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第17巻「マモリワスレの戦い」

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23.痛み

 ポポロはジャングルの中を走り続けました。

 高い木が林立するジャングルは、頭上で梢が幾重にも葉を広げているので、昼間でも夕方のような薄暗さです。木の幹に絡みついた蔓は、木を這い上っていく大蛇のように見えます。重なり合う木々の間をすり抜けながら、ポポロは必死で走りました。足元には下生えは少なくて、赤土の地面がむき出しになっています。ぬかるんでいるところもあって、足が滑って転びそうになります。

 やがて、息が切れて走れなくなると、ポポロは近くの木にすがって呼吸を整えました。声が出せるようになると、フルート! と行く手へ呼びかけます。彼女は、どんなに遠く離れていても、仲間たちへ自分の声を届かせることができるのです。ところが、魔法使いの目に映るフルートは、黙って馬を進めていくだけで、声がするほうを振り向きませんでした。ポポロの声は聞こえていないようです――。

 ポポロの目からまた涙があふれました。フルートは行ってしまいます。たったひとりで、ポポロたちを置き去りにして。フルートとポポロの間の距離がどんどん遠くなっていきます。

 ポポロは懸命に目をこすりました。魔法使いの目でフルートは見えていても、自分の目で足元を見なければ、走ることはできません。涙をぬぐうと、またジャングルを駆け出しました。フルートの後ろ姿を追いかけます。

 

 やがて、行く手の木立の間に、本当にフルートが見えてきました。馬に乗ったまま、まっすぐ東の方角へ進んでいます。ポポロはふらふらの足で走り続けました。木から木へすがりつくようにしながら進んで、フルートに追いつこうとします。また息が切れてしまって声が出ませんでした。心の中でフルートを呼び続けます。

 すると、急にフルートが馬を停めました。じっとその場に立ち止まり、ポポロがすぐ後ろまでやってくると、進行方向を見つめたまま口を開きます。

「やっぱり追いついてきたか――。君は魔法使いなんだな」

 振り向いた目がひどく冷たかったので、ポポロは思わず立ちすくみました。フルート、どこへ行くつもりなの? と聞こうとしたことばが出なくなってしまいます。

 フルートは溜息をつくと、頭上を見上げました。

「魔法使いに監視されているんじゃ、逃げることもできないってわけだ。素敵な状況だな、まったく」

 ポポロはびっくりしました。ますます声が出なくなってしまいます。

 すると、それをどう受け止めたのか、フルートがまた言いました。

「君たちはぼくに何をさせるつもりなんだ? ぼくは何も思い出せないんだから、何もできやしないんだ。ぼくのことは放っておけばいいのに」

 ポポロは本当に驚きました。フルートの声は冷ややかで、胸に突き刺さるようでしたが、それでも必死で言いました。

「あなたに何かさせたいわけじゃないわ、フルート……! ただ、あなたを元に戻したいだけなの。思い出してほしいだけなのよ……!」

 こらえていた涙がまたこみ上げて、目からあふれ出しました。大粒の涙が頬を伝っていきます。

 とたんにフルートがどなりました。

「泣くな!」

 ポポロは飛び上がりました。真っ青になり、震えながら懸命に口を押さえます。思わず泣き声を上げそうになったからです。

 フルートは、ぷいと顔をそむけました。

「泣かれるのは鬱陶(うっとう)しいんだ。もう帰ってくれ」

 不機嫌な声で言って、馬をまた進ませ始めます。

 ポポロはその場から動くことができませんでした。これがあの優しかったフルートだなんて――。恐怖で足ががくがく震えて、後を追いかけることができません。涙がとめどなく流れ続けます。

 フルートを乗せた馬が、また遠ざかっていきます――。

 

 そのとき、急にポポロの右手首が痛みました。思わず息を呑んで、手首をつかんでしまいます。けれども、そこには傷も何もありませんでした。まるで古い傷痕が痛んだように、突然手首に痛みが走ったのです。

 手首を見つめていたポポロは、ふいに、あ、と小さく声を上げました。昔――二年半前の闇の声の戦いの時に、継続の腕輪と呼ばれる魔法の道具をそこにはめていたことを思い出したのです。

 あの時、ポポロたちは闇に囚われて魔王になったルルを助けに行こうとしていました。けれども、ルルがポポロを使ってフルートを殺そうとしたので、ポポロは忘却の魔法を自分自身にかけたのです。フルートを守るために魔法を忘れようとしたのですが、強すぎる魔力は、魔法だけでなく、ポポロの記憶すべてを消してしまいました。それを継続の腕輪が固定してしまったので、彼女は自分のことも仲間たちのことも、何も思い出せなくなったのです。

 今のこの状況は、その時にうりふたつでした。ただ、記憶を失ったのがポポロかフルートかの違いだけです。あの時にも、仲間たちはとてもショックを受けて、怒りっぽくなったり、ふさぎ込んだりしました。みんな、こんなに悲しかったんだわ、とポポロは改めて考えます。

 そんな中で、フルートだけは、それまでとまったく変わらず、親身にポポロに接してくれました。仲間たちの誰もがとまどい、ポポロを遠巻きにしていたのに、フルートだけはそばに来て、一生懸命話しかけてくれたのです。フルート自身もポポロに忘れられて本当に悲しかったのに、大丈夫だよ、ぼくたちと一緒にいれば心配ないよ、と……。

 

 ポポロは両手で涙をぬぐいました。顔を上げ、馬に乗ったフルートを改めて見つめます。フルートはジャングルの中を東へ東へと進んでいました。その後ろ姿は木立の陰になっていましたが、ポポロの魔法使いの目には、はっきりと見え続けています。

 ポポロはまた駆け出しました。震える足を踏みしめて懸命にフルートを追いかけ、追いついて呼びかけます。

「待って、フルート!」

 フルートは振り返りませんでした。馬を停めることもありません。

 ポポロはまた言いました。

「フルート、待って! 行っちゃだめよ――!」

 すると、冷ややかな声が返ってきました。

「ぼくには君たちがわからない。そんな連中と一緒にいることはできないよ。もう放っておいてくれ」

 ポポロの足がいっそう震えました。それでも祈るように両手を握り、必死で言い続けます。

「だめよ! ランジュールがあなたを狙って捜しているの! お願い、みんなのところに戻って……!」

 とたんにフルートは乱暴に馬の横腹を蹴りました。もう我慢できない、と言うような動きです。馬は、蹄の音を響かせてジャングルの奥へと駆け出しました。ポポロはたちまち引き離されてしまいます。

 ポポロはまた走り出しました。涙で曇ってしまった目の代わりに、魔法使いの目でフルートを追いかけます。

 すると、突然、フルートの行く手から生き物がやって来るのが見えました。大きな水牛のような姿ですが、頭に目がありません。鼻の穴から白い煙を出しながら、角を振り立てて何かを探しています。怪物は強烈な闇の気配を放っていました。ランジュールに命じられてフルートを探す怪物に違いありません――。

 

 ポポロは飛び上がり、思わず大声で言いました。

「フルート、停まって! 闇の怪物よ!!」

 もうずいぶん距離が離れていたのに、フルートは馬を停めました。

「闇の怪物だって?」

 と驚いたように振り返ってきます。

 ポポロは張り出した植物の枝を押しやり、木の間を駆け抜けてフルートに追いつきました。あえぎながら言います。

「こっちに向かってくるの! 馬の蹄の音を聞きつけたんだわ! 早く隠れないと――!」

 フルートは青ざめ、馬から飛び下りて周囲を見回しました。隠れる場所を探したのですが、そのあたりには太い木と緑の葉の蔦が生えているだけで、姿を隠せるような茂みはありません。フルートが焦っているうちに、行く手から、ぼぅ、ぼぅ、と低い笛のような音が聞こえてきました。怪物が鼻の穴から煙を吐き出している音です。重たい蹄の音も近づいてきます。

 フルートは背中へ手をやり、ロングソードを抜きかけて、すぐにそれを手放しました。

「だめだ。闇の怪物には効かない――」

 普通の剣では闇の怪物を倒せないとわかっていたのです。いっそう青ざめて周囲を見回し、どこにも隠れ場所がないとわかると、また馬に飛び乗って逃げ出そうとします。

 すると、それより早くポポロが馬に飛びつきました。太い首にすがりつき、人間に話しかけるように声をかけます。

「お願い、コリン。ちょっとの間、怪物の注意を惹きつけてちょうだい……!」

 ぱん、と華奢な手で馬の尻を打つと、馬は誰も乗せないまま走り出しました。怪物のすぐ近くを通り抜けて、ジャングルの奥へと駆け込んでいきます。

「何をする気だ!?」

 馬で逃げられなくなったフルートが怒りましたが、ポポロは負けませんでした。水牛の怪物は馬の蹄の音に気を取られて足を止めていました。今がチャンスです。

「こっち!」

 ポポロはフルートの手を引いて近くの木の根元へ走ると、肩からかけていた小さな鞄を急いで開けました――。

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