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第17巻「マモリワスレの戦い」

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3.星空

 フルートたちが塩採りの男の案内で湖の岸にたどり着いたとたん、ばらばらと大粒の雨が降り出しました。

 岸辺には自然石を積んだ石垣があって、内側に白い石壁の家と小屋が並んで建っています。その小屋を指さして、男は言いました。

「納屋はあっちだ。中で休んでくれ。この雨は夕方までには止むから、そうしたら母屋(おもや)で夕飯をご馳走しよう」

 ありがとうございます、とお礼を言う間もなく、雨が強くなってきました。フルートたちが納屋へ、男が母屋へ駆け込むと、ザーッと本格的に降り出します。

「ワン、間一髪だ」

「間に合ったわね」

 とポチとルルが言いました。納屋には自分たち以外には誰もいなかったので、遠慮なく人のことばを話しています。

 納屋には馬を入れる囲いもあったので、フルートたちは四頭の馬を引き入れて、一緒に雨宿りさせました。納屋の中が夕方のように暗くなってきたので、フルートが荷物からランプを取り出して灯をともします。

 すると、周囲の石壁が、きらきらっと光りました。石肌がランプの光を反射したのです。うん? とそれを見たゼンが、声を上げました。

「おい、この壁、塩でできてやがるぞ!」

 仲間たちは驚き、いっせいに納屋の壁に駆け寄りました。積み重ねられた白い石の壁に触れ、その手をなめてみます。

「しょっぱい……! 確かに塩だね!」

「岩塩で作った建物なのか」

「いいや、岩塩じゃねえ。本当の塩の塊だ。あの湖から切り出してきた塩の塊を、れんがみたいに積み上げてあるんだ。信じられねえな」

「ワン、北の大地の氷の家みたいですね。でも、塩だったら、この雨で溶けちゃうんじゃないかな」

「屋根は木よ。これで雨を避けているんだわ」

「壁が雨で壊れてきたら、またすぐに湖から塩を切り出して修理するのね、きっと……」

 そんなふうに話し合いながら、フルートたちはなんだかとても感心してしまいました。この世界には、本当にいろいろな暮らしがあるものです――。

 

 雨は二時間ほど降り続き、塩採りの男が言ったとおり、夕方前にはやみました。

「さあ、夕飯ができたぞ。大したものはないが、一緒に食べてくれ」

 と男が呼びに来たので、フルートたちは隣の母屋に移動しました。やはり塩の塊をれんがのように積み上げて、木の屋根をかけた建物です。中に入ると、とたんに賑やかな声に出迎えられました。

「本当だ、大人じゃなくて子どもだ!」

「犬もいるわね」

「ねえねえ、どこから来たの!?」

「お兄さん、お姉さんたちの名前は!?」

 母屋に入ってすぐの部屋に大きなテーブルがあって、そこに六人の子どもたちが座っていたのです。男の子も女の子もいますが、どの子も浅黒い肌をしていて、黒い瞳をきらきらさせながらフルートたちを見ています。

 同じテーブルには年をとった男性も座っていて、子どもたちをたしなめました。

「これこれ、おまえら、行儀良くせんか。お客さんがびっくりしとるぞ」

「だぁってぇ。お客さんなんて久しぶりなんだもん」

「ねえねえ、お兄さんたち! 旅の話を聞かせてよ!」

「テトから来たんだってお父さんが言ってたけど、本当!?」

 子どもたちはやっぱり賑やかです。

 塩採りの男が言いました。

「俺の子どもたちと親父だ。そら、おまえたちはそっちの床の上だ。今日はお客さんがそこに座るんだからな」

「ねえ、あたしたちもちゃんとご飯もらえる!?」

「こっちにもお料理が来る!?」

「当たり前でしょう。そら、みんな座んなさい」

 と奥から太った女性が出てきて、あっという間に子どもたちをテーブルから追い払いました。子どもたちの母親です。床に広げた敷物の真ん中に大皿を置くと、子どもたちはたちまち皿に群がりました。フルートたちに質問することも忘れて食べ始めます。

「やれやれ、やっと静かになった」

 と父親が笑いながらテーブルにも料理の皿を運んできました。黄色っぽい薄焼きのパンが山盛りになっています。母親は台所に引き返して、赤い煮込み料理の深鉢を抱えてきます。

「今夜はご馳走だのう。しかもこんな高級品まである」

 と祖父がフルートからもらったワインの栓を抜きました。嬉しそうに自分たちのコップに注ぎます。

 

 フルートたちは初めて見る食べ物に目を丸くしていました。薄焼きのパンも煮込み料理も、今までかいだことのないような匂いをしています。テト国の料理もフルートたちには珍しかったのですが、このカナスカの料理は、それともまた違っています。

「このパンは何でできてるんだ? それと、この煮込み。なんでこんなに赤くて辛い匂いがするんだ?」

 とゼンが尋ねると、太った母親が答えました。

「トウモロコシの粉で作ったパンだよ。それと、こっちにはトマトと唐辛子が入ってるのさ。あらまぁ、トウモロコシもトマトも唐辛子も知らないの? あんたたち、いつも何を食べてるのさ?」

「ここのトウモロコシや野菜は塩に強い。だから、トー湖のそばでもちゃんと育つんだよ」

 と父親も話します。

 フルートたちは、言われたようにトウモロコシのパンをトマトの煮込みにつけて食べてみて、その辛さにまたびっくりしました。辛い辛い、口から火が出る、と大騒ぎをしますが、すぐに慣れて、けっこうおいしいと感じるようになります。

「ここは寒いからの。体が暖まるように、料理には唐辛子をたくさん入れるんじゃ」

 と祖父が教えてくれました。

 ただ、犬にはさすがに刺激が強すぎたので、ポチとルルはパンだけをわけてもらい、あとはゼンからもらった干し肉を食べていました――。

 

 そんな中、大人たちはフルートたちから旅の話を聞きたがりました。子どもたちもさっさと食事を終えるとテーブルに集まってきて、やはり、どこから来たの、何をしにいくの、と口々に尋ねてきます。娯楽の少ない場所なので、たまに立ち寄る旅人には興味津々なのです。

 自分たちの正体や本当の目的を話すわけにはいかなかったので、フルートは、当たり障りのない話をして聞かせました。自分たちはテト国の偉い人に仕えていて、用事で南大陸へ行く途中なんだと話すと、ずいぶん遠くへ行くんだね、と驚かれました。純朴な塩採りの家族は、フルートの話を疑いません。

 そうこうするうちに日は沈み、家の中が暗くなってきました。テーブルのランプに灯がともされます。

 すると、いつの間にか外に出ていた父親が、家の中に戻ってきて言いました。

「さあ、もういいだろう。外に出てみるといい。あんたたちが見たがっていたものが見られるぞ」

 フルートたちは一瞬きょとんとしてから、すぐに気がつきました。父親は、世界一の星空が見られる、と言っているのです。あわてて席を立って玄関へ走ります。

「急がなくても星は逃げないぞ」

 と父親が笑って声をかけます――。

 

 玄関から一歩外に出たとたん、フルートたちは立ち止まってしまいました。目の前の光景を、声もなく眺めてしまいます。

 彼らは宇宙の中に立っていました。頭上にも眼下にも黒い夜空が広がっていて、その中で数え切れないほどの星がまたたいていたのです。足元から地面が消えてしまったような気がして、思わず目眩(めまい)さえ覚えます。

 すると、彼らを追いかけてきた父親が、笑いながら言いました。

「雨が降ったから、トー湖の上に水が溜まって空が映っているんだ。大して深くないから、湖に降りてみるといい。帰りの目印に、玄関に灯りを下げてやるから」

 とランプを軒下にぶら下げます。

 家の中では、母親が子どもたちに、さあ、もう寝る時間だよ、と言っていました。賑やかな声が家の奥へ遠ざかっていきます。

 フルートたちは湖へ向かいました。さっきまで水がなかった湖に薄く水が溜まって、その上に夜空が映っていました。頭上の空と足元の空。ふたつの夜空の中へそっと踏み出すと、足の回りに立ったさざ波が、地上の星空を小さく揺らします。

「すごい……」

 とフルートは言いました。目の前の光景は本当に宇宙そのものでした。上下左右、すべてが夜空です。星が信じられないほど大きく明るく輝いています。

「確かにすげぇな。俺の北の峰だって、こんなにすごい星空は見られねえぞ。まわり中全部星だもんな」

 とゼンも感心しました。

「でも、なんでこんなに見事に映ってるわけ? どっちが本当の空かわからないくらいじゃないか」

 とメールが不思議がると、ポチが足元を見ながら言いました。

「ワン、白い塩の湖に薄く水が溜まって、巨大な鏡みたいになっているんですよ。山の上だから、星もよく見えるし……。確かにこれは世界一の星空だなぁ」

「そうね、夜空の中を飛んでいたって、こんなふうに見えるってことはないものね」

 とルルも素直に感心します。

 

 すると、ポポロが急に、あ、と声を上げました。彼女が着ていた服が、急に色と形を変えたのです。上着とズボンの乗馬服から、黒い長衣になって、その奥で星のような光がまたたき始めます。星空の衣が本来の姿に戻ったのでした。

「綺麗だね。でも、この中ではなんだか見失っちゃいそうだ」

 とフルートが言ってポポロの手を握りました。ポポロは真っ赤になりましたが、すぐにフルートの手を握り返しました。星明かりの下で顔を見合わせ、どちらからともなくほほえみます。

 それを見ていたメールがゼンへ手を差し出しました。自分もゼンと手をつなぎたくなったのですが、ゼンは少々意味を取り違えました。

「なんだ? 手をつなぐのか?」

 と言いながら、右手でメールの手を、左手でフルートの手を握ってしまいます。せっかく恋人同士で手をつないでいたフルートたちを邪魔してしまった形です。ゼンったら! とメールがあきれますが、ゼンはやっぱりわけがわからずにいます。

 フルートはちょっと苦笑すると、すぐにゼンともしっかり手を握り合いました。四人全員が横一列に手をつないだ形になったのを見て、言います。

「サータマンでも、こんなふうに手をつないだよね。シュイーゴの丘の春踊りに参加したときにさ……」

「ああ、そういや、そんなこともあったな。地面の下の春を起こすんだ、って言って、ぴょんぴょん飛んだよな」

 とゼンが本当に飛び上がりそうになったので、足元にいたルルとポチがあわてて言いました。

「やめてよ! こんなところで飛んだら、しぶきがかかるじゃないの!」

「ワン、それに水面に波が立って、せっかくの地上の星空が見えなくなっちゃう!」

 そこで彼らは手をつないだまま、静かに湖の中に立ち続けました。

 時折山の麓から霧のような雲が吹き上がってきますが、すぐにそれは消えていって、また見事な星空が現れます。吸い込まれそうな黒い空に、明るく輝く星。水鏡はそれを映して、無限の宇宙を広げて見せます。

 いつの間にか息の音さえ潜めながら、彼らはその中にいました。風の音も鳥の声も聞こえない、本当の静寂が彼らを包んでいます。

 

 やがて、フルートが言いました。

「君たちと出会えて、本当によかった――」

 ひとりごとのような声でしたが、仲間たちは思わずフルートを見ました。

「なんだよ改まって」

 とゼンが言うと、フルートは照れたように微笑しました。

「うん、今さらなんだけどさ……でも、急にそう思ったんだ。世界は本当に広いし、ぼくたちは本当に小さいんだけど、こうして手をつないでいると、一人きりじゃないんだ、って気がするよね。手をつなげる相手がいてよかった、君たちと出会うことができてよかった、ってさ……しみじみそう思ったんだ」

 感傷的なフルートのことばを、仲間たちは笑うことができませんでした。全員がまったく同じ気持ちになってしまったからです。彼らを取り巻く夜気の冷たさが、つなぎ合う手のぬくもりを強く意識させます。

「俺たちはずっと友だちだぜ」

 とゼンが言いました。フルートと同じくらい静かな声でした。

「今までも友だちだったし、これからだって友だちだ。いつまでも俺たちは一緒なんだよ、ずっとな」

 うん、と他の仲間たちもうなずきました。彼らの頭上で、足元で、数え切れない星がまたたいています。

 四人の少年少女と二匹の犬たちは、手をつなぎ寄り添い合って、広大な星空の中にずっと立ち続けていました――。

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