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第17巻「マモリワスレの戦い」

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7.パズズ

 「ところで、あの勇者の坊やたちは今、どのあたりにいるんだろうね? あんたには見えているのかい?」

 とシナが言ったので、ユギルはちょっと意外そうな顔をしました。

「それはもちろんでございます……。シナ様は勇者殿たちの居場所がおわかりにならないのございですか?」

 エスタ国の女占者は痩せた肩をすくめました。

「やっぱりあたしだけかい。あの坊やたちがクロンゴン海の海の王を訪ねて、そこから北の果ての冷たい海へ遠征していったところまでは追いかけたんだけれどね、その後間もなく見えなくなって、どこにいるのかわからなくなっちまったのさ」

「勇者殿たちは闇の国へキース殿たちを助けにおいでになりました。さすがに闇の国までは、わたくしも見通すことはできませんでしたが、そこから地上に戻られてからは、また勇者殿たちの象徴が見えるようになりました」

 とユギルが言うと、シナは溜息をつきました。

「そうだよね、そうなるのが普通なんだ。なのに、あたしにはあの坊やたちの象徴が今もまったく見えない……。あの子たちは全員がとても強い象徴を持っているし、特に勇者の坊やに至っては、まともに見れば目がくらむほどまぶしい金色に輝いているんだから、見逃すなんてこともありえないんだけどね。時期から考えると、象徴が見えなくなったのは、あの坊やたちがユラサイに到着したあたりからさ。敵に追跡されないように、ユラサイで何か術でもかけてもらったのかねぇ。あたしはユラサイの占者だから、闇には強くても同じユラサイの術には弱いのさ」

「わたくしたちはテトで勇者殿たちとご一緒しておりました。勇者殿たちからそのような術の気配はいたしませんでしたが」

「そうかい。じゃあ、いったい何が原因なんだろうねぇ……」

 シナが渋い顔つきで考え込みます。

 

「で、勇者殿たちは、今現在はどちらにいらっしゃるのです?」

 とシオン大隊長が尋ねてきました。彼は風の犬の戦いのときに、はるばるエスタからロムドのシルの町を訪ねて、金の石の勇者のフルートに謎の殺人鬼退治を依頼したのです。共に敵と戦ってエスタを守り抜いた仲だけに、やはりフルートたちの行方は気にかけていました。

「フルートたちか? 我々はこうして東へ向かってきたが、彼らは――」

 とオリバンが返事をしかけたとき、ユギルとシナが同時にさえぎりました。

「お待ちを、殿下!」

「敵が来るよ! あの子たちの行き先を話すのはやめておきな、隊長さん!」

 占者たちの鋭い声に、オリバンたちは驚いて黙りました。シナがユギルに向かって言います。

「あんたも感じているね。どこにいるか見えてるかい?」

「はい。あちらでございます」

「嫌な気配をぷんぷん振りまいてるよねぇ――」

 オリバンとセシルとシオン大隊長は、占者たちが言う方向へいっせいに身構え、それぞれの武器を抜きました。セシルとシオン大隊長は刃の細いレイピア、オリバンは愛用の大剣です。すると、ユギルがまた言いました。

「聖なる剣をお使いください、殿下。闇の敵です」

 そこでオリバンはすぐさま剣を変えました。大剣より刃渡りは短いのですが、闇のものに絶対的な威力を持っています。

 やがて、風もないのに、オリバンたちがやってきた森の出口の方向で、ざわざわと枯れ草が鳴り出しました。さっきまでさえずっていた小鳥が、ぴたりと鳴くのをやめて、何も言わなくなってしまいます。しんと静まり返った森の中、ざわざわと草の揺れる音だけが近づいてきます。

「怪物か――?」

 とシオン大隊長が思わず言うと、しっ、とシナが叱責しました。鋭い目で森の出口を見ながら言います。

「ここで見るはずがない輩(やから)だよ。どうしてこんなところにいるんだろうね」

「テトからわたくしたちを追ってきたのでございます」

 とユギルが落ち着き払って答えました。用心するように、とオリバンとセシルへまなざしで伝えたので、二人は剣を構え直します――。

 

 草のざわめきがすぐ近くまで来て止まりました。音のなくなった森の中に、妙に甲高い声が響きます。

「いタ! いタ! ついに見つけタぞぉぉ!」

 ざざざっとまた枯れ草が大きく鳴って、道の横の草むらから生き物が飛び出してきました。人に似た体をしていて、大きさも人間の男くらいですが、頭と前足はライオンで、後脚は鷲(わし)、背中に大きな鳥の翼を四枚生やした怪物です。翼を打ち合わせて、鳥のように一行の目の前に浮いています。

「なんだ、こいつは!?」

 とどなったオリバンへ、セシルが言いました。

「パズズだ! サータマンやテトに棲息する闇の怪物だ!」

 セシルの故国メイはサータマンやテトに近接しているので、この怪物の噂を聞いたことがあったのです。

 すると、怪物はライオンの頭を動かして彼らを見回しました。舌なめずりして言います。

「オレはテトからずっとおまえたちを追いかけてきタ! テトを助けタ金の石ノ勇者がおまえなのは、わかっていル! おとなしくオレに食われテ、願い石をオレによこセ――!」

 パズズがオリバンへそう言ったので、なるほど、と一同は納得しました。この闇の怪物は、いかにも勇者らしく見えるオリバンを金の石の勇者と勘違いして、テトからずっと彼らの後をつけてきたのです。オリバンがユギルに尋ねます。

「これがついてきていることに、気づいていなかったのか?」

「もちろん存じておりました。ですが、さしたる敵ではないと占盤が言っていたので、そのまま放置しておりました」

 とユギルが答えます。

「さしたる敵じゃなイだとぉぉ!?」

 とパズズは怒り狂いました。四枚の鳥の羽を打ち合わせ、長い尾を勢いよく左右に振ります。それは先端に毒の針を持つサソリの尾でした。

「オレ様を誰だト思っていル!? 風と熱の悪神、パズズ様だぞ! 金の石ノ勇者だけでなク、おまえたちも一緒に食っテやるぅぅ!!」

 とたんに、どっと強い風が巻き起こって、オリバンたちに襲いかかりました。息が詰まるような熱風です。

 

 すると、セシルが叫びました。

「来い、管狐(くだぎつね)!」

 ケーン、と声がして灰色の大狐が姿を現しました。セシルが腰から下げている銀の筒に棲む狐の怪物です。人間たちの前に立ってパズズへ背を向けると、太い尾を大きく振ります。

 とたんにパズズが起こした熱風が散らされました。狐や人々には届かずに、森の木々をきしませながら四方八方へ吹いていきます。

「今です、殿下!」

 とユギルが言ったとたん、管狐の陰からオリバンが飛び出しました。怪物へ駆け寄り、地面を蹴って怪物へ切りかかります。

 ばさっと大きな翼を打ち合わせて、パズズが飛びのきました。

「貴様になド、やられるものか! 貴様たちはただの人間ダ! 翼もなけれバ爪も牙もナイ! それデオレ様を倒せルものカ!」

 と言うと、別な方向から切りかかってきたシオン大隊長もかわして、空に舞い上がります。

「よけな、大隊長!」

 とシナが叫びました。シオンが飛びのくと、怪物が舞い下りてきて、大隊長の代わりに倒木を捕まえて粉々に砕きます。

 ウォォォ、とパズズはほえました。また翼を打ち合わせると、激しい風が湧き起こり、人々に襲いかかります。男たちは思わずよろめき、シナに至っては、風にあおられて倒れてしまいました。

「そぉら、いただいタぞ、金の石ノ勇者! 願い石はオレ様のものダ!」

 とパズズがオリバンへ襲いかかります――。

 

 とたんに、怪物の背中に管狐が飛びつきました。大きな前足でパズズを踏みつけて、動けなくしてしまいます。

 管狐の背中にはセシルがいました。パズズが強風を起こした瞬間、狐は彼女を乗せて飛びのいていたのです。

「管狐、そのままパズズを逃がすな! オリバン、やれ――!」

 と魔獣使いの王女が叫んだので、オリバンはまた駆け出しました。聖なる剣を怪物に振り下ろそうとします。

 すると、そこへシオン大隊長も飛び出してきました。

「ごめん」

 と言うなりオリバンを追い抜き、抑え込まれた怪物の横も通り過ぎてしまいます。何故か怪物に攻撃しようとはしません。

 オリバンとセシルが思わず呆気にとられると、大隊長は振り向きました。そこで初めて自分の剣を大きく振ります。

 そのとたんパズズがほえ、宙を大きなサソリの尾が飛びました。切り落とされたパズズの尾です。どさり、と音を立てて道の上に落ちます。

「狐殿を狙っておりました」

 とシオン大隊長が言いました。パズズの尾が管狐を突き刺そうとしているのを見て、助けに飛び出してきたのです。剣を振って、刃についた毒の血を払い飛ばします――。

 闇の怪物は驚異的な再生力を持っていましたが、それでも切り落とされた尾が復活するのには少し時間がかかりました。傷の痛みも感じるので、尾が治っていく間、パズズは激しくもだえ続けています。そこへオリバンが剣を振り下ろしました。リーン、と鈴のような音が響き渡り、パズズは黒い霧に変わって崩れてしまいます。

 それを見てシナが感心しました。

「噂通りの強さだねぇ、ロムドの皇太子ってのは。未来のお后様との協力も抜群だし」

「シオン大隊長にも危ないところを助けてもらった。フルートが一緒ではないので、毒にやられれば危なかったのだ」

 とオリバンが言うと、いやいや、なんのこれしき、と大隊長は答えました。ロムド皇太子から感謝をされて、まんざらでもない表情です。

 

 そこへユギルが言いました。

「なごりは尽きませんが、そろそろ出発したほうがよろしいようでございます。次の敵が迫ってきている予感がいたします。この場を早く離れることにいたしましょう」

「そうだね。あたしもそんな予感がしているよ。急いだほうが良さそうだ」

 とシナも言ったので、一行はすぐに出発の準備を整えました。セシルとユギルが馬車に乗り込み、オリバンは御者席に座って手綱と鞭(むち)を持ちます。オリバンたちが乗ってきた馬には、シオン大隊長とシナ、そして、シナの命令で馬車に隠れていた御者がまたがりました。

「では、道中どうぞご無事で」

 と互いに短く安全を祈り合って、一行は小径の上で別れました。オリバンとセシルとユギルが乗り込んだ馬車は、東を目ざして森の奥へ、シオン大隊長とシナと御者が乗った馬は、森の出口がある西の方角へ。それぞれに進んでいって、やがて互いの姿も音も把握できなくなります。

 

 すると、誰もいなくなった森に声がしました。

「あれぇ? パズズちゃんがいなくなっちゃったよぉ。どこに消えちゃったんだろぉ……?」

 森の梢と同じ高さのあたりに、幽霊のランジュールが姿を現しました。半ば透き通った姿でふわふわ漂いながら、周囲を見回します。

 そこへ、大きな黒い蛇の頭も、ぬっと現れました。シャアァ、と問いかけるようにランジュールに向かって鳴きます。

 幽霊の魔獣使いは細い肩をすくめ返しました。

「そう、消えちゃったんだよぉ、フーちゃん。金の石の勇者だ、捕まえて食ってやる、って言いながら山道を歩いていたから、勇者くんの行方を知ってるんじゃないかと思って、はるばる追いかけてきたのにねぇ。――誰かに倒されちゃったかな?」

 糸のように細い目が、きらっと光って周囲を見渡しました。そこで何が起きたのか読み取ろうとするように、鋭い視線を向けていって、やがて、ふぅん、とつぶやきます。

「やっぱりここで戦闘があったみたいだねぇ。木の枝がずいぶん風で折れてるし、常緑の木の葉もずいぶん散ってるよ。パズズちゃんが暴れたんじゃないかなぁ……。で、道の上には真新しい馬車の轍(わだち)と、馬の蹄(ひづめ)の痕が三組。さぁて、これはどういうことかな、っと」

 ランジュールは、蛇の怪物のフノラスドにではなく、自分自身に向かって話し続けていました。地面まで下りていって、道に残された痕を面白そうに観察します。

「ボクの推理を言えばだねぇ――パズズちゃんを倒したのは、勇者くんたちじゃないかと思うんだよねぇ。でもって、あっちへ向かっている轍とこっちへ向かっている蹄の、どっちが勇者くんたちかっていうと、やっぱり、蹄のほうだろう、って思うわけさ。だって、テトからここまでの道は、すっごく急な山道だったからねぇ。馬車ではとっても移動できないんだから――。さあ行くよ、フーちゃん。勇者くんたちは、きっとこっちだ。蹄の数が勇者くんたちより少ないけど、馬に相乗りしてるんだよ、きっと」

 ずっと一人でしゃべりながら、ランジュールは空中を移動し始めました。小径の蹄の痕を追って、森の出口へ向かいます。すると、行く手に馬に乗った三人の姿が見えました。大人の男が二人と、女が一人です。はぁん、とランジュールは言いました。

「こっちに来てたのは、皇太子くんと婚約者さんと、ロムドの一番占者のお兄さんだったのかぁ。勇者くんたちはいないのかな? 別行動してるんだろぉか? 皇太子くんたちをフーちゃんに食べさせる前に、勇者くんたちの行方を聞き出さなくちゃいけないねぇ……」

 相変わらず物騒なことをのんびりと言いながら、ランジュールはフノラスドへ手を振って見せました。出番が来るまで隠れていろ、というのです。巨大な蛇の頭が空中に消えていきます。

 

 ところが、じきにランジュールは、あれぇ? と声を上げました。森の小径を馬に乗って進む三人の男女を伸び上がって眺めて、ふてくされた表情に変わります。

「ちぇっ、あれ、皇太子くんたちじゃないじゃないかぁ。どこかのおじさんとおばさんたちだよ。しかも、全然美しくない。あぁあ、とんだ骨折り損のくたびれもうけ。パズズちゃんったら、あんなのを金の石の勇者と思い込んで追いかけていたんだぁ」

 シャァ、と声がして、また黒い大蛇が頭を出しました。ランジュールは肩をすくめてうなずきました。

「そうだねぇ。パズズはあんまり頭のいい怪物じゃないからね。しょうがないかぁ……。よし、引き返そう、フーちゃん。勇者くんたちがテトからどこかに向かったのは確かなんだから、見かけた人がいないか、探すことにしよう。ボクは勇者くんと皇太子くんを殺して、二人の魂を手に入れるまでは、何があったってぜぇったいにあきらめないんだからねぇ。体はフーちゃんのご飯に、魂はボクの宝物に。全然無駄がないよねぇ。うふふふふ……」

 いつもの楽しそうな笑い声を残して、ランジュールとフノラスドは消えていきました。ざぁっと森の梢が風に鳴って、それきりまた静かになります。

 

 すると、小径を馬で進んでいたシナが、視線だけを頭上に向けてつぶやきました。

「やれやれ。どうやら離れていったね……」

「何がですかな?」

 と並んで進んでいたシオン大隊長が尋ねました。大隊長は何も気がついていなかったのです。シナは口元を歪めて言いました。

「正体はあたしにもよくわからないけどね。ただ、えらく危険なヤツがすぐそばにいたことだけは感じたのさ。あれがロムドの皇太子や勇者の坊やたちを追いかけているんだとしたら、本当に危いよねぇ。闇の竜を敵に回してるだけで大変だろうに、因果だこと」

 シオン大隊長はますます不思議そうな顔になりました。女占者が言っていることが、まったく理解できなかったのです。

「いいから、早いところ城に戻ることにしよう、大隊長。気が変わって、あいつがまた戻ってきたら、とんでもないことになるからね」

 と言って、シナは馬の横腹を蹴りました。早駆けになって森の出口を目ざします。

「お、シナ殿――?」

 シオン大隊長と御者は驚いてその後を追いかけました。三組の蹄の音が遠ざかり、やがて聞こえなくなっていきます。

 静かになった森の中に、また鳥の声が響き始めました。やがて、たくさんのさえずりでいっぱいになります。

 これから何かが起きてくるとは思えないような、小春日和のエスタの森でした――。

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