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第17巻「マモリワスレの戦い」

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18.森の中

 エスタ国の東に隣接するクアロー国の街道を、二頭立ての箱馬車が走っていました。そのあたりは深い森の中でした。その馬車の他に街道を通る者はありません。

 馬車の御者席で手綱を握っているのは、見るからに立派な体格をした青年でした。正面から吹きつける風が冷たいので、マントにすっぽり体を包み、フードをまぶかに引き下ろしています。暦はもう十二月に入っていました。そろそろ雪がちらついてもおかしくない時期です。

 すると、馬車の窓が内側から開いて、若い女性が顔を出しました。長い金髪を風になびかせながら、御者の青年に話しかけます。

「オリバン、そろそろ私が代わろう! あなたはもう半日も馬車を走らせているぞ!」

 男のような口調でそう言ったのは、もちろんセシルです。オリバンは御者席から振り向いて答えました。

「大丈夫だ! まもなく日が暮れる! 夜になる前にこの森を抜けて、宿のある町に着かなくてはならん!」

 馬車の車輪の音がうるさいので、お互いにどなるような声になっています。

 

 ミコン山脈の麓でシオン大隊長や女占者のシナから通行証を受けとったオリバンたちは、こうやって馬車で東へ進み続けていました。エスタ国内を順調に通り抜け、今はクアロー国を通過中です。ここは森と山の国でした。森と森の間に町や村が点在していて、その間を急傾斜の街道が結んでいます。

 セシルは馬車の中に頭を引っ込めると、窓を閉めました。自分の向かいの席に座っている占者に話しかけます。

「こうして馬車で進むようになって、もう十日になる。東の大国ユラサイまでは、あとどのくらいかかるのだろう?」

「左様ですね……」

 とユギルは口を開きました。馬車の中では灰色のマントのフードを外しているので、輝く銀髪がよく見えています。

「クアロー国はあと二、三日で抜けますが、その向こうには大砂漠が控えております。黄泉の門の戦いの際に、勇者殿とポチ殿がそこを越えて行かれましたが、横切るだけで四週間はかかる、と砂漠の民に言われたそうでございます。ユラサイはさらにその先でございますし、広大な国で、国境から首都のホウまでたどり着くにも相当の日数がかかると聞いておりますので、おそらくあと二ヶ月ほどの旅路かと存じます」

「二ヶ月か――」

 とセシルは言いました。少し考えてから、また言います。

「ここまでのところ、私たちは順調に進むことができた。エスタ国王が準備してくださった通行証のおかげだ。私たちはエスタ国王の命令で東へ行くことになっているから、どこの関所でも宿でも私たちがうるさく詮索されることはなかった。この先もこの調子で行けると良いのだが」

「クアロー国はエスタ国と関係が深いので、エスタ国王の勅命がそのまま通用したのでございます。ですが、その先にはもう、エスタ国王の威光も届きません。大砂漠をこの馬車で越えることも不可能でございます」

「馬で砂漠を越えられないことは聞いていた。覚悟はできている」

 とセシルは言いました。メイ国で女騎士団を率いてきた軍人だけあって、潔いもの言いです。

 ユギルは微笑しました。

「わたくしの占盤は、決して楽な旅路にはならないだろうと告げておりますが、越えられないとは言っておりません。時間はかかっても、必ずユラサイに到着できることと存じます」

 静かですが確信のこもった声に、セシルはうなずき返しました。彼らを乗せた馬車は、車輪の音を響かせながら坂道を登っていきます。道が悪いので馬車は大きく揺れています――。

 

 大きな揺れが収まって馬車が下り道にさしかかると、セシルがまた言いました。

「そういえば、彼らはどうしているのだろうか? 今はどのあたりにいるのだろう?」

 彼らというのはフルートたちのことですが、セシルたちの間では、わざわざ名前を言う必要もありません。占者はすぐに答えました。

「今朝ほど占盤をのぞいたときには、皆様方はいつもどおり六人揃って、小大陸の北側を西へ進んでいらっしゃいました。行く手にある山地を目ざしているようでございました。おそらく、何か確かめたいものがあるのでございましょう」

 セシルは思わず身を乗り出しました。

「確かめたいものとはなんだろう? ひょっとして、彼らが探す竜の宝がそこにあるのだろうか?」

 さて、とユギルは首をひねって見せました。長い銀髪が、さらりと肩からこぼれ落ちます。馬車の中は薄暗いのですが、そんな場所でも輝くほどに美しい占者です。

「竜の宝はデビルドラゴンの力を持っているので、強力な闇の気配をまとっていると思われるのですが、占盤にはそのようなものは現れておりませんでした。勇者殿たちの周辺にも行く手にも、闇の気配はございません……。ですが、セシル様がお望みであれば、勇者殿たちの今のご様子を見て差し上げますが」

「では、頼む」

 とセシルは言いました。フルートたちが山地で何をするつもりなのか、確かめてみたいと思ったのです。馬車の旅はするべきこともなくて退屈です。暇つぶしの意味合いも多分にありました。

 ユギルは座席の下から鞄を取り出して、中から黒い石の円盤を取り出しました。占盤です。揺れる馬車の中で膝の上に載せ、線や模様が刻まれた石の表面に目を注ぎます。

「こんなに揺れていても占えるものなのか?」

 とセシルは尋ねました。頼んだのは自分でしたが、車輪の音もひどくうるさいので、占いには不向きな環境のように思えます。

 ユギルは微笑しました。

「正確に占うためには、もっと静かな場所が必要ですが、勇者殿たちの所在を知るだけであれば、これで充分でございます。なにしろ、勇者殿たちの象徴は非常に強く明るく輝いているので、世界中どこにいても見失うことがございませんから――」

 ユギルが占盤をじっと見つめ始めたので、セシルは黙りました。占者が色違いの瞳を石の上に走らせていく様子を、向かいの席から見守ります。セシルが占盤を眺めてもまったく意味がわかりませんが、占者の目は、そこに知りたい答えを読み取ることができるのです……。

 

 やがて占者は口を開きました。今までとはがらり変わった厳かな声で話し出します。

「皆様方の象徴が見つかりました。やはり、小大陸の山岳地帯の手前においでです。少し進路を変えて、今度は北の方角へ……」

 言いかけて、ユギルは急に口をつぐみました。もう一度占盤を見直します。セシルはふいに不安になりました。ユギルはひどく厳しい表情をしていました。その様子に、何かあったらしい、と察します。

 ユギルは占盤を何度も見直し、隅々までたんねんに見回してから言いました。

「勇者殿がいらっしゃいません。この世界のどこにも、勇者殿の象徴が見当たらないのです」

 セシルは座席から飛び上がりました。窓に飛びつき、引き開けて、御者席へどなります。

「オリバン! オリバン! フルートたちに何か起きたぞ――!」

 オリバンはすぐに馬を停めて駆けつけてきました。まだ占盤をのぞいている占者へ尋ねます。

「どうした!? 何があったのだ!?」

 ユギルは首を振りました。

「わかりません。五つの象徴は見えているのです。ゼン殿の銀の光、メール様の青い炎、ポポロ様の緑の光、ポチ殿の星の光、ルル様の白い翼……ところが、勇者殿の象徴である金の光がどこにも見当たらないのでございます。占盤の上を探し回りましたが、どこにもいらっしゃいません。勇者殿の象徴が消えてしまいました――」

 オリバンとセシルは絶句しました。占盤の象徴はその人物そのものを表しています。それが消えたということは、その人物もこの世から消えてしまったということを意味します。

「フルートは死んだのか!? 何故だ!?」

 とオリバンがどなりました。ユギルにつかみかかりそうな勢いなので、あわててセシルが止めました。

「落ち着いて、オリバン。前にもこんなことがあっただろう――彼らがキースやアリアンを助けに闇の国へ下りていったときだ。あの時にも、彼らの象徴はユギル殿の占盤から消えていて、彼らが地上に戻ってきたら、また見えるようになったんだ」

「ということは、フルートはまた闇の国へ行ったのか! だが、あいつだけで何故!?」

 オリバンの興奮は収まりません。

 ユギルは占盤を見つめながら言いました。

「もっと深く占ってみなくてはなりません……。殿下、次の町へ行かずに馬車をここにお停めいただけますか? 今宵一晩かけて、勇者殿に何があったのか追いかけてみたいと存じます」

「わかった。今夜はここで野宿しよう」

 とオリバンは即座に答えました。通る人もない深い森の中ですが、そんなことはまったく気にとめません。セシルはマントを抱えて馬車を飛び下りました。ユギルが集中して占えるように、彼を一人きりにしたのです。

 そんな二人に、ユギルは一礼しました。

「それでは、失礼して占わせていただきますが、途中で妨げられると、そこまでの占いはすべて無駄になってしまいます。申し訳ございませんが、今宵はわたくしにお声かけくださらないようお願いいたします」

「わかっている。存分に占え」

 とオリバンが言うと、ユギルはもう一度頭を下げてから、馬車の扉を閉めました。窓もぴたりと閉じられて、それきり、中からはなんの音も声も聞こえなくなります。

 

 馬車の外に残された二人は顔を見合わせました。

「いったい何が起こったというのだ? 今朝まで彼らは順調だったはずなのに」

 とオリバンが言いました。馬車の中の占者に気をつかって、抑え気味の声です。

 セシルは首を振りました。

「ユギル殿にもまだわからないのだから、私たちにわかるはずはない。それより、野宿をするなら火を起こさなくては。今夜は冷え込みそうだ」

 ああ、とオリバンは我に返ったように森の中を見ました。冬の日は短く、あたりはすでに薄暗くなっていました。ぐずぐずすれば、たちまち何も見えなくなってしまいます。オリバンとセシルは、薪(たきぎ)を集めるために、街道から森へと入っていきました。

 

 そして。

 そんなオリバンたちと馬車を、少し離れた木の上から眺めている二人の人物がいました。見るからに人相の悪い男たちで、毛皮の胴衣を着込み、腰には大きな刀を下げています。

 男たちは太い木の枝の上に立って、片手で別の枝につかまり、もう一方の手を顔の上にかざしていました。一人が、ひゅう、と口笛を吹き鳴らします。

「こりゃこりゃ……男二人かと思ったら、あっちの細っこいのは女じゃねえか。どえらいべっぴんだ。捕まえれば高く売れるぞ」

「馬車の音がすると言われて様子を見に来たが、思いがけない掘り出し物を見つけたな」

 ともう一人の男もにんまりします。

「馬車はあの場所から動かねえぞ。故障か?」

「だろうよ。暗くなるから、今夜は修理しないで、ここで夜明かしするつもりなんだろう。急いで親分に知らせようぜ」

 それはこの森を根城にする山賊たちでした。木から下りると、つないであった馬に飛び乗り、隠れ家へと駆け出します。

 森の中には木枯らしのような風が断続的に吹いていました。今もまた強い風が吹き抜けて、木々の梢を揺らします。いっせいに湧き起こった葉ずれの音が、森の奥へ向かう蹄の音を呑み込んでしまいました――。

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