がらがらと道を走り出した馬車の中で、山賊は刀を構えて座席の人物にどなりました。
「おい、てめぇ、観念してこっちを向け!」
そこには細身の人物が座っていました。賊の襲撃に怯えているのか、うつむいたまま顔を上げません。長い銀髪がその顔を隠してしまっています。
「おい、こっちを向けって言ってんだよ! 耳が聞こえねえのか!?」
と山賊はまた呼びかけ、それでも返事がないので、相手の銀髪をつかんで、ぐいと引っぱりました。とたんに浅黒い肌の男の顔が現れたので驚きます。髪が長い上にドレスのような長衣を着ていたので、てっきり女と思い込んでいたのです。一瞬、なんだ男か、とがっかりしましたが、顔立ちが非常に整っていることに気がつくと、すぐにまたにんまりしました。美しい男は高く売れます。時には女より高値で取引されるのです。これはいい獲物が手に入ったわい、と考えます――。
「おい、てめぇ。おかしな真似をしようとするんじゃねえぞ。この馬車は俺たちがいただいたんだ。周りは仲間が固めている。てめえが逃げる道なんざ、もうどこにもねえんだ」
と凄んでみせますが、相変わらず相手は何も言いませんでした。ただ山賊の手をうるさそうに振り払うと、またうつむいてしまいます。その視線の先の膝には、黒い石の円盤がありました。磨き上げられた石の表面が、鏡のように男の顔を映しています。その瞳が左右で違う色をしていることに山賊は気がつき、こりゃすごい、とまた考えました。色違いの目にこの銀髪。本当に、久々に高値で売れる獲物が手に入ったようです――。
すると、男が深い溜息をつきました。銀髪の陰から、ひとりごとのように言います。
「ここまで追いかけたものがすべて無駄になりました。もう何も見えません……」
山賊には男が言った意味がわかりませんでした。ただ、男が持つ円盤が非常に美しいのを見て、これも高く売れそうだ、と考えました。
「おい、それをこっちによこせ!」
と円盤を取り上げようとします――。
御者席に座った山賊は、手綱を握って馬車を走らせていました。まだ街道の上ですが、この先に森へ入る細道がありました。そこから自分たちの根城へ馬車を運ぶことができるのです。馬車を守って馬を走らせる仲間たちへ尋ねます。
「あの男と女はどうした? 追いかけてきてるか?」
「いいや、もう引き離した。男に目つぶしを食らわしてやったからな。もう追いついてこれねえよ」
と仲間が答えます。別の仲間は馬の上で片腕を押さえていました。先ほどの戦闘で女に剣で突き刺されたのです。
「あの女(あま)、今度会ったらただじゃおかねえぞ……!」
と一人で歯ぎしりをしています。街道に響いているのは、馬車の車輪の音と、山賊たちの馬の蹄の音だけです――。
すると、いきなり馬車の中で、どすんと音がして、扉が大きく開きました。乗っていた山賊が外に転がり落ちます。
「ジョッド!?」
と仲間の山賊たちは驚きました。馬車から落ちた男は、街道を転がって叫び声を上げ、そのまま動かなくなりました。馬から飛び下りた仲間の一人が抱き上げて叫びます。
「死んでる! 首の骨が折れてるぞ――!」
山賊たちは仰天しました。開いたままの馬車の扉を眺めます。
そこに姿を現したのは細身の男でした。頭を馬車の外に出し、長い銀髪を風になびかせながら山賊たちを見回します。
「停めろ!」
と頭目が御者席の手下に命じたので、馬車が停まりました。八頭の馬に乗った山賊が馬車を取り囲みます。馬車にいたのは銀髪の男だけです。仲間を突き落としたのは、この男に違いありません。
すると、馬車の入口に立ったまま、銀髪の男がほほえみました。
「わざわざ停めてくださってありがとうございます。馬車を停める手間がはぶけました」
馬車の中から洩れる光が、整った浅黒い顔を照らしていました。ぞっとするほど冷ややかな笑顔です。その気迫に山賊たちは思わず後ずさりそうになりました。なんだか人ではないものと向き合っているような気がしてきます。
すると頭目がどなりました。
「あいつをふんづかまえろ! 縄をかけるんだ!」
山賊たちは我に返りました。刀を握り直して馬車へ向かいます。どれほど強くても、相手は一人です。しかも、武器も持っていないのですから、こちらにかなうはずはありません。
御者席にいた山賊が、こっそり馬車の屋根によじ登っていました。そろそろと屋根の上を進んでいって、出口から身を乗り出していたユギルへいきなり飛びかかっていきます。その片手にはナイフが握られていました。ユギルを組み伏せ、ナイフを突きつけようとします。
ところが、その瞬間、ユギルは馬車の中へ身を引きました。落ちてくる山賊の手を捕まえ、ぐいと馬車の中へ引きずり込みます。山賊が馬車の床に転がると、その腹にユギルの膝がめり込みました。山賊がうめいて気絶します――。
仲間が馬車の外へ放り出されたので、山賊たちはまた驚きました。男はまったく上を見ていなかったのに、そこから襲撃されることに気づいていたのです。
頭目がまたどなりました。
「ひとりでかかるな! 取り囲め! ギロ、ゴブ、そっちに回れ!」
そこで山賊たちはまた動き出しました。男の左右から馬で迫って挟み撃ちにしようとします。頭目は正面に立ちふさがっています。
すると、ユギルが頭目に向かって大きく手を振りました。とたんに、馬がいなないて後脚立ちになり、頭目を振り落としてしまいます。馬の前脚にはナイフが突き刺さっていました。驚く山賊たちに、ユギルが言います。
「あなたがたのお仲間のナイフです。わたくしのナイフは荷台にしまってあったので、ちょうどよろしいところでした」
山賊たちはさらに後ずさりました。森は夜の闇に包まれているのに、ユギルはナイフを馬に命中させたのです。この人物が先の二人の男女と同じくらい手強いことに、ようやく気がつきます。
頭目が痛む腰をなでながら立ち上がってきました。
「そいつを捕まえろ!! 半殺しにしてかまわねえ!! 足腰立たねえようにしてやれ!!」
すると、そのわめき声に、怪我をした馬がいっそう興奮しました。高くいななくと、くるりと後ろを向いて頭目を蹴りつけます。頭目は何メートルも吹き飛ばされて立木にたたきつけられました。うめいて、そのまま息絶えてしまいます。
仰天する山賊たちにユギルは言いました。
「彼がいる限り、あなた方はもっと多くの人々を殺していきます。申し訳ありませんが、死んでいただいたほうが世のためです。あなた方も親分の後を追うことをご希望ですか?」
冷ややかな問いかけに、手下たちは震え上がりました。頭目が死んだのですから、彼らを叱りつけて踏みとどまらせる者もありません。叫び声を上げると、馬の腹を蹴り、後ろも見ずに夢中で逃げていきました――。
やがてオリバンとセシルが管狐に乗って街道を駆けてきました。馬車や山賊たちの後を追ってきたのです。
山賊から目つぶしを食らったオリバンは、真水で目を洗ってまた見えるようになっていました。街道に停まった馬車の近くに二人の山賊の死体が転がり、まだ息のある山賊をユギルが木の根元に縛りつけているところを見ると、充血した目をそばめて苦笑いをします。
「もう終わっていたのか。我々の出番はなかったな」
セシルのほうは目を丸くしてその場を見回していました。ユギルが馬車の外のランプに火をともしていたので、息絶えた山賊たちがよく見えます。
「これをユギル殿一人で片づけたのか?」
と信じられないように言ったので、オリバンが笑い出しました。
「ユギルを上品でひ弱な占者と思っていたら大きな誤りだぞ。こう見えて、なかなかのくせ者なのだ」
「くせ者とはあまりのおことばでございます、殿下。せめて、能ある鷹は爪を隠している、とでも言っていただきとう存じますが」
とユギルが言いました。心外そうなことを言っていても、表情が平静なので、なんだかすましているように見えます。セシルはますますあきれてしまいました……。
すると、オリバンが尋ねました。
「で、どうだったのだ? フルートに何が起きたのか、わかったのか?」
ユギルはたちまち顔を曇らせると、首を横に振りました。
「勇者殿に何があったのか知ろうとして、最後に勇者殿たちを占った時点からたどり直したのですが、肝心のところに着く前に、山賊たちに邪魔されてしまいました。結局、何があったのかわからずじまいでございます」
そう言って、悔しそうに唇をかみます。
オリバンは思わずうなりました。
「夜明けまではまだ時間がある。もう一度占い直せそうか?」
ユギルはまた首を振りました。
「激しい戦闘になったので、わたくしの心もこの場所も大きく乱されてしまいました。今宵はもう無理でございます……。ただ、勇者殿以外の皆様方はご無事でいらっしゃいますし、今現在はまた北のほうへ移動を開始しておいでです。勇者殿の命に関わるようなことが起きていれば、皆様方は決してそのような行動をお取りになりません。象徴は見当たりませんが、勇者殿はどこかで必ずご無事でいらっしゃることと存じます」
「そうであればよいが」
とオリバンは言いましたが、その表情は晴れません。ユギルはすまなそうに頭を下げて、話し続けました。
「夜が明ければこの場所を人が通りかかって、山賊たちを見つけます。そこにわたくしたちがいれば、きっとわたくしたちの正体を詮索されることでございましょう。一刻も早くこの場所を立ち去らなくてはなりません。この先、落ち着ける場所にたどり着いたら、必ずまた勇者殿の行方をお捜しいたしますので」
「ユギル殿の言われる通りだ。私たちの正体を知られるわけにはいかないのだから、早くここを離れなくては」
とセシルも言ったので、オリバンもようやくうなずきました。
「よし、では馬車に乗れ。出発するぞ」
そこでセシルとユギルはまた馬車に乗り込みました。オリバンは御者席に座って、馬を鞭で打ちます。
「そら行け! ――早く落ち着ける場所まで行くぞ!」
フルートたちを心配してやまない、彼らの兄のようなオリバンでした。