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第17巻「マモリワスレの戦い」

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28.二人の王

 そこはミコン山脈の南側に広がる王国サータマン――。

 サータマン城の奥まった一室で、王は金と黒檀(こくたん)でできた椅子に腰を下ろし、壁に掛けられた中央大陸の地図を眺めていました。

 サータマン王は恰幅の良い人物でした。はち切れそうな体を豪華な衣装で包み、指という指には大きな宝石がついた指輪をはめています。その手で半ば白くなった茶色のひげをなでながら、ひとりごとを言います。

「テト国のガウス候がアキリー女王に敗れたのは、まったく予想外だった。テトを我が国の従国に囲い込んで、こちらの勢力を確保しておくつもりが、逆にテトをロムドに奪われる羽目になってしまった。アキリー女王はロムドと同盟を結んだ。半年前にはメイ国もロムドと同盟を結んでいる。我が国は北だけでなく、西も東も、ロムドに囲まれたことになるな」

 同じ部屋の中には王を守る兵士たちが何人も詰めていました。それぞれの持ち場で油断なく立ち続けていますが、王の言うことには返事をしません。王のほうでもそんなものは期待していませんでした。地図を見ながら自分自身に話し続けます。

「ロムド王は油断がならん……。世間の連中は賢王などと呼んで誉めそやすが、あの男の本当の目的は、世界中をロムドの名の下に統一して、巨大な玉座に座ることだ。そのための計画を、善人面の陰で着々と進めている。エスタ、ザカラス、メイ、テトがあの男の手に落ちた。あのいまいましい異教徒どもが居座るミコンも、ロムドに全面協力を申し出たという。次にロムドが食指を動かすのはどの国だ。カナスカか、カルドラか、南西諸国か、それとも、エスタの東隣のクアローか……」

 人は往々にして自分と同じ価値観で他人を評価します。世界の国々を自国の領土にして王になりたい、と考えていたのは、サータマン王自身でした。自分自身の野望がそうなので、ロムド王も同じことを望んでいるのだと信じて疑わないのです。

「このままでは、遅かれ早かれロムドは我が国にも攻め込んでくる。我がサータマンは地上から消滅するだろう。そんなことはさせんぞ、ロムド王。同盟を揺すぶり、おまえを倒して必ずロムドを滅ぼしてやる。おまえさえいなくなれば、同盟が散り散りになっていくことはわかっているのだ」

 サータマン王はロムド王より五つ年下でした。ロムド王に対する敵対心も相当強力に存在しています。

 

 すると、王の部屋を守っていた兵士たちが突然ばたばたと倒れ始めました。鎧兜を着たまま、武器を握ったまま、一人残らず床の上で動かなくなります。サータマン王が驚いて椅子から腰を浮かすと、黒い影が部屋の中央に現れました。寄り集まり、形になって王に話しかけてきます。

「久シブリダナ、さーたまん王。八ヶ月前ノじたん山脈攻略戦以来カ――」

 それはカラスほどの大きさの竜の影でした。影を落とす実態は部屋の中にありません。コウモリのような四枚の翼を打ち合わせると、ばっさばっさと意外なほど大きな音が部屋に響きます。

「デビルドラゴン!」

 とサータマン王は声を上げ、すぐに納得して倒れている兵士を見回しました。

「これはおまえのしわざか。まさか殺したのではあるまいな。我が国でも生え抜きの兵士たちなのだぞ」

「死ンデハイナイ。王ノモトヘ現レルタメニ、生気ヲイクラカ頂イタダケダ」

 と影の竜は答えました。影は部屋の中央を飛んでいるのに、声は深い地の底から響いてくるようです。

 ふん、とサータマン王は言って、椅子に座り直しました。目の前にいるのは世界中の悪の権化の竜ですが、恐れる様子もなく言います。

「なんの用だ、デビルドラゴン。おまえはわしに闇の石をよこしたが、それを使って何度攻めても、ロムドを陥落させることはできなかった。ジタン山脈は相変わらずロムドの手にあるし、あの男は着々と他国に勢力を広げている。おまえに頼んだところで、ロムドを倒すことなどできないことはわかった。さっさとわしの前から立ち去るがいい」

「我ガ与エタモノハ、真ノ闇。使イコナセルカドウカハ、使ウ人間ノ力量ニカカッテイタ」

 とデビルドラゴンが答えました。サータマン王の悪口にもまったく動じていません。

「我々の使い方が悪かったのだと言うのか、闇の竜。では、わしのかわいい甥のジ・ナハがジタンで死んだのも、我々のせいか。ジ・ナハは我が国の総司令官になっていくはずの男だった。あれが生きていれば、ユラサイの皇帝が裏竜仙郷を攻めたときに、援軍を率いていって裏竜仙郷を守ることができたのだ。おかげで我々は裏竜仙郷から飛竜を補充することもできなくなったのだぞ」

 と王が文句を言い続けると、竜は冷ややかに言いました。

「オマエノ甥ヲ殺シ、ゆらさいノ皇帝ノ命ヲ守ッタノハ、金ノ石ノ勇者ダ。アノ小僧ハイツモ我々ノ行ク手ニ立チフサガリ、我々ノ邪魔ヲシテイル」

「ロムド王の子飼いの小僧か。正義の勇者だなどと、片腹痛いことを言いおって――! 何故あんな子ども一人を倒すことができんのだ? おまえは絶対の力を持つ闇の怪物なのだろう!」

 

 すると、デビルドラゴンは、ばさりと影の翼を打ち合わせました。ほくそ笑むような声で答えます。

「金ノ石ノ勇者ハ、スデニ失ワレテイル。アノ小僧ハ、コノ世界カラ消エタノダ」

「消えた?」

 サータマン王は驚きました。デビルドラゴンを見直しますが、竜は完全な影の存在なので、その表情を確かめることはできません。竜が本当のことを言っているのか何かの比喩を言っているのか判断しかねていると、竜が重ねて言いました。

「ヤツハ我ノ罠ニカカッテ失ワレタ。闇ヲ破ル光ノ勇者ハイナクナッタノダ。我ハソレヲオマエニ伝エニ来タ。コノ状況ヲドウ使ウカハ、オマエ次第ダ」

 ほう、とサータマン王は言いました。デビルドラゴンが真実を言っていると判断したのです。すかさず頭の中で考えをめぐらし、宝石の指輪をはめた手を竜へ差し出します。

「では、あの闇の石をもう一度わしによこせ。今度こそ闇の軍団でロムドを攻め落としてみせるぞ。ロムド王の首をサータマンの神殿の柱に飾ってやる!」

 ばさり、と竜はまた羽ばたきました。逆に遠ざかって言います。

「オマエハ一度ソノ戦イニ敗レタ。二度同ジチカラヲ貸スコトハデキナイ。コレハ契約ダ。我ハオマエニ情報ヲ与エタ。ソレヲ使エ、さーたまん王――」

 影の竜が揺らいで薄れ始めました。それでも翼が打ち合う音は部屋に響いていましたが、竜が完全に姿を消すと、羽ばたきの音も消えてしまいました。静かになった部屋にサータマン王だけが残されます。

 王は金と黒檀の椅子に深く座り直しました。両手の指を組み、しばらく考えてから、またつぶやきます。

「金の石の勇者がいなくなった……。生きているのか死んだのか、そこはわからんが、とにかく邪魔者が一人減ったと言うことだ。これはロムドを攻める機会がまた巡ってきたかもしれんな……」

 けれども、サータマン王は性急に出撃を決めることはしませんでした。サータマンはすでにロムド国に二度、手痛い敗北を味わっていて、その賠償交渉の真っ最中です。本気で賠償などする気はありませんでしたが、それにしても慎重に動かなければならない状況でした。

「何かもうひとつ、攻めるのに都合の良い兆しが見つかれば、兵を動かすのだがな」

 とサータマン王は言いました。相変わらず椅子に座ったままです。

 王の部屋の中で、気を失っていた兵たちが正気に返って立ち上がり始めました――。

 

 

 そして、ここはサータマン国からはるか北東の方角にある、クアロー国の王の城。

 愛妾たちを引き連れて中庭を散歩していたクアロー王のもとへ、一人の青年がやってきました。女と見間違えそうなほど色白で華奢な男でした。愛妾たちを追い越すと、媚びるようなしぐさと表情で王にすり寄っていきます。

「陛下、二人だけでお話がしとうございます――」

 話しかける声にも独特の艶があります。クアロー王は目を細めて笑うと、青年の肩を抱いて愛妾たちを追い払いました。

「さあ、おまえたち、散歩はもう終わりだ。後宮に戻るがいい」

 女たちはふくれっ面になりましたが、相手は王の一番お気に入りの愛人なので、文句も言えずに引き下がりました。王と青年が中庭に二人きりになります。

 すると、青年が王の首に腕を絡めました。王のほうでも青年に腕を回します。クアロー王は四十を過ぎたばかりの、がっしりした体格の人物でした。たくましい腕で、女を抱くように青年を抱き寄せます。そのまま二人は顔を近づけ合い――

 

 青年が王の耳にささやきました。

「国内を馬車で通過中のエスタの使者を調べました」

「例のエスタ国王の通行証を持っていた連中だな。正体はわかったか」

 と王が言います。二人の声に先ほどの甘い響きは微塵(みじん)もありませんでした。人のいない中庭で、さらに用心するようにひそひそと話し合います。

「エスタ王の命令で東方諸国へ向かっていると通行証にはありましたが、腑に落ちない点が多々あったので、それとなく監視をつけておいたところ、ヤガの森で襲ってきた山賊を逆襲して、壊滅状態に追い込みました」

「ヤガの山賊を? 我が軍でも手に負えない、名うての悪党どもだったはずだぞ。いったい何者なのだ?」

 と王が驚いて聞き返すと、青年は長いまつげの下から王を見上げました。秋波(しゅうは)を送る目をしながら、口ではまったく別のことを話し続けます。

「生き残りの山賊を締め上げたところ、使者たちの風貌を白状しました。若い男が二人と若い女が一人なのですが、一人があのロムドの占者にそっくりなのです。残る二人も、話を聞くと、どうもロムド国の皇太子とその婚約者に酷似しているように思われます。ロムドの皇太子と婚約者は、先日エスタ国を表敬訪問していて、エスタ王とも親交があります。おそらく、本当にロムドの皇太子の一行ではないかと――」

 この青年はクアロー王直属の間者でした。王の愛人のふりをしながら、こうしてこっそり国内外の情報を王に伝えているのです。

 

 ふむ、とクアロー王は言いました。青年をいっそう強く抱きしめ、おおいかぶさるようにしながら話し続けます。

「これは面白いことになってきた……。我がクアローはずっとエスタに服従を続けてきたが、心まで服従していたわけではない。従順なふりをしながら、エスタを倒して天下を取る機会を狙い続けていたのだ。ロムドがエスタやザカラスと同盟を結んだために、サータマン国の王がかなり焦り始めている。ロムドの占者を殺し、皇太子とその婚約者を人質にすれば、サータマンの協力を取りつけることができるぞ」

「わかりました。さっそく襲撃命令を出しましょう。早くしなければ、彼らは我が国を抜けてしまいます」

 と青年が言いました。水色の瞳を冷ややかに光らせています。

 すると、クアロー王は、いいや、と言いました。

「我が国の中で襲撃すれば、エスタから糾弾(きゅうだん)される。ロムドの皇太子たちの行く先はユラサイだ。いよいよ東方に進出しようとしているのに違いない。ユラサイへ行くにはあの大砂漠を越えるのだから、そこで襲撃するのだ。砂漠に人目はない。ロムドの皇太子と婚約者は捕獲して、占者は砂漠に埋めろ。じきに白骨死体になって、どこの誰とも見分けがつかなくなる」

「御意。陛下の仰せの通りにいたします」

 間者の青年は怪しくほほえむと、王から離れて足早に中庭を出ていきました――。

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