「あったわ! 台のような形の山よ!」
馬で進んでいた一行の先頭で、ポポロが行く手を指さしました。仲間たちがいっせいにそちらを見ます。
けれども、そこに山は見えませんでした。見えるのは高さが何十メートルもある木々の幹と、葉が重なり合った枝だけです。そこは深いジャングルの中でした。濃い緑色の中に鳥や獣の声が響いています。
「お台の山だ。ここからどのくらい先にある?」
とフルートはポポロに馬を並べて尋ねました。ジャングルには無数の木が生い茂っていますが、日光を求めて上へ上へと延びていくので、地上には柱のような幹の根元がそそり立つだけになります。枝葉が天井のように頭上をおおっているので、ジャングルの中は薄暗く、下生えが育たないので、意外なくらい歩きやすい道のりです。
「ここから西へあと二キロくらいのところからよ。台の形の山はひとつじゃないの。いくつも連なっているわ……。どれもかなり高い山。二、三千メートルくらいの山もあるんじゃないかしら。ミコン山脈くらいの高さよ」
とポポロが答えました。魔法使いの目で透視しているので、遠いまなざしです。
「ワン、ミコン山脈みたいに高い山じゃ、馬で登るのは難しい気がしますね」
とポチがフルートの馬の前に取りつけた籠から言うと、ルルがポポロの馬の籠でうなずきました。
「そうね。ちょっと私たちで見てきましょうよ」
そう言った次の瞬間には、もう風の犬に変身して籠から飛び出していきます。ポチもすぐに風の犬になって舞い上がりました。二匹が木の葉の薄い場所からジャングルの上へ飛び出すと、風に梢がごうごうと揺れます。
「あたいもちょっと木に登ってみよう。うん、これがいいかな」
とメールは馬の鞍から近くの木に飛びつきました。野生の猿のような素早さで、するすると登っていってしまいます。
「おい、メール! 待てよ!」
とゼンが馬から飛び下りて、メールの登っていった木に駆け寄りました。自分も登ろうとしますが、枝のほとんどない直立した木なので、手がかりがなくて苦労します。
「ゼンには無理だってば。下で待ってなよ!」
とメールの笑うような声が降ってきました。その細い姿は、もう頭上の枝葉の間に隠れようとしています。
「この野郎!」
ゼンは歯ぎしりすると、また木に飛びつきました。円柱のような幹にしがみついて、力ずくでよじ登っていきます。それをフルートは地上からあきれて見上げました。
「落ちるなよ、ゼン! ぼくには君を受け止められないぞ!」
と言うと、馬鹿野郎、誰が落ちるか! とどなり返されます。青い胸当てをつけたゼンの姿も、木の葉の中に見えなくなっていきます。
やれやれ、とフルートは苦笑しました。自分にはジャングルの木を登ることは無理だとわかっているので、地上に残ったまま、ポポロに尋ねます。
「お台の山はいくつくらいある? 頂上に高い門や、それらしい遺跡がある山はないかな?」
「山は大小合わせて三十以上あるわよ。山の周囲は切り立った崖なんだけど、頂上は植物でいっぱい。門を探してみるわね」
とポポロがまた遠い目になります。
木の頂上近くまで登ったメールは、幹に片手で捕まりながら、張り出した枝の上に立ちました。地上から五十メートルも離れた高木の上ですが、怖がる様子もなく遠くを眺めます。
すると、急にけたたましい鳥の声がして、下のほうからどなり声が聞こえました。
「こら、来るな! 何もしねえから来るなって!」
ゼンがメールの数メートル下まで登ってきていました。一羽の鳥が甲高く鳴きながら飛び回り、大きなくちばしでゼンをつついています。ゼンは両手両脚で木にしがみついているので、鳥を追い払うことができません。
「ゼン!」
メールはすぐさま周囲へ片手を振りました。一面緑の屋根のように見えるのは、日光を求めて広がった木々の枝と葉です。その中から美しい花が蝶のように舞い上がり、寄り集まって白い蛇になりました。風に乗りながら空を飛び、ゼンをつつく鳥に襲いかかっていきます。鳥はケーッという鳴き声を残して逃げていきました。蛇が花の縄に変わり、ゼンに絡みついてメールの隣まで引きあげます。
「まったくもう。こんなところまでついて来ちゃってさ。あそこには鳥の巣があったから、親鳥が卵を守ろうとしたんだよ」
とメールがあきれて言うと、ゼンは口を尖らせました。
「俺は巣に手出しなんかしなかったんだぞ。同じところを通ったのに、どうしておまえは何もされなかったんだ?」
「だって、あたいは森の民の血を引いてるもん。父上の島はほとんどがこんなジャングルだから、しょっちゅう木に登ってたしね。鳥や動物だって、あたいを仲間と思って、敵とは思わないでくれるんだよ」
「ちぇ。その点、俺は猟師だから、何もしなくても、向こうが俺を敵と感じるのか」
ゼンがふてくされたので、メールは思わず笑ってしまいました。大きな背中をぽんとたたいて、前方を指さして見せます。
「ほら、見なよ、ゼン! あれがきっとお台の山だよ!」
そちらには大きな岩山がありました。ジャングルが作る緑の絨毯の中から、ぬっと頭を出しています――。
それは本当に台のような形をしていました。周囲は垂直に切り立った崖で、頂上は平坦になっています。岩壁の中ほどまでは、ジャングルから這い上がる緑におおわれていて、その上はむき出しの岩壁です。頂上はまた緑の植物でおおわれているので、なんだか、緑の敷物を載せた巨大なテーブルのようにも見えます。
目の前にそびえる山の向こうにも、同じような山々が見えていました。この一帯では山はすべてこんな形をしていて、三角の頂を持つ普通の山はどこにも見当たりません。
そんな光景を眺めて、ゼンが、そうか、と言いました。
「お台の山ってのは卓上台地のことだったのか」
「卓上台地――何それ?」
とメールが聞き返します。
「テーブルみたいな山がある場所って意味だ。俺が住む北の峰の地下には、地下水が作った空洞があちこちにあって、その中に、これとそっくりの場所があるんだよ。まあ、あっちのほうが規模は小さいけどな……。元は同じ高さだった場所なんだが、地下水が何万年もかけて柔らかい岩を削っていって、硬い岩の部分だけが、こんなふうにテーブルみたいな形に残ったんだ。ここはえらく湿っぽいし、雨も多いみたいだからな。たぶん、雨や川の水に削られて、こんな山々ができあがったんだろう」
へぇ、とメールは感心しました。いくら猟師をしていても、ゼンはやはり地下の民のドワーフです。
そこへ、風の犬になったポチとルルが飛んできました。透き通った白い竜のような体をひらめかせながら、ゼンとメールが立つ枝の横を飛び過ぎます。とたんに梢が大揺れに揺れたので、ゼンはあわてて木の幹にしがみつきました。高さ五十メートルもある木のてっぺんです。落ちればひとたまりもありません。
「こら、おまえら! 気をつけろ!」
とどなると、ルルが答えました。
「私たちじゃないわ。風が吹いてきたのよ」
「ワン、霧も出てきましたよ。どうやら風が海から運んできてるみたいだ。かすかに潮の香りがしますからね」
とポチも言っている間に、本当に霧が風に乗って押し寄せてきました。木の梢がまた大きく揺れ、周囲が真っ白になっていきます。卓上台地の山々も霧に隠れてしまいました。
「うぅん、これじゃもう何も見えないね」
とメールは伸び上がって言いました。木が揺れていることには、別段怖がる様子はありません。
ゼンのほうはいっそう強く木にしがみついて、渋い顔で言いました。
「しかたねえ、下に戻ろうぜ。ポチ、俺たちを乗せてくれ」
「ワン、いいですよ」
「雨が降り出しそうだから、急ぎましょう」
と犬たちが言い、ゼンとメールを背中に乗せて地上へ降りていきました。霧と木の葉の天井を突き抜けて、薄暗いジャングルの中へと戻っていきます。
一行が地上に降り立ったとたん、本当に雨が降り出しました。ぼつぼつと、植物の葉に大粒の雨が落ち始めたと思うと、たちまち雨脚が強くなってきます。木々が頭上で枝を広げているので、ジャングルの中では雨が弱まりますが、それでも枝の間からかなりの量が降りそそいできます。
「ワン――ぎりぎり間に合った!」
ゼンとメールが地上に降りたとたん、変身が解けてしまったので、ポチが言いました。ルルも普通の犬の姿に戻っていました。ぶるぶるっと全身を震わせて、長い毛についた雨しずくを払い飛ばします。
すると、フルートの声が呼びかけてきました。
「みんな、こっちこっち! 早く雨宿りするんだ!」
木々の間に防水布を張り渡した屋根の下で、フルートとポポロが手招きしていました。急に真っ暗になって雨の気配がしてきたので、あわてて避難所を作ったのです。ゼンもメールも犬たちもそちらへ走りました。屋根の下に飛び込んだとたん雨が本降りになって、たたきつけるように降り出します。
猛烈な雨に身動きが取れなくなったので、一行は屋根の下に寄り集まって、雨がやむのを待ちました。周囲の木の幹を伝って雨水が流れ落ち、地面の低い場所に幾筋もの小川を作ります。フルートたちの足元も水が流れていくので、座って休むことはできません。
すると、メールがゼンに身をかがめました。
「しょっちゅうこんな雨が降るから、地面が削れてあんな山ができたんだね」
雨音がうるさいので、ゼンの耳元で言ったのですが、それでもゼンには聞き取るのがやっとでした。メールの綺麗な顔が間近に来たので、思わず顔を赤らめてしまいます。
フルートは雨に閉ざされたジャングルを眺め続けていました。この激しい雨はスコールです。渦王の島でも何度も経験してきて、三十分もすればやむだろうと見当がついたので、特に焦ることもなく待ち続けます。
そのうちに、雨の中から何かが聞こえてきました。
「……レ、スレ……レ……」
金属を引っかくような、かすかな音です。人のささやき声のようにも聞こえます。
フルートは、はっとして仲間たちを振り返りました。彼らも同じ音を聞いたのでは、と考えたのですが、ちょうどゼンが携帯食を配り始めたので、みんなそちらに夢中になっていて、誰もフルートのほうを見てはいませんでした。
フルートはもう一度ジャングルに向き直りました。さっきの音を雨音の中に探すと、すぐにまた聞こえてきます。
「……スレ……ワスレ……」
フルートは思わず息を呑みました。謎の音はやはり人の声でした。どうやら、マモリワスレ、と言っているようです。
ところが、どちらから聞こえてくるのか確かめようとすると、声はたちまち遠ざかってしまいました。雨の音だけが後に残って激しく耳を打ちます。
「ポチ、ルル、聞いたか!?」
とフルートが犬たちを振り向くと、え? と二匹は驚いた顔をしました。
「ワン、どうかしたんですか?」
「聞いたって何を? 雨の音しかしていないわよ」
人間よりはるかに耳の良い犬たちですが、何も気づいていなかったのです。
フルートは真剣な顔になると、すぐに首の鎖をつかみました。鎧の胸当ての内側に入れてあった、金のペンダントを引き出します。
けれども、予想に反して、ペンダントの真ん中の石は、なんの反応も示していませんでした。聖守護石という名の金の石は、闇の気配を感じると、強く弱くまたたいて敵の接近を告げるのですが、いつもと同じように、穏やかな金色に光っているだけです。
「どうかしたの……?」
とポポロが心配して尋ねてきましたが、フルートにも、何をどう説明していいのかわかりませんでした。
雨は激しく降り続けています。耳をふさぐようなその音の中に、マモリワスレ、の声はもう聞こえませんでした――。