「ポポロは確かにすごい魔力があるけれど、一日二回使ってしまったら、後はもう魔法で自分を守ることはできないからね。これは肌身離さずいつも持っていたほうがいいと思うな」
テトの国を出発して間もなく、ポポロにそんなふうに話したのはフルートでした。彼らの目の前には、ヒムカシの国でポポロがオシラからもらった肩掛けがありました。空気のように軽くて柔らかな薄絹でできています。
「そうね。魔法の肩掛けだから、どこかに飛ばされたりすると、またポポロのところに戻ってくるけど、ポポロが呼べば飛んできてくれるわけじゃないから、いつも手元に置いておくほうがいいわね」
とルルも言うと、メールが首をひねりました。
「でも、どうやって持って歩くわけ? いつも肩にかけていたら、ポポロが見えなくなっちゃって不便じゃないのさ」
「ワン、こんなに薄いから、破れるかもしれないですしね」
とポチも心配します。
ポポロは困って首をかしげてしまいました。以前はいつも荷物の入った鞄を肩から下げていたので、肩掛けもそこにしまっていたのですが、今は馬を使っているので、鞄は馬につけてあります。肩掛けを持ち歩こうにも、ポポロは適当な入れ物を持っていなかったのです。
すると、フルートが自分の後ろに隠していたものを取り出して見せました。
「だからさ――これを買っておいたんだよ。マヴィカレの市場でね。たためば肩掛けは入るはずだし、小さいから旅の邪魔にもならないと思うんだ」
それは革でできた小さな鞄でした。長い紐がついていて、肩から下げられるようになっています。
たちまちゼンが声を上げました。
「こンの野郎! 準備してあったんなら、さっさと出しゃいいだろうが! もったいぶりやがって!」
「へぇ、いい品物じゃないのさ。けっこう高かったんじゃないのかい?」
「ワン、いつの間にこんなのを買っていたんです? 全然気がつかなかったなぁ」
とメールとポチも言います。
ルルは、鞄の蓋に緑色の飾り石がついているのを見つけて、ふさふさの尻尾を振りました。
「あら、この石、ポポロの目の色と同じじゃない。合わせて選んだのね。とても綺麗だわ」
とたんにメールは、ひゅうと口笛を吹き鳴らし、ゼンは笑いながらフルートの頭を抑え込みました。
「この色男め! 気配り完璧じゃねえか! これでポポロのハートをがっちりつかもうって作戦か?」
「作戦ってなんだよ!? ぼくはただ、どうせならポポロに似合うもののほうがいいだろうって思っただけで――」
むきになって言い返すフルートの横で、ポチが言いました。
「ワン、よかったですねぇ、ポポロ。優しい恋人から素敵なプレゼントをもらえて。お礼は甘いキスかな?」
こちらも二人をからかっています。
ポポロは肩掛けと鞄を抱いたまま真っ赤になっていました。同じくらい赤い顔をしたフルートが、いいかげんにしろ! と仲間たちへどなります――。
ジャングルの中でポポロが開けた鞄は、その時にフルートからもらったものでした。中には小さく折りたたまれた魔法の肩掛けが入っています。
急いでそれを広げながら、ポポロは言いました。
「音を立てないでね、フルート」
肩掛けをはおったとたん、ポポロが消えてしまったので、フルートはびっくりしました。どんなに目を凝らしても、ポポロの姿は見えません。
と、フルートの腕が、ぐいと誰かに引っぱられました。前のめりになってよろめくと、柔らかいものがフルートを受け止めます。とたんにまたポポロが見えるようになりました。フルートの腕を引いたのは彼女でした。薄絹の肩掛けを絡めた両腕で、守るようにフルートを抱きしめています。
フルートは目をぱちくりさせると、あわてて立ち上がろうとしました。
「な、何をするんだ――!?」
しっ、とポポロは鋭く言って、いっそう強くフルートを抱きしめました。ささやく声で話しかけてきます。
「お願い、声は出さないで……。これは姿隠しの薄絹なの。あたしから離れずにいれば、敵には見つからなくなるわ。じっとしていてね……」
ポポロはフルートに頬を寄せ、華奢な腕を精一杯、彼の体に伸ばしていました。我知らず、フルートの顔が赤くなります。
一方、ポポロは魔法使いの目で透視を続けていました。駆けていった馬に気を取られた怪物が、またこちらを向いてました。先ほどのフルートの声を聞きつけていたのです。重い蹄を地面にめり込ませながら、ゆっくりとこちらへ歩き出します。
ぼう、ぼう、という怪物の鼻音が近づいてきたので、フルートも緊張しました。音のするほうを鋭くにらみます。ポポロもきゅっと唇を結んで、そちらを見ました。あまり真剣になっていたので、泣くことなど忘れていました――。
ずしん、と足音を響かせて怪物が姿を現しました。象ほどの大きさもある、巨大な水牛です。太い二本の角が頭の両側に突き出し、鼻の穴からは白い煙を吐き続けています。角と鼻の穴の間に目はありませんが、怪物は目が見えているようでした。見回すように頭を振り、木立をよけて歩いてきます。
怪物が隠れている二人のほうへやってくるので、フルートはまた顔色を変えました。自分の姿が見えているんじゃないか、と考えたのです。ポポロの腕の中でもがいて立ち上がろうとしたので、ポポロは必死で引き止めました。危険を承知でまたささやきます。
「落ち着いて、フルート。大丈夫よ……」
とたんに怪物が耳を動かしてこちらを見ました。ポポロの声を聞きつけたのです。ぼう、と鼻を鳴らして、まっすぐこちらへ向かってきます。
フルートはあわてて動きを止めました。そんな彼をポポロが抱きしめ直します。その拍子にフルートの頭がポポロの胸に押し当てられました。ポポロはフルートを抱きながら震えていました。兜越しに、今にも破裂しそうな心臓の音が聞こえてきます。フルートは驚いた表情になりました。思わず、迫ってくる怪物ではなく、少女のほうを見つめてしまいます――。
目のない水牛が二人のいる木のすぐ前を通りすぎていきました。頭を振って捜し続けていますが、彼らには気がつきません。重い足音がゆっくりと離れていって、ジャングルの中へ遠ざかります。
水牛の姿が木々の間に完全に見えなくなると、ポポロはようやく腕の力を緩めました。ほうっと大きな溜息をつきます。とたんに、涙がこみ上げてあふれ出したので、ポポロはあわててそれをぬぐいました。泣いてしまったら、またフルートにうるさがられます……。
そんなポポロをフルートは見つめ続けました。やはり意外そうな表情です。何かを言いかけて、ためらうようにまた口をつぐみます。
その時、水牛が去ったジャングルの奥から、馬のいななきが上がりました。激しい蹄の音も起こります。
ポポロとフルートは仰天しました。ポポロがそちらを透視すると、フルートの馬と水牛の怪物が視界に飛び込んできました。馬は必死で駆けていました。ジャングルの中を逃げ回るうちに、また怪物と出くわしてしまったのです。
水牛は馬に狙いを定めていました。角を低く下げて前足で地面をかくと、馬の後を追って猛烈な勢いで駆け出します。馬が身をかわして木立の陰に入ると、角で体当たりをして、木をへし折りながら追いかけていきます。
ポポロは飛び上がりました。
「いけない!」
全力疾走を始めた水牛は驚くほどの速さでした。しかも、ジャングルの木をなぎ倒して進むので、みるみる距離が縮まっていきます。このままでは、じきに追いつかれてしまいます。
どうしよう……とポポロは考えました。フルートの馬のコリンは、ずっと彼らと旅をしてきました。それこそ、フルートが勇者として旅立ったその時から一緒だったのです。馬とはいえ、やっぱり大切な彼らの仲間でした。このまま放ってはおけません。
コリンはジャングルの中をめちゃくちゃに走りながら、いつの間にかまたこちらへ向かい始めていました。水牛もその後を追いかけてきます。ポポロは一瞬ためらい、すぐに心を決めました。フルートから離れ、腕に絡めた薄絹を外して彼に渡します。
「あなたがつけていて、フルート。あたしはコリンをここに連れてくるから。あたしたちが戻ってきたら、あたしたちを捕まえて隠してちょうだい」
フルートはびっくりした顔になりました。ポポロが本当に薄絹の肩掛けを彼に渡してきたので、その手をつかんで引き止めます。
「待てよ……! どうして魔法を使わないんだ? 君は魔法使いだろう。魔法で怪物を倒せばいいじゃないか」
駆け出そうとしていたポポロは、振り向き、思わず泣き笑いの顔になりました。不思議そうにしているフルートへ言います。
「あたしは一日に二回しか魔法を使えないの……。今朝、休む場所を安全にするのに使っちゃったから、今日の魔法はもう残っていないのよ……」
ぽかんと見つめてきたフルートへ、ポポロはまた笑って見せました。その手から薄絹を取り上げて、肩にかけてやります。とたんにフルートの姿は見えなくなりました。魔法の肩掛けがフルートを隠し始めたのです。
「じゃ、行くわね」
そう言ってポポロはジャングルへ向き直り、コリンのほうへ走り出しました。