンが、草原の向こうに連なるなだらかな山を示して言いました。

「あれがカルドラ国の国境の山だな。方向から見て、たぶん間違いねえ。あれを越えればカルドラだ」

「ワン、ここまでランジュールに見つからずに進めて良かったですね。フノラスドが現れるんじゃないかと思って、ずっとはらはらしてましたよ」

 とゼンの馬の足元からポチが言うと、反対側の足元からルルも言いました。

「ジャングルでは夜にばかり歩いてきたから、なかなか進めなかったものね。もう昼間に旅をしてもかまわないわけ?」

「たぶんな。ポポロもランジュールたちは追いかけてきてねえようだ、って言ってる。もう大丈夫だろう」

 とゼンは答えると、自分のすぐ後ろにいたフルートを振り向いて言いました。

「昨夜も話したとおり、俺たちはこの後、あの山を越えてカルドラ国に入る。で、船に乗ってメイ国に渡って、そこからロムド城に向かう予定だ。ロムド城にいる赤の魔法使いだけが、おまえにかけられた魔法を解けるんだよ」

 すると、自分の馬に乗っていたフルートが答えました。

「例のマモリワスレの術かい? まあ、君たち全員が口を揃えて言うんだから、ぼくは本当にその魔法にかかっているだろうけどね――正直、実感がないんだな。君たちが聞かせてくれたぼくの話も、なんだかまったく知らない人のことみたいだ。本当だったら、少しくらい思い当たることや、なんとなく納得することがあってもいいような気がするのにね。元に戻すと言われても、全然ぴんと来ないよ」

「馬鹿野郎。じゃあ、そのままでいいっていいのか? 何もかも忘れちまってる状態なのによ」

 とゼンが顔をしかめると、フルートは言い返しました。

「不便は感じないよ。忘れていると言っても、生活のしかたや戦い方は覚えている。ただ、自分が誰かってことと、君たちのことを思い出せないだけだ。そんなに深刻なことじゃないよ」

「それのどこが深刻じゃねえって言うんだ!? ったく、徹底的に敵の罠にはまりやがって!」

 とゼンはわめきました。記憶をなくしているフルートが、妙にのんびりして見えるので、いっそう腹立たしく感じます。

 すると、足元からポチが尋ねました。

「ワン、フルート、お父さんやお母さんのことは覚えていますか? シルの町のことや、ゴーリスや、ジャックたちのことは?」

 さすがのフルートも、もうポチが話しても驚かなくなっていました。肩をすくめて言います。

「覚えていない。人に関する記憶はまったくないな。ぼくがどうしてあの山の頂上にいたのか、そのいきさつも覚えていない。気がついたときには、ゼンに襲われていたんだ」

「襲ったんじゃねえ! 心配してたんだ!!」

 とゼンがまたわめき、仲間たちは思わず溜息をつきました。本当に深刻な状況なのですが、当のフルートだけは平然と馬を進めています――。

 

 その日一日旅をしても、一行は国境の山にたどり着けませんでした。日暮れが近づいてきたので、彼らは草原の中で野宿することにしました。枯れ草や枯れ枝を集めて火を起こし、ポチとルルが捕まえてきた野ウサギを料理して食べます。

 食事が終わると、フルートは真っ先に横になりました。そのまま、すぐに眠ってしまったので、ちぇ、とゼンは舌打ちしました。

「以前のフルートなら、あたりの安全をしっかり確認するまで絶対に寝なかったのによ。夜の見張りに立つ気も全然ねえんだから、リーダーの自覚まるっきりなしだな」

 すると、フルートの寝顔を見ながらメールが言いました。

「ずいぶん疲れてるみたいだよねぇ。平気そうな顔はしてるけど、夕方にはへとへとになってるもんね。だからすぐ寝ちゃうんだよ。これもマモリワスレの術のせいなのかな?」

 眠っているフルートは、確かに疲れた顔をしていました。すぐそばでゼンたちが話しているのに、まったく目を覚ましません。すると、ポポロが言いました。

「フルートがペンダントのことも忘れてしまったからだと思うわ……。あのペンダントは泉の長老が魔法で作ってくれたものだから、魔の森とつながっていて、あそこから森の力がフルートに送り込まれていたのよ。だからフルートは疲れにくかったんだけど、今はもうその力がフルートに送られなくなっているの。きっと、フルートが泉の長老のことも忘れてしまったからなのね……」

 うぅん、と一同はうなりました。フルートのペンダントは鎧の外に引き出してあったので、彼らの目にもよく見えましたが、その真ん中の魔石は灰色の石ころになっていました。金の石も忘れられて力を失い、眠りについてしまっているのです。金の石の精霊を呼び出して相談することもできません。

 

 ルルが溜息まじりで言いました。

「マモリワスレ、って言うけれど、忘れているのは守ることだけじゃないわよね。人も場所も経験してきたことも、すっかり全部忘れちゃっているんですもの。ほんとに厄介な魔法だわ」

 すると、ポチが考えながら言いました。

「ワン、フルートは人や経験を忘れてしまったから、守ることも忘れたのかもしれない……。ほら、フルートって、自分と関わった人をすごく一生懸命守ろうとするじゃないですか。金の石を手に入れたのだって、本当は怪我をしたお父さんを助けるためで、最初から世界中の人を闇から守ろうと思ってたわけじゃなかったんだし。ただ、その後、体が弱かったお母さんを金の石で治せなかったときに、お母さんから、世界中の困ってる人を助けるために金の石を使いなさい、って言われたから、金の石の勇者になったんです。そのお父さんやお母さんを忘れてしまったから、人を守ることも忘れちゃったのかもしれないな……」

 話しながら、小犬は悲しげな様子になっていきました。隣に座っていたルルが、ぺろぺろとその顔をなめてやります。

 すると、ポポロが言いました。

「確かにフルートはいろんな経験をして今のフルートになっているけど、それをすっかり忘れても、大元のものはなくしていない気がするわ……。フルートは優しいの。本当に、誰よりも優しいの。それは記憶がなくなっていても、きっと変わっていないと思うのよ……」

 ポポロは眠るフルートの隣に座っていました。仲間たちはなんとなくフルートから距離を置いて眺めているのですが、ポポロだけは以前と同じように、ずっとフルートのそばにいたのです。

 ゼンが渋い顔のまま首を振りました。

「確かにフルートは俺たちを助けに来てくれたけどよ、どうも、こいつの様子を見てると、そうは思えなくなるんだよな。あれだけ俺たちのことを話して聞かせたのに、やっぱりよそよそしくて、取っつきにくくてよ。どうも冷たい感じがするぜ」

「マモリワスレの術は、フルートに優しさまで忘れさせちゃったのかもねぇ」

 とメールも溜息をつきます。

 いくら話をしても事態は変わりませんでした。フルートを元に戻すには、赤の魔法使いのいるロムド城へ行くしかないのです。彼らは横になって寝ることにしました。ゼンだけが起きて見張りをします――。

 

 次の朝早く、ポポロは目を覚ましました。あたりは明るくなっていましたが、仲間たちはまだ寝ていました。ゼンもポチもルルも――。メールは火のそばに座って眠っていました。深夜にゼンと見張りを交代したメールですが、フルートが抜けて見張る時間が長くなっていたので、明け方になって、つい居眠りしてしまったのです。朝靄の漂う草原に、敵や危険の気配はありませんでした。目を覚ました鳥があちこちでさえずっているだけです。

 寝返りを打ってフルートのほうへ向き直ったポポロは、とたんに跳ね起きました。またフルートが消えていたのです。草の上にフルートが寝ていた痕はありますが、姿が見当たりません。けれども、今度はフルートの馬は他の馬たちと一緒にいました。ポポロはどきどきと早打つ胸を懸命に押さえました。大丈夫、フルートはちょっと散歩に出ただけよ、すぐ近くにいるはずだわ……そんなふうに自分に言い聞かせながら、魔法使いの目を使います。

 フルートはすぐに見つかりました。少し離れた場所を流れる川で顔を洗っていたのです。川が低い位置にあったので、ポポロがいるところから見えなかっただけでした。顔を洗い終わったフルートが、兜を抱えて立ち上がります――。

 

 すると、フルートが視線を川の向こうへ向けました。首をかしげて、何かを探すように向こう岸に目を凝らします。やがて、フルートは川の中に入っていきました。膝のあたりまで水に浸かりながら対岸に渡り、川岸の草むらでまた何かを探します。フルートが草の中から拾い上げたのは、一羽の鳥の雛(ひな)でした。まだうぶ毛が残る小さな体で、くちばしを開けてしきりに親を呼んでいます。フルートはその声を聞きつけたのでした。

 フルートのかたわらには高い木がありました。中ほどの枝の上に鳥の巣がありますが、親鳥の姿は見当たりません。親の帰りを待つうちに、巣から転がり落ちてしまったのでしょう。フルートはその木を見上げていましたが、やがて、勢いをつけて幹に飛びつくと、枝をつかんで登り出しました。雛を巣に帰そうというのです。

 それを見ていたポポロの目から、涙があふれ出しました。いつか夢に見た場面を思い出します。夢の中のフルートは、落ちた卵を戻すために木に登っていました。今、ここにいるフルートも、雛を戻すために木を登っていきます。左手に雛を大切に抱え、右手と両脚だけで苦労しながら巣に向かっていく様子は、本当に夢とそっくりです――。

 雛を無事巣に戻したフルートが、雛に何かを話しかけました。その声はポポロには聞こえませんが、口の動きから、何と言っているのかわかります。

「もう落ちるなよ」

 とフルートは言っていました。それがまた夢と重なって、ポポロの涙が止まらなくなります――。

 

 やがて、フルートが川岸から宿営地に戻ってきました。その気配でメールが目を覚まして尋ねます。

「何してきたのさ、フルート?」

「別に。川で顔を洗ってきただけだよ」

 とフルートはそっけなく答えると、あとはメールを無視して自分の馬のところへ行きました。荷物から携帯食料を取りだして食べ始めます。

 もう、なにさ! とメールはふくれっ面になりましたが、ふとポポロに気がついて言いました。

「あれ、なんで泣いてるのさ? 嫌な夢でも見たのかい?」

 ううん、とポポロは首を振りました。それ以上は何も言えません。ただ泣きながら心の中で繰り返します。

 フルートはやっぱりフルートよ……優しくて強い、あのフルートなのよ……と。

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